松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市城南区田島4丁目 田島八幡神社


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社頭にある鳥居の扁額は「八幡神社」です。

拝殿、渡りには覆屋がかけられています(渡りの先は拝殿ではなく、後掲する境内の見取り図によれば「神楽殿」です)。

福岡市無形民族文化財 田島神楽

田島の東南隅に薦ヶ渕という樋井川の深い渕があり、旱魃にならないよう毎年人身御供を捧げていましたが、それに代えて、万年願として神楽を奉納することになったと伝えられています。
明治3年(1870)までは、旧藩主黒田家から神楽費として、毎年米五俵が下賜されていたといわれ、明治4年(1871)に「神楽社」が結成され、その後氏子の方々で今日に至るまで舞い続けられています。戦争やその後の社会情勢の変動、神楽社々員の増減もありましたが、現在まで江戸時代以来の社家(神官)神楽の芸態が連綿として継承されています。平成10年(1998)3月、本市に残る唯一の筑前社家神楽として福岡市の無形民俗文化財に指定されました。
曲目は神供、両刀、釣舞など11曲以上があり、全体にゆったりとした時間と静けさを感じさせる点に特徴がみられます。
古くは旧暦6月1日に行われていましたが、今では夏祭り(7月第2土曜日)に、この境内で行われています。

平成13年(2001)3月 福岡市教育委員会
みんなの文化財を大切に! 

この案内板だけだと背景が通じにくいかもしれません。明治4年に、それまで神社で社家(代々神職をつとめる家系)が神楽を奉納するのが禁じられます。各神社独特の風習や文化を否定し、神宮がしゃしゃり出てきて全国統一で押しつぶした文化破壊活動のいっかんです。

そのため社家ではなく、氏子側がその伝統を継承したところもでてきました(とうぜん、氏子側が引き取らなければ断絶しました)。この田島八幡神社は、現在の福岡市内で唯一、現在まで伝統を残す立派なお宮さんなのです。

田島八幡神社の沿革

祭神 応神天皇
年中行事
 元始祭 一月一日
 夏祭り 七月第二土曜日
 秋祭り 十月第三土曜日

一、八幡神社の創立年は定かでないが田島沿革史によれば元徳二年(一三三〇)の地図に初めて田島の地名が記されている。また田島が開かれた時から毎年六月一日に神楽が奉納され八幡神社を落合(現友泉亭)に奉祀する。
一、文亀三年(一五〇三)落合に奉祀していた八幡神社を現在地に遷座奉祀する。
一、天文十五年(一五四六)八幡神社の再建をする。
一、文政十三年(一八三〇)天満宮を末社として神域に祭祀する。
一、明治三年(一八七〇)保食大神を神域に祭り分神を社日山(現田島三丁目)に祭っていたが昭和初期に神域に移し祭祀する。
一、明治五年(一八七二)八幡神社が村社に指定される。
一、明治十一年(一八七八)明治十年の火災による八幡神社焼失のため再建する。
一、明治十五年(一八八二)山神を末社として神域に祭祀する。
一、大正十一年(一九二二)八幡神社が共進社に指定される。
一、昭和二十年(一九四五)米軍の空爆による火災のため八幡神社の器物、文書等を疎開先で焼失する。
一、昭和二十八年(一九五三)八幡神社が宗教法人として認定される。
一、平成五年(一九九三)八幡神社が福岡アメニティ百選に認定される。
一、平成十年(一九九八)田島神楽が伝統芸能として福岡市無形民俗文化財に指定される。
一、平成十三年(二〇〇一)社務所及び御神庫の建て替え工事を施工する。
一、平成十四年(二〇〇二)社殿及び祝詞殿、神楽殿の改修築工事を施工する。
一、神域には古樹老木が多く、樟、銀杏、樫等樹齢数百年に及ぶ巨木があり福岡市の保存樹として十二本が指定されている。

平成十四年七月吉日 

拝殿に、境内の見取り図がありました。

お稲荷さん、天満宮、山神社です(見落として保食神は撮影していません)。

鳥居脇の猿田彦大神です。

配置的に、このクスノキが御神木とされているようです。

クスノキの幹は、いくつかが束になったようなかたちをしていました。 

福岡県神社誌:上巻94頁
[社名(御祭神)]八幡神社(応神天皇)
[社格]村社
[住所]福岡市大字田島字宮ノ奥
[由緒]創立年紀不詳文亀三年癸亥二月六日落合村の東南古宮より遷座天文十五年十二月再建の由(以後の沿革不詳)明治十年一月焼失同十一年四月再建。明治五年十一月三日村社に定めらる。
[境内社(御祭神)]天満神社(菅原道真公)、山神社(大山積大神)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2023.01.18訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

2023年1月18日の日録 - 美風庵だより