松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2024年1月27日の日録。

これを食うのだから、人間はいかに残酷かと思ってしまいます。

https://i.gzn.jp/img/2024/01/20/mother-squids-sacrifice-brood/00_m.jpg

潜水艦によって撮影された、2000個から3000個の卵を抱いたまま深海を漂うイカの映像をアメリカのシュミット海洋研究所が公開しました。卵の育成期間は最長9カ月で、母イカはその間まったくエサを食べることができず、自分の足を食いちぎりながら卵を守って泳ぎ、最後は卵がかえるのを見届けながら死ぬとされています。

母イカの究極の自己犠牲が映像に収められる、卵を抱いたまま9カ月絶食して死ぬまで泳ぎ続ける - GIGAZINE

食用として捕獲される品種なのかどうかは私にはわかりませんが、テカギイカ科のドスイカというのものは、食用とされているようです。

ドスイカ | 軟体 | 市場魚貝類図鑑

9か月絶食して子育て……。食わないと生きていけない人間が勝手に下等だと決めつけているだけで、生命ってすごいですね。

人間にはまねができません。

 

高良山に登る。(005)

お百度参りは無理でも10回ならできるだろうシリーズ

1回目 2024年1月6日の日録。

2回目 2024年1月8日の日録。

3回目 2024年1月13日の日録。

4回目 2024年1月14日の日録。

5回目 2024年1月27日の日録。

6回目 2024年2月10日の日録。

7回目 2024年2月11日の日録。

8回目 2024年2月12日の日録。

9回目 2024年2月17日の日録。

10回目 2024年2月23日の日録。

1月14日以来の高良山登山です。

やりうどん 久留米店 - 西鉄久留米/うどん | 食べログ

2週ぶりに高良山に登ります。いつものやりうどんで、朝昼兼用の肉うどんとかしわのおにぎりをいただきます。

今回も竹の子バス停から高良山に向かいます。

後谷登山口から入山します。

モンベル | オンラインショップ | ラップランドストライダー ワイド Men's

今回も、モンベルさんの靴にズボンに上着と、モンベルさんだらけです。

後谷コースから、高良山林道に入ります。

つつじ公園の遊歩道に入ります。晴天ゆえか複数の登山者とすれ違います。最初はつつじ公園の休憩所にそのまま向かう予定でしたが、なかなかにぎやかな声がします。

おそらく先客が居るだろうと判断して、月見山に向かいます。

月見山にやってきました。いつ見ても墳墓か築山のようです。

さすがにここの東屋には先客は居ませんでした。12時半を過ぎて、チョコレートをいただきながら休憩です。

つつじ公園駐車場から、甘木方面を撮影してみました。

休憩所でふたたび休憩します。コカ・コーラを買って、開栓時に気づいたのですが「糖入り」とわざわざ書いてあります。砂糖が入ってるかどうか、わざわざ書かないといけないご時世なのですね……ビックリです。

今日も猫がこちらをにらんでいました。

高良山の周囲をぐるりとまわって、奥の院で北陸地震の沈静をお願いします。また、高良山に登った記録を読んだ知人から預かった(1)某上場企業での昇進昇給(2)みやま市の人口増加(3)工期遅れぎみ新築住宅の竣工、そして私の「宝くじどーんと当ててください」のお願いもあわせて行います。

江戸時代に「高良玉垂命とは武内宿禰のこと」と有馬藩が裁定したため、高良大社のスタンスとしては、高良廟(奥宮)は武内宿禰の墓所ということになります。むろん神秘書の中身からして武内宿禰ということはありえないわけですが、中央から目をつけられずに済ませるには、ちょうどよかったのかもしれません。

高良大社に着きました。まず境内社からお参りしていきます。まだまだ雪がとけきっていません。

高良御子神社・真根子神社にも、社殿をぐるりと囲む回廊にも、雪が残っていました。

境内に入って、拝殿からお参りするまで、ずっと太鼓が鳴りやみません。車のお祓いというわけでもなさそうだったので、新年を祈願するかたがたでしょうか。

さすがに参拝者の数も平常運転に戻ってきました。

九千部山と久留米市内を撮影してみました。

高良山茶屋 望郷亭 - 御井/うどん | 食べログ

高良山茶屋で、肉うどんとお稲荷さんをいただきながら、どのコースで下山するか思案します(をい)。

下向坂(旧参道)の鳥居を通りすぎ、戦前につくられた最初の車道の一部から、神籠石コースに合流します。

遺構としては土塁基底部の列石が良好に遺存し、この列石が「神籠石」と誤称されたことに由来して「高良山神籠石」の遺跡名が定着するとともに、文献非記載の古代山城についても「神籠石系山城(神籠石式山城)」の遺跡区分名称が定着した。それと同時に、明治-昭和期に列石遺構の解釈について山城説・霊域説に大別して繰り広げられた論争、いわゆる「神籠石論争」の中心となった遺跡でもある。

