高良山に登る。
お百度参りは無理でも10回ならできるだろうシリーズ
1回目 2024年1月6日の日録。
2回目 2024年1月8日の日録。
3回目 2024年1月13日の日録。
4回目 2024年1月14日の日録。
5回目 2024年1月27日の日録。
6回目 2024年2月10日の日録。
7回目 2024年2月11日の日録。
8回目 2024年2月12日の日録。
9回目 2024年2月17日の日録。
10回目 2024年2月23日の日録。
地震に飛行機事故に大火災と、なかなか物騒な年明けです。
昨日、甲子月&甲子日&甲子時というどこにでも転びそうな不安定さが招いたのではないか?と書きました。私個人が凶方位をうっかり踏んだのなら自分で凶を打ち消す行動をとることができますが、天下・国家・社会の動きを私個人がどうこうできるわけはないので、祈るしかありません。
というわけで、高良山に登ります。
GPSログで今回歩いた経路を表示してみました。約7.6km歩きました。
さすがにお祈りに行くのですから南西の方位について調べないわけにはいきません。使えないものばかりですが、なんとか9~11時台が壬辛で「淘洗珠玉」。但し、ほかの要素がボロボロなので、これもかなり目をつむるしかありません。
起床してからずっと雨が降っています。天気予報で雨なんて言ってなかったのに……。
出かける30分ほど前に降りやみ、着替えて家を出ます。
甘木駅を10時4分発の大牟田行に乗って、西鉄久留米駅に向かいます。
西鉄久留米駅に到着しました。改札を出て1階の「やりうどん」で、肉うどん+ごぼう天+かしわおにぎりと豪勢にいただきます。今日は、朝食を食っていません。朝昼兼用です。
11時8分発の西鉄バス「竹の子」行を、終点の竹の子バス停で下車します。途中で全員降車し、終点まで乗った客は私ひとりでした。
今回歩く経路は、舗装された歩きやすい道です。
ただ、舗装されているといっても1台分しか幅はありません。また、途中でほかの登山コースとの分岐が複数あり、川に橋が掛けられていたりします。車の駐車場&転回場のさきに東屋とトイレがあり、ここで軽く休憩します。
除草の行き届いた道を歩いていると、ところどころに野イチゴをみつけます。こういうのはさっさと動物が食ってしまうものだと思っていました。2粒ほど手にとって口にいれてみると、酸っぱいことこのうえありません。おそらくまだ熟していないとわかったうえで、避けていたものだったようです。
高野山林道と合流します。しょうぶ池にむかう石段を登ります。
ここ最近、高良山を歩いていて、どこの川もほとんど水がない(水量が少ない)ことに気づきます。雨が降っていないからといえばそうなのですが、少々異常です。
なんと、しょうぶ池が干上がっています。
菖蒲池はほぼ水が枯れており、ほとんど沼地のようです。池の周囲は銀杏の葉が落ちて、すっかり黄色に染まっています。ここからさらにつつじ公園の休憩舎まで直接登れる石段も整備されているのですが、今回は、舗装路に迂回します。
2021年11月に訪問したときも水が少なくてほぼ沼地でしたが、とうとう土砂でおおいつくされ、歩き回ることすらできてしまいます。
夏の大雨の被害でしょうか。
(なんと無残な……)そう思ったとき、ポツポツと雨が落ちる音がします。自分に降りかかってくることはありませんが、近くの雑木林が雨の音でざわついています。
この石段を登ると、直接公園や売店に出ることができます。とはいえ直登の石段は苦手なので、迂回します。
つつじ公園内の遊歩道を歩くと、休憩所が見えてきました。
これがさきほどのしょうぶ池から伸びている石段です。
さすがに雨が降ったあとということもあってか、ほかに歩いているかたは居ません。休憩所も不在のようです。
