美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

久留米市御井町 愛宕神社


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御井町誌 第二章 府中・街道とその周辺 2-4

愛宕神社

高速道路が参道の石段を切り取るかっこうで建設されたため、現在の愛宕神杜は、正面からお参りすることができなくなってしまった。出目のトンネルをくぐつて祗園山古墳経由山道を歩くか、宗崎への入口、通称十三トンネルをくぐり、岩不動から登つていくか、あるいは高良神社への車道を行き、裏側から入るしかない。近ごろでは訪れる人も少なく、ひっそりと静まりかえっている。
『寛文十年、久留米藩寺院開墓』によると「愛宕権現 社屋三間四面、外二一間二二間半の庇在り瓦葺 本地地蔵菩薩、或ハ伊弉丹尊云云、垂迹ハ勝軍地蔵也 右愛宕ノ社ハ、当国大守尊君御武運御長久ノ御タメニ熊山ト云所ニ、万治三庚子年十月十四日、当時四十九世 秀賀法印起立之、雖然、当山ヨリ程遠、勤行等難成候二付、御訴詔申不、高良山麓ニ礫山ト申テ愛宕相応ノ小山御座候故、右之社、寛文十庚戌年正月廿八日彼山工引取候。来春ハ早々愛宕之社建立仕、弥可奉祈御武運長久候」とある。
文面によると、隈山は勤行にも遠すぎて不便であるので、ここ礫山に移すのだといっているが、たったの十年で、隈山に立ったものを礫山の現在地に移しており、不思議な気がする。当時は青天寺とも称し、神仏習合の社であった。また一説によれば、四代藩主有馬頼元が芝増不寺の火の番を仰せつかり、江戸の火消奉行が無事務まるようにと祈願して、造営したともいわれている。愛宕神社について興味深い話が伝わっている。
高良山雑記』の中にも「文化十酉(一八一三)年三月二十七日夜、朝妻芝居所出火。大風、怪我人数不知と記されている。
 
明日は朝妻で芝居が催されるとあって、府中の人達は久方振りの芝居見物ができると心待ちにしながら、弁当など準備していた。当時は、芝居も藩の許可が必要で、実際に興業が行なわれる場所は限られた場所のみであったから、楽しみもひとしおで、七日間の興業も大入り満員大変な賑わいであった。矢取部落も例にもれず、明日の芝居を楽しみに待っていた。ところが、村人の一人が夢の中で「ゴォ?、ゴォ?」と愛宕山の揺れ動く山鳴りにうなされた。このことを村人に話したところ、愛宕神社の世話役二人も共に同じ夢を見たとのこと。「こりゃ-おかしか、不思議なことじゃ、何ごつかある」と不安に思った世話役は、さっそく村人一同に「今日のしばやには矢取んもんは一人も行っちやならん」と触れを廻した。その晩、芝居小屋から出た火は俄か作りの小屋を瞬く間に燃えあがらせ、逃げ惑う見物客は入口へと殺到した。押され、倒され、踏みつけられた人々の絶叫は夜空に響き、地獄図さながら、まさに阿鼻叫喚となり、後ちの世まで語り草となった。この火災の犠牲者は数十人に達し、府中からも二十数吊の焼死者を出した。
芝居見物をあきらめていた矢取では、早速総寄りをして「愛宕さんのお告げのおかげで矢取の衆は災難をのがれた。お礼参をせにぁ」と子供まで一人残らず愛宕神社へ参り、愛宕さんに感謝してその神徳をあがめ、千度参り(鳥居から社前へ千度ぐるぐる回ること)をし、社殿に籠ったという。矢取部落では朝妻の火事の日、三月二十七日を年に一度の総寄りとして「愛宕さん籠り」を続け、今日まで受け継がれている。この話は、聞いてはいたものの、今回町誌の為の野外調査中に偶然、隈山墓地の片隅から大きな六角柱の「延命地蔵経」と刻まれた石碑が出て、このことを裏づける貴重な史料となった。
また愛宕神社の境内の野外調査中に、愛宕神社裏入口の左右からも愛宕神社の昔を物語る古い玉垣が草の下から発見されたので、「第三章」の記録にとどめた。この地は、元惣持院とよばれる古い寺の跡でもあった事を付記する。 愛宕神社本尊の将軍地蔵は廃仏毀釈の影響と思われるが、現在合川の福聚寺にある

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今回、車道側から愛宕神社を訪問しました。見晴らしの良い鳥居のほうへ近づいていくと、騒音がします。社殿の位置だと気づかないのですが、かなりの音量です。

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騒音の原因は、九州自動車道でした。これ、柵はあるけれど、うっかり石段で転ぼうものなら下り車線に落ち込むだろうなぁ、と少々恐怖を感じるほどの近さです。こりゃまたとんでもないところを削って高速道路を通したものですね……。これなら参道も最初から見直してあげればいいのに……。

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見上げると、遠くに背振山が見えます。御井町(府中)だけではなく、久留米市街地まで一望できるかっこうです。おそらく市街地全体を見渡せるこの位置に、防火の神様として祀る必要があったのでしょう。

隈山はいまの朝妻のあたりですから、市街地まで見晴らすには、低かったのではないでしょうか。

(注)福岡県神社誌については、本社である高良大社分の内容を掲載します。

福岡県神社誌:上巻51頁
[社名(御祭神)]高良神社(高良玉垂命八幡大神住吉大神
[社格]国幣大社
[住所]三井郡御井高良山
[摂社(御祭神)]高良御子神社(朝日豊盛命、暮日豊盛命、斯礼賀志命、渕上命、谿上命、那男美命、坂本命、安志奇命、安楽応寶秘命)、豊比咩神社(豊玉姫命
[末社(御祭神)]真根子神社(壱岐真根子命)、印鑰神社(高良神社の印鑰)、稲荷神社(倉稲魂命)、愛宕神社(加具土命)、御祖神社(天照大神)、天満神社菅原道真公)、八幡神社応神天皇)、琴平神社大国主命崇徳天皇)、厳島神社市杵島姫命)、水分神社(水分神)、味水御井神社(水波能売神)

(2020.10.24訪問)