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岩不動
宗崎の高速道路よりわずかに東側から、愛宕神社の方へ向かう階段がある。急な階段を上って行くと、うっそうとした雑木林に中に、大きな一枚の岩を利用して作られた、岩不動がある。信者の厚い信仰を物語るかのように階段から岩不動の周囲にかけては、よく手入れされ、掃き清められていて、塵ひとつ見当たらない。
正面の岩壁には、三個の大きな梵字が、深く刻まれており、力強く堂々とした字体は、朱に彩られている。三個の梵字のうち、中央は「地蔵」、右は「不動」、左は「毘沙門天」の意である。この梵字が、いつの時代に誰の手によって彫られたものかは、全くわからない。その岩壁の前面、中央には小さな石祠がある。 開かれている扉の中には、ご神体らしきものはなく、丸みをもった石が置かれている。御神体は、紛失したのであろうか。石祠は、文化十四年(一八一七)三月に寄進されてもので、正面には「不動明王」、右横には、「願主良圓 福嶌境屋 施主 月参講中」と、刻まれている。不動明王とは、五大明王の中心で、大日如来の教令輪身として、真言行者守護の役割をになっている。火を観想して動じないというとこから、不動明王の吊がおこったものと言われている。日本においては、観音とならんで、不動明王の強い消災、増益の力への、庶民の熱烈な信を得ているのである。
また、この神社の境内に小さな堂が三つある。向って右の観音堂内に、天を仰いだユーモラスな僧の石像がまつってある。「これは十六羅漢の十六番目、注荼半迦尊者(ちゅうだはんたかそんじゃ)の像である。旧所在地と造年は上明だが、高良山関係の十六羅漢像として注目されよう」(古賀寿著『高良山の史跡と伝説』より)
中央の観世音菩薩像は、宝暦十年庚辰歳七月十四日(一七六〇)のもので、小柄だが柔和な顔つきが印象的である。
また左端の堂には、延享元申子年(一七四四)七月吉日造立の六地蔵石幢がまつられており、台座左側には、當村中一蓮宅生、田中權助 と印されている。宗崎の老人達の話によると、この石幢の下には、古銭が入った壼が埋蔵されているのだが、掘り出せばたちまち「たたり」がありそうで、今もそのままになっているということである。
この岩不動は、学生になりたての頃道に迷い、たまたま訪問したことがあります。それ以来一度も訪問したことがなく、どこで見た景色かも忘れていました。ここだったのですね……。今回もシニアネット久留米が公開されている「御井町誌」から引用しました。
(2020.10.24訪問)