ここから高良山の山頂をみると、こんな感じです。ずいぶん遠いように見えますが、20分も歩けば山頂までたどり着きます。
つつじ公園駐車場から、甘木方面を撮影してみました。古処山や英彦山どころか、甘木市街もほとんど見えません。かろうじてブリヂストンのタイヤ工場がうっすら視認できるくらいです。
雲の切れ目はこれだけで、あとは全体が厚い雲でおおわれています。おかげでまったく気温があがらず、歩いていても少し寒いくらいです。
いつもの猫は、売店前で警備中でした。iPhoneを向けると顔をそむけるくせに、離れたところから撮ると、こちらを向きます。
いつも「高良山に登る」と書いているわりに山頂に行くことは無かったので、今回は山頂まであがってみることにします。
山頂がちかづくと雲の切れ目から陽が射し、急に明るくなりました。
陽が射しこむだけで、さきほどまでの陰鬱な景色が一変します。
山頂から下りてきて、奥宮に向かう道に合流します。
5日ぶりの奥宮です。
先日買ったウィスキーをお供えします。
今日も意外と参拝者が多く、後ろを待たせるわけにはいかないので、休憩するふりをして先にお参りしてもらいました。
ほんらいなら世界平和とか地震の終息とかをお願いしに来たはずなのですが、ふと、ここで考えてしまいます。
まいにちいただいているごはんも、元をただせばひと粒ひと粒に命がやどっていたものです。命をいただかないで生きながらえることはできません。要は、ひとが生きるとは食うか食われるか、勝つか負けるかの世界でしかなく、平和な共存というのは、互いの縄張りを認め合うかどうかにかかっています。
この均衡がやぶられることは往々にしてあるわけです。見栄のため、力の誇示のため、居住地確保のため、資源確保のため、もっと子分に支持されるため、相手の縄張りを分捕り、敵対者の排除(殺人)すらめざします(ガザやウクライナがそうですね)。じつは神様はなんらかの頂点に立った王者であり、ときとして他人を従え縄張りを奪ってきた張本人でもあるわけです。そうでなければ、自らの血統も歴史もこうやって残すことはできません。そもそもその強さにあやかりたいと信仰の対象として祀られもしないでしょう。
では、平和や友好をお願いすることはあり得ないことなのでしょうか?
そんなわけありません。
世のなかが荒れて「神も仏もない」と誰もが悔やむようになったとき、神仏はみずからの支持基盤を失うことになります。ひとの行いが悪いと神仏から見棄てられる、と宗教家は説きますが、逆に、神仏なんか屁のつっぱりにもならんと思われたら、そこで神仏もまた、この世から消え去るしかありません。
世のなか、しょせん食うか食われるかのろくでもない世界だということは重々承知しているが、少しでもおおくのひとが与えられた寿命をまっとうできるようにして欲しい。
知り合いのLINEだと北陸の地震のあと「これで働き口がなくなったひとが多数出るから万博工事の求人をだせばいい。安く買いたたける」と軽口叩いている人でなしも居るとか。そういう輩が被害に遭わずのうのうと生き残って、あなた方を支持してきたひとたちが家を失い家族を失って苦しむ世のなかにしたいわけじゃないでしょう。だったら、人でなしを一掃するために動くべきだし、世を正せなければ、皆さんへの信仰は死ぬ。
ここで動かなければ、神も仏も役に立たないと今度は皆さんが見棄てられるだけではないか。
まとめてしまえばこういうことなわけですが、手を合わせてふとこんなことを考えてしまいます。口に出しながら考えているため、周囲で誰か聞いていたら、言いなおしだらけでしっちゃかめっちゃかだったでしょう。
奥宮を出て、今回はひさしぶりに北面コースを歩くことにします。
北面コースは、王子宮の看板が目印です。つつじ公園駐車場の横から坂を下ります。
王子宮コースとの分岐点に出ました。ここで左折します。
