美風庵だより

幻の花散りぬ一輪冬日の中

自然の力とは偉大なもの

f:id:bifum:20190626054815j:plain

先日の強風でほとんどの葉っぱが落ちたキンカンが、時期外れの新芽を吹いています。

生き抜こうとする自然の力は実に偉大です。こういうのをみるとしみじみと感じます。鉢植えいじりはときどきこういうのに出くわすことがあるので、面白いのです。

(2019.06.26記述)

内宮と外宮を訪ねて(1)

goo.gl

伊勢神宮 豊受大神宮 (外宮)

 

赤貧の本家筋の家は、日田市内にあります。出自についての言い伝えがあるのですが、個人的にはどうも江戸時代に代官所に出仕した際にかなり創作しているのではないか、と疑っています。それがきっかけでいろいろ調べてはいたのですが、ここ最近はいよいよはまりこんでしまい、いつのまにか神社マニア、古代史マニア化してしまいました。

赤貧が内宮・外宮に興味をもたなかったのは、出自を探る旅においてほぼ接点がなかったからです。

と言っても、最初から無視していたわけではありません。大学を卒業したときと、社会人になって社員旅行で、過去2回、外宮・内宮を訪ねています。

どうやら信心が足らないようで、巨大建造物を眺めにいった以上の感想を抱くことはありませんでした。どうしてこうも前に進まないのかと思ったら、鳥居をくぐるたびにほぼ全員が頭を下げ、さらに足をすすめれば賽銭箱の横で祝詞を唱える人が集団で居たりと、なかなかほかの神社で目にできない異様な光景が広がっていることも、どうもピンとこなかった原因な気がします。

先日、福岡県久山町猪野にある伊野皇大神宮にお参りし、さらに山口市の山口大神宮をお参りする機会がありました。

この日記でも書いたとおりなのですが、考えるほどどうもわからない。いずれ本家本元にも再訪せねばならないだろう、そう考えていたところにゴールデンウィークの代休がいただけるとのことで、思いきって名古屋から伊勢まで足を伸ばしてみました。

f:id:bifum:20190615112843j:plain

15日、行きは近鉄名古屋駅から近鉄特急を利用しました。津駅を過ぎたあたりから雨が本降りになり、伊勢市駅の参道では横殴りの雨でした。信心のかけらもない見学者がのこのこやってきたことを、神様はお怒りになられたのでしょう。

isekikuichi.official.ec

愛用しているmont-bellの折り畳み傘がいくら丈夫といっても風がこうも強いと話になりません。菊一という刃物やお土産物を売っているお店の軒先を借りました。ふと見ると、なかなか立派な麻製の魔除けが置いてあり、「知人がお店をやっているので玄関に飾りたい」とお店のかたに申し出て、ひとつ売っていただきました。旅というのは、ほんとうに出会いがあるものです。

店というところはいろんなかたとの出会いがなければ成り立たないし、出会いがあってもそれがすべて良い出会いとは限りません。客商売の場合、客を招く神棚だけでなく、こういう浄め祓いの道具もあわせて置いておくとよいのです。

前の仕事場でお世話になったかたのご家族がされているお店の住所をLINEで尋ね、宅急便の伝票を自分で記載し、お金を払って店をでました。
風は落ち着いてきたのですが、あいかわらず降っています。敬遠されるにもほどがあります。

ja.wikipedia.org結論から言うと、この20年、相当な勘違いをしていたようです。御神紋が「花菱」と知っていれば、ここが何者なのか、すでに気づかなければいけなかったのです。

うかつでした。 

(つづく)

豊川市一宮町 砥鹿(とが)神社

goo.gl

f:id:bifum:20190614151123j:plain
f:id:bifum:20190614151709j:plain

今回、初めて訪ねることができました。同じ一宮でも、真清田神社とは雰囲気がまったく異なります。どうしてもこうも異なるのかと考えていると、ヒントがありました。

f:id:bifum:20190614151330j:plain
f:id:bifum:20190614151544j:plain

亀甲紋です。亀甲紋は、大己貴時代には使いません。大国主となって使いはじめます。

つまり、真清田神社で祀られている大己貴と砥鹿神社で祀られている大己貴には、数十年くらいのひらきがあるのです。

もしかすると、死後、大国主となって、彼が率いた集団が三河に入植してきたのかもしれません。

「日本一大きいさざれ石」というのがありました。子孫繁栄祈願をするところらしいのですが、近づいてみると、小銭だらけです。豊川稲荷の狐塚と勘違いしているのか、お賽銭の奉納のしかたとして定着しているのか、よくわかりません。赤貧も、10円玉をお供えしました。

JRの駅に戻ろうと歩いていて、ふと近所の表札をみて、目を疑いました。なんと「冨安」姓です。

name-power.netf:id:bifum:20190617215709p:plain

「冨安」姓で有名なのは、花の露の冨安本家酒造でしょうか。とにかく久留米や県南でしか見かけない苗字のイメージがありすぎて、卒倒しそうになりました。

f:id:bifum:20190614154729j:plain

西鉄電車無人駅でもICカードの読取機が設置されているため、乗車証明書すら見当たらない駅で現金を握りしめて列車を待つのは、十数年ぶりでした。名古屋より浜松のほうが運賃が安いエリアなのですね……。

もっと、久留米に特有の姓氏を調べて、電話帳データと照合させてみれば、いろいろとわかるかもしれません。しかし、それにしてもはるばるここまでやってきた人々の心境は、いかばかりだったのでしょうか。

(2019.06.14訪問)

 

