松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2024年1月28日の日録。

「24時間テレビで金庫からつかみ放題盗み放題だったケース」で「公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会」のお詫び記事をリンク先にしていましたが、リンク切れとなっていました。あらためて産経新聞の記事をリンク先として修正します。

さすがマスゴミ、身内の不祥事は隠ぺいがはやい……(笑)

日本テレビ系の日本海テレビジョン放送(鳥取市)は18日、経営戦略局長の男性(53)が平成26年以降、チャリティー番組「24時間テレビ」の寄付金など計約1118万円を着服していた問題で、田口晃也代表取締役会長(66)が引責辞任したと発表した。
同社によると、男性は田村昌宏元局長。着服した24時間テレビの寄付金264万6020円と会社の売上金などの資金853万6555円は元局長が11月28日に全額返還した。24時間テレビの寄付金は同月30日、日本海テレビジョン放送が24時間テレビチャリティー委員会に返還した。

日本海テレビ会長が引責辞任 「24時間テレビ」の寄付金着服問題で - 産経ニュース

(2024.02.01更新)

お賽銭の話

この日記のコメントやLINEなどで「お賽銭がなににどう使われているかを意識したことはない」という感想をいただきました。

平成2ケタに入る前後くらいから、どこから出てきたのかさだかではありませんが、不思議な言説が一般化しています。いわく「身に着けているものを放り棄てる行為そのものが祓いとなる(身代わりとなり本人の浄化となる)」というもの。そして「数は多ければ多いほどよい」ときます。

そもそもの出処がどこかは知りませんが、テレビで有名霊能者が言っていましたし、だいたい「パワースポット」とかいう単語が踊るような本には紹介されていますから、その方面では、すでに定説なのかもしれません。

私なんかは「なぜおカネ?」と素直に思ってしまいます。紙人形(形代)に息を吹いて名前を書くなりなんなりいろいろおまじないはあるわけで、必ずしも金銭でないといけないわけがないのです。

ただ、この行為自体が尊い、これが神につながるプロトコルだと紹介してしまえば、一般人はそういうものかと思って、そのとおり行動します。うまいもんです。

国家神道(神社本庁教)は「神道は宗教ではない」というのが主張なので、他の宗教と比較すると発狂される可能性がありますが、並べてみればお賽銭の性格はすぐわかります。

いわゆる「喜捨」です。

いろんな宗教に「喜捨」はあり、それぞれで呼び方もちがえば厳密には中身もちがいますが、ざっくり言えば「財物を宗教に寄付する行為」です。そしてその目的は、これまたざっくり言えば、2つあります。

(1)組織そのものを維持するための寄付。

(2)信者集団を維持するための寄付。

(1)は、神仏と専従者(お坊さんとか神職とか神父さんとか)、建物の修繕といった、その宗教そのものを維持するために信者が寄付する行為です。

(2)はいっけんわかりにくいかもしれませんが、イスラム教のザカートや仏教の布施にみられ、同じ信仰を持つ弱者に対して、稼ぎのある信者が拠出し、宗教が所得再分配をすることで、その集団全体の維持をめざすものです。要は、お金持ちが宗教に寄付・寄進したなかから、貧窮層にたいして宗教が慈善事業と社会保障をやって、信者集団からの脱落をふせぎます。ザカートを「救貧税」と和訳する本があるくらい、イスラムはこの点、徹底しています。

いまの神道を念頭においてしまうとピンとこなくなりますが、なぜ十字軍だの中東の宗教紛争だの戦国時代の僧兵だのといったものがありうるかと言えば、本人が宗教に殉ずれば、殉死者を顕彰し(列聖し)、その家族(遺族)に年金なりが配慮され、子供の進学就職で優遇され、宗教がその後をめんどうみてくれたからです(この思想の一部は日本にも入ってきます。靖国神社、各地の招魂社・護国神社や英霊の顕彰というかたちで制度に取り入れられました。警察官や自衛官の賞恤金制度にも(宗教と国家という違いはありますが)受け継がれています)。宗教が学校や病院などを経営している事例があるのは、伝統宗教にそういう文化があり、新宗教もまた信者獲得の過程でそれを真似てきたからにほかなりません。

神道から(2)が基本的に欠落(こう書かないとK學館はなんだとツッコミ……)したのは、聖徳太子の時代から国家が仏教を本格的に取り入れそちらにお任せし祖神崇拝に特化してきたという面がありますし、明治以降に復権したときには、すでに宗教ではなく社会保障は近代国家が担うものになりつつありましたから、関係なかったわけです。