西鉄久留米駅内のコンビニで事前に買っておいたコーヒーをのんで、休憩します。今回ところどころで休憩はとっていましたが、飲み物をカバンから引っ張り出すのは、ここが初めてだったりします。
北面コースは、途中3か所ほど洗い越しがあります。例年だと飛び越えて渡るのですが、今年は一か所も水がありません。どうしたことか……。
高良大社(高良玉垂宮)が近づいて驚いたのですが、1日ほどではないにせよ参拝客がいっぱいです。毎年3が日が終わるともう少し落ち着いていた気がしたのですが、祈願の太鼓もずっと鳴っているし、駐車場の警備員さんも忙しそうです。これでは、さすがに奥宮のときのように、じっくり拝殿前に居座るわけにはいきません。
境内社をぐるりと巡拝したあと、いろいろ話したいことはあるがほかのかたに迷惑はかけられないので、他のところから遥拝すると念じつつ、拝殿で手を合わせます。
1日にも豚バラ串を買った出店でまた豚バラ串を買い、大学稲荷神社に向かうため、神籠石コースで下山します。
途中、神籠石の端っこに腰かけて、1日と同じ場所で豚バラ串をいただきます。
休憩がてら、奥宮で投げかけた問いについていろいろ考えていると、これこそ答えのない問いなのではないか?なぜかだんだんむかっ腹がたってきました。
むかっ腹をたてながら大学稲荷神社のほうへ歩いていると、私自身は濡れませんが、また雑木林から雨滴があたる音がしてきます。ただ、どうあがいてもすぐ答えがだせない悔しさを誰かと共有できた気になり、課題意識そのものは間違っていなかったのではないか?と思いはじめます。
大学稲荷神社とその周囲の三九郎稲荷さんはじめ、ぐるりと境内を巡拝して一周します。拝殿内に記帳する場があり、1日同様、願い事に「開運」と記入します。
ちなみにほかの皆さんがなにをお願いしているか数ページはぐってみると、「諸国友好」「世界平和」「心願成就」「神恩感謝」といったところが目につきます。開運とか寝ぼけたこと書いてるの、私くらい……(あはは)。
俗称「小学稲荷」の狐穴にもお参りします。
今回は車が少ないので、車列の途切れた位置を考えながら南谷水門側にまわりこまなくて済みます。即心上人という高良山でも著名な高僧のお墓の前をとおり、南谷水門へ向かいます。
二の鳥居までたどり着きました。
放生池に着きました。先日買った麩を開封します。
気温が高いぶん、鯉の動きも活発です。投げ込むとどんどん寄ってきます。
とはいえ、先日に輪をかけて水が汚れています。山中の川がほとんど枯れて池に流入してこないため、事実上溜め水に近い状態です。通りがかりの散歩中のかたが「赤いのはもう10年はここにおる(住んでいる)が、このままでは病気になる」と心配されておられました。
先日「磐井の清水」について少し書きました。ちょうど地蔵堂をお参りされているかたがおられて撮影しにくかったこともあり、あらためて足をのばしてみました。
御井小学校横の車道を数分も歩くと、むかしは湧き水を利用して野菜を洗ったり洗濯をしていた小屋にたどり着きます。
十三仏と地蔵堂の下に、磐井の清水があります。
下流側の小屋の規模からすれば、少々心もとない湧水量です。
3列あるうち手前1列のみ使えるようになってはいますが、さすがにこれでは野菜を洗うのも無理でしょう。先日の話では、宅地開発がすすんで一気に減った、おそらく(家を建てるさい)井戸を掘りまくった影響ではないか、という話でしたが……。
御井町バス停にたどり着きました。
今回、iPhoneでGPSログをとるにあたりあれこれ触っていて気づいたのですが「スーパー地形」アプリで、SNS用のこんな画像が出力できるようになっていました。
便利ですが、地図の上に場所をあとから書きこむには、画像サイスが小さいのが難点です。いずれ見直しがあるでしょうし、そうなれば地理院地図で加工する手間が省けるようになります。期待大です。