美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

宗像市鐘崎 恵比須神社


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鐘崎地区には複数の恵比須神社があります。ここのえびす様は、カラフルないでたちをされており、じつに楽しげです。ほかでもみかけた金メッキの大黒様とえびす様も複数並べられており、これも御神体の一部かと考えてしまいます。

お榊ではなく、ハナシバ(一般的にはヒサカキと呼ばれるもの)がお供えされています。仏花としてもこの地域ではつかわれています。お寺さん扱い?

福岡県神社誌:下巻387頁
[社名(御祭神)]恵比須神社(事代主神)
[社格]無格社
[住所]宗像郡岬村大字鐘崎字町
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.04.07訪問)

9月28日の日録

今日の運動(昼めし前の1時間散歩編)

今日も宗像市内でした。

昼飯前の空き時間で「神社めぐり」をします。googleマップでおおよそ3km。1時間あれば歩けるはずです。

国道3号沿いの「王丸」バス停です。このバス停近くの交差点にロイヤルホストがあり、そこに12時までにたどり着かないといけません。

この一帯は郊外店舗がずらりと建ち並び、北側(JR鹿児島本線側)は造成され日の里団地として発展、南側はむかしからの集落がある、なかなかコントラストつよめの地域です。

ふるい集落があるところは、むかしながらの神社も多数残っています。

まず最初は「心吉宮」という神社の跡地に向かいます。鳥居だけが残され、そこに至る道もとてもとおれる状態ではありません。

宮地山・在自山の登山ルート | YAMAP / ヤマップ

許斐山 - Wikipedia

許斐山(このみやま)は、福岡県宗像市王丸と福津市八並にまたがる山である。標高271m。山頂一帯には宗像氏の一族許斐氏の居城である許斐山城があった。 

背後の山「許斐山(このみやま)」は、宗像大社の社家であった宗像氏の出先で、現在も山頂には熊野権現や王子宮が存在します。今回は登山向けの格好をしてきていませんので登りませんが、後日、登山する予定です。

現在の入口は手前で左折していますが、位置的にはほぼ間違いなく、許斐山城にむかう道の入口の関所を兼ねていたとおもわれます。

おそらく孔大寺山でしょうか。麓に宗像市街がみえます。

次の「妙見神社」は石段が崩落しています。

ほかに迂回路はないのか地図や現地をだいぶ眺めましたが、なさそうです。

せっかくここまで来たんだから会いたい!( 一一)俺に怪我させるなよ!

と念じて手すりをたよりによじ登ります。

ここは江戸時代の史料では河内国枚岡社を勧請し天児屋根命を祀るとされていたそうで、天児屋根命を祀る妙見様?とアゴがはずれそうになります。すでに先行研究があり、支配者の入れ替わりでいちど天児屋根命で上書きされ、明治にはいり妙見社という社号から御神体に国常立命をあて直したのではないか、とのこと(天之御中主ではないということは、御神体はどうみても女と強弁不可だったんでしょう)。

氏子・氏神となにげにかんがえていますが、各地を歩くと折々の支配者が持ち込んだ祭祀がそのまま置いてけぼりになり、いつのまにか「おらが村の神さま」になっていった事例がかなりあります。ここはたまたま社号をもとに元に戻すことができた事例のようです(まぁ、妙見社の前はほかのものだった可能性はありますが)。

福岡県神社誌では「八幡神社」となっています。現地を訪問すると、八幡宮と須賀神社(祇園社)があり、なかなか立派なのですが、ここも江戸時代の文献には「ほんとうに昔から八幡宮なのか?熊野権現の従神宗像三御前ではないか?」という記述がある由。

