美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

飯塚市天道 大将陣社


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石段を登っていくと、数分で神社が見えてきます。今回はJR天道駅側から登りましたが、大将陣公園側からも登ることができます。石段がないぶん、そちらのほうが楽かもしれません。

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拝殿には源氏由来の笹竜胆紋が打たれています。拝殿の中に入り、本殿の石祠に手をあわせていて気づいたのですが、拝殿と石祠の先には、英彦山があります。

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やはりここは、日天子こと天之忍穂耳(英彦山)に戦勝祈願した場所だったと考えるのが、筋が明瞭なようです。ただ、陣を張ったのは満仲ではなく、その親父だったとは思うのですが。

福岡県神社誌:下巻401頁
[社名(御祭神)]大将神社(水波能売命)
[社格]無格社
[住所]嘉穂郡穂波村大字天道字天神森
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2020.10.14訪問)

飯塚市天道 恵比須神社


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福岡県神社誌に未掲載の神社です。拝殿に入り本殿の石祠を拝謁させていただこうとすると、正面向かって左手にも、石祠があることに気づきます。どうやら、複数個所でお祀りされていたえびす様(事代主)を、一か所にまとめ直したもののようです。

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まるで「ぬっ」と顔を出したように見え、愛嬌があるとも、怖いともいえ、驚きました。

左手もえびす様のはずなのですが、隣に女性像があります。弁財天にも見えず、どなたなのかわかりません。

福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2020.10.14訪問)

4月15日の日録

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ここ数年めっきり袖を通すことすらなくなりましたが、いちおう三つ揃えを2着持っております。いわゆる略礼服として持っているものです。

先日採寸したお店に送り、ベストの張り替えを頼むことにしました。

画像は、事前にお店のほうに服地の状況を伝えるために撮影したものです。着用後、どれくらいベストがきついかを示したものは、恥ずかしいのでここには掲載しません。

背広のタグをみると、2003年と2005年とあり、最低でも15年前のものだとわかります。年に何度も引っ張り出しませんから、痛みはほとんどありません。

 画像の2着のほか、2006年につくったコート地のジャケットも一緒に段ボールに詰めました。

クロネコの伝票を印刷して貼りつけ、コンビニに持ち込みます。

大阪は翌日配送地域ではあるものの、店休日などを考慮して、月曜午前中着と指定しました。

どういう返事があるでしょうか。楽しみです。

飯塚市天道 天道神社(天道宮)


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まず現地の案内板に目をとおします。

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ここにお祀りされているのは天照大神ですが男千木です。

承平天慶の乱 - Wikipedia

天慶4年(941年)2月、純友軍の幹部藤原恒利が朝廷軍に降り、朝廷軍は純友の本拠日振島を攻め、これを破った。純友軍は西に逃れ、大宰府を攻撃して占領する。純友の弟の藤原純乗は、柳川に侵攻するが、大宰権帥橘公頼の軍に蒲池で敗れる。5月、小野好古率いる官軍が九州に到着。好古は陸路から、大蔵春実は海路から攻撃した。純友は大宰府を焼いて博多湾大蔵春実率いる官軍を迎え撃った。激戦の末に純友軍は大敗、800余艘が官軍に奪われた。純友は小舟に乗って伊予に逃れた。同年6月、純友は伊予に潜伏しているところを警固使橘遠保に捕らえられ、獄中で没した。

源満仲 - Wikipedia

清和源氏、六孫王経基の嫡男。(略)当初は都で活動する武官貴族であった。天徳4年(960年)平将門の子が入京したとの噂があり、検非違使大蔵春実らと共にこの捜索を命じられた武士の一人として現れたのが史料上の初見

源経基 - Wikipedia

天慶4年(941年)に追捕凶賊使となり、小野好古とともに藤原純友の乱の平定に向かうが、ここでも既に好古によって乱は鎮圧されており、純友の家来 桑原生行を捕らえるにとどまった。

ある程度は真実を含むのでしょうが、どうも反乱がおきた年代とズレがあるようです。

天道神社・大将陣社 平安期の古戦伝承しのぶ|発掘(ほる)ばい 九州古代ヘリテージ

大将陣山の頂上には大将陣社がある。源満仲が西麓に日天子を勧請し天道のご加護により勝利を祈願した場所とも伝えられる。

むしろ注目すべきは「日天子を勧請」という伝承のほうでしょうか。天照大神は日天「子」ではありません。日の子とは日子=彦にほかならず、それが意味するのは、(天照大神の)娘婿である天之忍穂耳(英彦山、海幸彦)のはずなのです。ここにはさきに天之忍穂耳への信仰があり、そこが決戦の舞台となったのではないかと思えます。

福岡県神社誌:下巻401頁
[社名(御祭神)]天道神社(大日孁命
[社格]無格社
[住所]嘉穂郡穂波村大字天道字下石
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2020.10.14訪問)