高良山神籠石 - Wikipedia

本来高良大社の参道脇にある「馬蹄石」など、神の依り代となる岩石のことを指す名称であったが、近くにある列石(高良山では「八葉石塁」「八葉の石畳」と呼ばれていた)と混同して学会に報告されたため、列石遺構の方にこの名が付けられた。

神籠石 - Wikipedia

私たちは学生のころから「神籠石」とはでかい列石のことだと習っているため、むしろ神秘書が磐座の跡を「神籠石」と呼ぶのを奇異に感じてしまいます。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bifum/20231224/20231224145049.jpg

高良大社の参道で雪や雨で濡れたらすぐ滑るいちばんの難所、馬蹄石付近にやってきました。これ、元はここにあった磐座ではないかとされ、玉垂宮神秘書では、これを神籠石と呼称します

高良山に登る。 - 2023年12月24日の日録 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

列石のそばにある半分腐った、途中からキノコが生えている樹木も……。

見上げるとなんと枝から葉っぱが出ています。どこにこれだけの生命力があるのか、ビックリしてしまいます。

神籠石の列石のひび割れをよくみると、あいだに食い込んだ根っこが石を持ち上げ、ひびをひろげているのがわかります。すさまじい力です。

神籠石コースはそのまま下っていくと、大学稲荷神社に出ます。今回は途中で右折し、大学稲荷に立ち寄らずさらに麓をめざします。

地図で「116」と三角点の標高だけが記載されている場所は「勢至堂山」と呼ばれていたとのこと。盛り上がっているのはわかりますが、なにか特徴がある感じはしません。

自分が下りてきた道(黄色)は公式登山コースではないらしく、看板をみると神籠石の右側を迂回せよと矢印がありました。

いちど車道と合流し、ふたたび宮地嶽神社や桃青霊神社がある山に登ります。

久留米市御井町 桃青霊神社・宮地嶽神社 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

ここには松尾芭蕉を祀る桃青霊神社があります。2020年10月以来の訪問です。

坂を下りると、車道の反対側には、愛宕神社があります。

久留米市御井町 愛宕神社 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

この愛宕神社については、以前にいちど日記にまとめました。

廃仏毀釈が行われる前は、ここに総持院という寺もありました。

この愛宕神社、なんと麓からの参道を削るかたちで九州自動車道が建設され、麓からは直接お参りが出来なくなっています。ちかくの古墳も九州自動車道建設でずいぶん削られており、九州王朝の遺跡がいかに邪魔者扱いされ冷遇されてきたか、よくわかります。

高速道路に転落しないよう、金網が張られ、石段はすべて削り取られて吹き付け工事がなされています。

久留米市御井町 岩不動尊 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

愛宕神社をほんらい祀っていた矢取地区とは高速道路で分断されているかわりに、この岩不動尊の横をとおって、宗崎地区に出ることができます。

正面の岩壁には、三個の大きな梵字が、深く刻まれており、力強く堂々とした字体は、朱に彩られている。三個の梵字のうち、中央は「地蔵」、右は「不動」、左は「毘沙門天」の意である。この梵字が、いつの時代に誰の手によって彫られたものかは、全くわからない。
御井町誌 第二章 府中・街道とその周辺 2-5

大学稲荷前バス停で、約7kmの旅は終わりです。ここから、路線バスで西鉄久留米駅まで戻りました。

地形を感じる地図アプリ - スーパー地形

スーパー地形アプリから記録を出力してみました。ただ、どういう内部処理が行われているのか、GPSデータは8kmぶんあるのに、なぜか6.7kmと表示されます(あいだをとって、先は約7kmと書いています)。どこでどうズレているんでしょうね……わかりません(笑)