国家神道が当たり前、記紀神話が実質「聖書」扱いのいまでは想像できませんが、宗像三女神より熊野権現のほうが格上と言っているわけです。

最後に、六之神社をめざします。「このみ公園」の駐車場には複数車が停まっています。おそらく全部、登山客でしょう。

登山口から徒歩2分もかからず、砂防ダム手前の丁字路に突き当たり、右が六之神社です(左が許斐山登山路です)。

意外と新しい社殿や狛犬におどろきます。

登山道入り口の案内板に(5)山津波跡とあります。

位置的にはこの神社が建っている場所です。でっかい砂防ダムがあることをかんがえても、いちどここは山崩れの被害に遭い、再建したのではないか?という気がします。

来た道を下っていく途中、車が5台停まっているところがあり、近寄って訊いてみると「名水を汲みに来た」かたがたで地元のかたではなく、「?」という顔をされます。

「兄ちゃんあんた銀行屋?学校のセンセか?」と言われたので、世間からはそう見えるんでしょう。まさか日々のわずかな稼ぎで食いつなぐ底辺労働者とは言えないので、そういう立派な仕事じゃありません、とだけ言っておきました。

今回はGPSログで2.9km、65分の散歩でした。後日、登山靴をはいて、許斐山の熊野権現を訪問したいとおもいます。

習合予定時刻5分前にご指定のロイヤルホストに到着しました。

ちなみに、ほかの皆さんがやってきたのは12時半すぎで、30分、待ちました。

歩くよりただ立って待つほうが、つらい(´;ω;`)

宗像市鐘崎 葛原神社


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鳥居の扁額には「葛原宮」とあります。

屋主忍男武雄心命 - Wikipedia

『日本書紀』によって、第8代孝元天皇皇孫で、武内宿禰の父とされる人物である。

(略)

子に関して、同書景行天皇3年2月1日条では、莵道彦(紀直遠祖)の娘の影媛(かげひめ)との間に武内宿禰があるとする。また応神天皇9年4月条では、武内宿禰の弟として甘美内宿禰の名も見える。
一方『古事記』では、孝元天皇皇子の比古布都押之信命(彦太忍信命)の子が建内宿禰(武内宿禰)になるとしており、少名日子建猪心命は系譜から外れている。 

影媛 - Wikipedia

影媛(かげひめ(『日本書紀』)または山下影日売(やましたかげひめ(『古事記』)は、日本書紀や古事記に登場する上古の人物。武内宿禰の母とされている。

御祭神は武雄心命と影姫命で、日本書紀では、織幡神社に祀られている武内宿禰の両親とされています。そもそも武内宿禰じたいが複数の人物を合成した存在であり、ほんとうに武雄心命が(合成前の人物の誰かの)父親であるかどうかもさだかではありません。

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中央が神輿庫で、正面向かって右側が「天満宮」です。

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反対側が「葛原宮」です。隣にはおそらく合祀された後の残骸が、並べられています。

トップページ - 葛原八幡神社

弘仁八年(817)清麻呂公の嗣子真綱、勅使として宇佐宮へ参向の帰途、蜂ヶ坂に立ち寄り御神誨を仰ぎ八幡社を現在の地に遷し奉り、神功皇后、父清麻呂公の神霊を左右の相殿に合祀されました。

どうしても「葛原」というと、和気清麻呂公ゆかりの葛原八幡神社を考えてしまいます。ただ、元は「葛原」ではなく「国連(くつら。コクレンではありません)」ではなかったか、という見解のほうが、有力なようです。

宗像大社 公式ホームページ | 辺津宮

宗像大社 公式ホームページ | 辺津宮 摂末社 神社名及び祭神名

 8. 国連神社 [顕国玉命]
くつらじんじゃ
荒神社[素淺鳴命]、渡津神社[少童尊]、柳牟田神社[速秋津日女水神]、蛭田若宮神社[蛭子命]、人見神社[天鈿女命]

顕国玉命
うつしくにたまのみこと 宇都志国玉神と記す(記)。大国主神の別名。現実の(宇都志)国土の神霊(国玉)の意。現し国-天上という対比を前提にしている点で観念的な神格として考えられる。

そうなると、ここは大国主(大己貴)を祀る神社だったのが、どこかで御祭神が入れ替わったということになります。

いずれにしても、謎です。

福岡県神社誌:下巻387頁
[社名(御祭神)]葛原神社(武雄心命、影姫命)
[社格]無格社
[住所]宗像郡岬村大字鐘崎字一本松
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.04.07訪問)