朝倉市堤 宝満宮

goo.gl福岡県神社誌を片手に近場の神社めぐりで日記を埋めようとしている赤貧です。

f:id:bifum:20190606174035j:plain
f:id:bifum:20190606174105j:plain

朝倉市堤にある宝満宮です。御祭神は玉依姫とあります。福岡県神社誌での記載はほんの一行で、由来などを知るすべもないのですが、山家宝満宮か竈門神社を勧請したものとみて間違いなさそうです。

f:id:bifum:20190606174224j:plain
f:id:bifum:20190606174259j:plain

境内から離れたところに磐座があります。ここから歩いて数分のところに5世紀中ごろと推定されている前方後円墳「当正寺古墳」があります。周りの木々がなければ見下ろせる位置にあることから、おそらくは古墳の遥拝所だったのではないかと思います。

以前、この神社がある旧立石村に関する資料を読んでいたとき、宝満宮の母宮との言い伝えがあるとありました。宝満宮にお祀りされている御祭神のお母さんの墓(廟所)であるという意味で、もしかするとこれがそうなのかもしれません。

f:id:bifum:20190606174431j:plain
f:id:bifum:20190606174453j:plain

摂社末社は多いのですが、どれも名前が見当たらないためよくわかりません。ただ、社殿に近いほうは男性3人が祀られており、本家である山家宝満宮が応神天皇玉依姫神功皇后を祀ることを考えると、おそらくは住吉三神が祀られているのではないでしょうか。

 境内のどれかが龍神さまの祠のはずなのですが、さすがにどれかまでは判りませんでした。

(2019.06.06訪問)




 

朝倉市菩提寺 金刀比羅神社

goo.gl1943年発行の福岡県神社誌によれば、赤貧の自宅からほど近い朝倉市菩提寺には、5つの神社があるとされています。

白鬚神社 朝倉郡甘木町大字菩提寺字古寺
天満宮 朝倉郡甘木町大字菩提寺字山畑
大三輪神社 朝倉郡甘木町大字菩提寺字山畑
宮地嶽神社 朝倉郡甘木町大字菩提寺字山畑
田神社 朝倉郡甘木町大字菩提寺字山畑

ところが、不思議なことに大三輪神社を見つけることができません。その代わりに、この地には何度もこの日記に登場した金刀比羅神社があります。

f:id:bifum:20190605174227j:plain
f:id:bifum:20190605174116j:plain

同じ小字ですが、菅公を祀る天満宮だけ、離れた場所にあります。数珠を持つ菅公のよこに、どこかで紛れ込んだとおぼしき人形があります。さいきん神社めぐりをするようになって気づいたのですが、意外と仏像が御神体の神社や祠がよくあります。この菅公も、数珠をもっていてその延長で考えたほうがよいかもしれません。

天神社 〒838-0061 福岡県朝倉市菩提寺 https://goo.gl/maps/BjTNFTdDBqgT53kE8

f:id:bifum:20190605174436j:plain

金刀比羅神社と扁額がかかっている明治29年の鳥居です。福岡県神社誌よりもずっと前から、ここに金刀比羅神社はあったのです。

f:id:bifum:20190605174631j:plain

何回も見た案内板です。これを読むかぎり、秋月藩黒田長興公の時代から在るようにみえてしまいます。

f:id:bifum:20190605174708j:plain
f:id:bifum:20190605174729j:plain

鳥居のすぐ左脇に「田神社」があります。州浜紋の神殿のなかには「タノカンサー」がおられます。

f:id:bifum:20190605174711j:plain
f:id:bifum:20190605174748j:plain

鳥居の右脇には淡島大明神がおられます。御神体は、石です。

f:id:bifum:20190605174916j:plain
f:id:bifum:20190605174943j:plain

さらに進むと、宮地嶽三社大明神が鎮座しています。神功皇后、勝頼大神、勝村大神は、一体の石としてお祀りされているようです。

f:id:bifum:20190605174854j:plain
f:id:bifum:20190605174837j:plain

宮地嶽神社の反対側に位置するのが、この白髪(しらが)神社です。神社誌では「白鬚(しらひげ)神社」となっており、白鬚神社は猿田彦をお祀りする神社ですが、この白髪神社はたぶん誤記ではないでしょうか……。

 

f:id:bifum:20190605175113j:plain
f:id:bifum:20190605175128j:plain

石段を一番上まであがると金刀比羅神社に出ます。

f:id:bifum:20190605175139j:plain
f:id:bifum:20190605175334j:plain

社殿をじっくりと眺めていて気づいたのですが、金刀比羅神社というわりには、三つ巴紋が至る所にあります。これは、近くの大己貴神社同様、大国主を祀る神社ではないのか……。

そう考えると、ここが福岡県神社誌のいう大三輪神社で間違いなさそうです。おそらく黒田長興公の伝承があって地元では金刀比羅神社と呼ばれていたけれど、なにかの事情で大三輪神社と公式には届け出ていたのでしょう。

御祭神が大物主と大国主(大己貴)となっている点も、そのことを示していると思われます。

田神社の「たのかんさー」は、大国主と大幡主を混同したものという説があり、淡嶋神社大国主のもとを去り淡嶋に向かった(=要はあの世へ行った)事代主を祀る神社です。

そもそも大物主は、事代主が死に「これからどうやって一人でやっていこうか」と思い悩んでいた大国主のもとに現れた神様とされています。金刀比羅宮の御祭神とされています。要は、二重に大国主のご縁があるように祀っているわけで、そこまで考えて江戸時代に金刀比羅宮を勧請したのであれば、黒田公(とその家臣)はさすがだと思ってしまいます。

(2019.06.05訪問)