そもそも天皇・皇后の葬儀をずっと執り行ってきた御寺泉涌寺の存在などを考えれば、国家神道(神社本庁教)が明治に権力をにぎり台頭するまで、限定された場面のみしか役がなく、そこまで重要な存在ではなかったことも、薄々拝察できます。

おそらく国家神道(神社本庁教)は宗教ではないため、ちがう理屈をたてているに違いありません。それがもしかすると身を浄化するために小銭で祓うという理屈なのかもしれません。もし小銭で祓うという理屈であれば、そもそも小銭を賽銭箱に投げ込む行為自体が神に対するプロトコルというわけで、身を祓うために投げ込んだものがこのあとどうなるか、考える必要はありません。

国家神道(神社本庁教)の関係者は発狂するでしょうが、ほかの宗教と並べて「喜捨」の一種だと考えれば、組織維持のための寄付である以上、使われかたが問題となります。どの程度情報開示するかは宗教により異なるのですが、例えば24時間テレビで金庫からつかみ放題盗み放題だったケースのように、浄財をいただいた参拝者のみなさんから見て趣旨としてどうなのか?と思う使われかたがあれば、当然問題になるでしょう。

もう明治ではないのです。

戦前でもありません。

国家神道(神社本庁教)はなにをやっても許される特権階級ではありません。

自民党を飼ってるから天下国家はおれのものくらいに思っていたら、大間違いです。

 

28日の記録。

今日は議員さんの市政報告会が行われる予定でした

木曜日に連絡があり、新型コロナ感染中とのこと。「あんた晴れ舞台なんだから先週病院行って熱下がって5日経つならつべこべ言わず出れ。甘えんな( 一一)」と言ったら、なんと家族全員で感染したそうです。しかもひとりがまだ排菌中とのこと。

その状態では、ただでさえ高齢者が多い議員のファンの前に出すわけにもいきません。

というわけで、一緒に演台に立つ予定だった市議の先生と、来賓あいさつをお願いしていた県議の先生による、トークセッションっぽくお客さんと意見交換をする場に切り替えます。

スタッフの車でせまい駐車場の1枠をつぶすわけにはいきませんから、議員事務所から歩きます。赤十字病院と摺鉢山がみえます。摺鉢山は帝王山という名もあって、景行天皇が熊襲征伐のさい射手を従えて陣をひいた場所と言われます。

熊襲の「熊」は「隈」であり、峠をはさんで反対側が大「隈」・牛「隈」ということを考えれば、天之御中主(大隈町の下益には北斗宮がありますね)や大幡主の一族とガチでやりあった場所ともいえるわけです。

ついでに言えば阿蘇の「阿」もまた「くま」です。

熊襲が何者か、違う漢字をあてながら正体をぼやかしてきた歴史がわかります。

日赤病院を横切りこの辺りまで歩いて、意外と遠いのに気づきます。失敗しました……。

会場準備と受付が終わりました。お客さんは21名。コロナ感染で議員が欠席というわりには、会議室がそれなりに埋まって一安心でした(さすがに喋る本人たちとスタッフだけじゃお話になりません)。

いまさら話をきいてもしかたがないので、隣の市立図書館にしけこみ、適当な本をながめるふりをして、昼寝?昼前寝?をしました。

かほラーメン 本店 - 飯塚/ラーメン | 食べログ

撤収作業後、昼に別件があるのでほかの皆さんと分かれます。

お昼に、かほラーメンでBセット(唐揚げ+ラーメン+小めし)をいただきました。振り返ると馬見山に後光がさしています。きれいですね……。

旧穂波町内で用件を済ませ、甘木にもどります。

いつもなら八丁トンネルを抜けるのですが、今日は高良山に行けないため、寄り道をして、或るお宮に向かいます。

この辺りはGPSの記録で標高430mあります。雨でシャーベット状になった雪に、自分のクルマの跡がしっかりとついていました。

嘉麻市泉河内 山の神神社・瀬畑の氏神様 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

はじめて訪問したのが2021年6月ですが、そのころより境内が明るくなりました。

敷地の隣にあった雑木山が伐採され、明かりがはいるようになったのが原因です。

鳥取県米子市美吉では山口県下関市で1185年(元暦2年・寿永4年)にあった壇ノ浦の戦いに敗北した平家方の瀬尾氏が帰農したと伝える。同地では元来の居住地は大阪府西南部(旧:和泉国)との伝もあり

「瀬尾」(せお / せのう / せのお)さんの名字の由来、語源、分布。 - 日本姓氏語源辞典・人名力

この地は「瀬尾」姓の家ばかりで、おそらくは平家の落人集落だと思われます。

北陸の地震と関係はないでしょうが、ここで地震の沈静と安定をお願いしました。