松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2023年12月24日の日録

朝比奈隆生誕115年企画第2弾。だそうです。

〈タワレコ限定・高音質〉朝比奈隆/ドヴォルザーク:交響曲第8&9番、ブルックナー:同第4&8番(SACDハイブリッド) - TOWER RECORDS ONLINE

朝比奈隆生誕115年企画第2弾。ドヴォルザーク没後120年企画。世界初SACD化!巨匠の、新生面が魅力的なドヴォルザーク。第8番は唯一の録音。大切なレパートリーだった「新世界」は最後の録音。

朝比奈隆/ドヴォルザーク: 交響曲第8番、交響曲第9番「新世界より」(2024年マスタリング)<タワーレコード限定>

朝比奈隆生誕115年企画第2弾。ブルックナー生誕200年記念企画。全曲形態として初SACD化!ファンの間で呼び声高い、2つのブルックナー!番外編。キャニオン原盤の全集収録、第4番の異版と2004年の初出以来のリリースとなる第8番を収録。

朝比奈隆/ブルックナー: 交響曲第4番「ロマンティック」、交響曲第8番(2024年マスタリング)<タワーレコード限定>

タワーレコードさんのメールマガジンで知りました。なんと来月にドヴォルザークとブルックナーが発売です。これらもじつはむかし購入していまも所有していますが、発売から20年以上経つのですね……。齢をとるはずです。

とうぜんですが、2つとも予約しました。

 

高良山に登る。

朝、昨日購入したすき焼き重をいただきます。

今日は夕方まで用事がありません。運動がてら、高良山を登ることにしました。

今回も西鉄電車と路線バスで麓まで向かうのですが、西鉄久留米駅にて自販機で賽銭用に小銭をつくろうとすると……なんと、バス乗り場の自販機1つをのぞいてぜんぶ「釣り切れ」です。

ICカードとかスマホでみんな買って、わざわざ小銭にくずすために缶コーヒーを買うやつなんか居ないというわけです。ええええっ……どういうこと?

その名も「大学稲荷前」バス停に到着しました。この名称だけだと目の前に参道と鳥居があるかのような誤解を与えますが、実際はここから10分ほど歩きます。

久留米市御井町 印鑰神社 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

大学稲荷神社に向かう途中に、印鑰神社があります。まず、今日怪我がないようここでお願いをします。

今回は、池の裏手にあるお汐井場?のほうから、大学稲荷に向かいます。黄色い丸のところに、大学稲荷の鳥居や建物の赤が見え隠れしています。

おそらくここはお汐井の砂をとる場所だと思うのですが、この場所について解説した資料をまだ見つけていません。

今年夏の大雨でえぐれ、だいぶ道がわかりにくくなっていますが、過去にとおったことがあれば、判別できます。最後の部分だけ石段になっています。

大学稲荷神社です。

背後に、三四郎稲荷、力稲荷、三九郎稲荷さんも鎮座しています。お稲荷さんだらけです。

石段を下りていくと、大きなお稲荷さんがあります。こちらも扁額は大学稲荷とあり、「筑前筑後稲荷十社第一之社」と、うちがこの近所じゃ一番偉いんだと主張されています。ここは通称「小学稲荷」と呼ばれているところで、最初にお稲荷さんを勧請したお宮です。現在のお宮(通称「大学稲荷」)に、幕末のころ拡大整備されたあとも、そのまま元宮として残っています。

ここのお稲荷さん、社殿の背後に狐穴が在ります。そして、神使の狐さんもまた信仰の対象とされ、小学稲荷ともなるとちょっとした鈴や拝殿の屋根まで設けられています。

つづいて、鎮香丸稲荷さんを訪問します。

途中、弁財天やお大師様を祀る祠が並んでいます。

ここの社殿に相当するのが狐穴で、むかしこの穴をふさいだら祟りがあり、お詫びに社殿を建てて寄進したという話を聞きました。鎮香丸(ちんこまる)とは、地元に住んでいると気づきますが「ちんかまる(小さい穴)」のこと。小さい狐穴のお稲荷さんだと言っているわけです。

ここも小さいお稲荷さんがいくつもあります。

鎮香丸稲荷さんの参道を出て、正面をみるとひとの歩いた形跡があります。おそらく、神籠石のほうに続いているのだろうと見当をつけ、歩いてみます。

神籠石にたどり着きました。石に沿って、高良大社のほうへ歩いていきます。

車道との交点に出ました。ロープをしっかり持って、坂をよじ登ります。

車道を横切って、ふたたび神籠石に沿って登っていきます。

黄色の矢印に向かうと、高良大社の旧参道に出ます。青矢印のほうは、旧車道に合流するため、歩く距離が長くなります。

旧参道がみえてきました。

境内にはいり、神職やバイトさん、事業者さんが車を停めている場所を歩いていくと、祈願の太鼓が鳴り響きます。あとで気づいたのですが、どうやら車祓いの祈願が行われていたようです。

十月桜が、正月前から桜の花を咲かせています。だいたい半年ほど花がついているわけですが、よく樹勢が弱らないものだと感心してしまいます。

現参道や現三の鳥居側から、久留米市街を撮影してみました。遠くに背振山がみえます。

毎度のことですが、車で来ても歩いて来ても、いきなり拝殿にお参りに行くということはしません。展望所のトイレを借りて、自販機で飲み物を買って休憩してから、お参りします。今回は、伊藤園さんのお汁粉をいただきました。

拝殿にすすみ、お参りします。

その後、時計回りに神輿庫・市恵比須神社・印鑰神社というふうに、取り囲んで配置された境内社をお参りしていきます。

この印鑰神社は、麓で怪我がないようお願いした印鑰神社を、境内に勧請したものです。

高良御子神社と真根子神社です。一部の九州王朝説論者の言うとおりなら、斯礼賀志命とは仁徳天皇であり、朝日豊盛命・暮日豊盛命は宮地嶽の勝頼大神・勝村大神を指すことになります。そしてこの宮地嶽の神様が、私のご先祖様にもあたるわけです。

境内の配置がわかりやすいので、案内板を撮影してみました。

ほかにも奥宮に向かう登山路はあるのですが、今回、坂がゆるめの市道(耳納スカイライン)を歩きます。

奥宮の鳥居がみえてきましたが、つつじ公園で休憩したいのでそのまま通りすぎます。

つつじ公園の駐車場から、甘木や英彦山方面を撮影してみました。雲が多く、英彦山の姿はほとんどわかりません。

休憩所で、西鉄久留米駅のにしてつストアで買ったチョコレートと、自販機が釣銭切れだったので、お賽銭用の小銭をつくるために駅内のコンビニであわてて買った缶コーヒーをいただきます。

テーブルに猫が乗ってきました。

「チョコレートとコーヒーだから、あんた死ぬよ。悪いけどあんたにはあげられない」と目をみながら話しかけると(こいつはダメ。誰かタカれる奴はほかにおらんのか?)とおもったのか、テーブルの隅でほかの客を物色しはじめます。

鎮香丸稲荷さんでもみかけた猫とここでふたたび遭遇しました。奥宮のほうに歩いていくと、途中までついてきます。道を間違えないよう監視しているつもりでしょうか?

2日、ひさしぶりに高良山に登ってみた。 - 2023年12月3日の日録 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

奥宮へ向かう道は、ちょうど高良山をぐるりと横切ります。

前回、12月2日に高良山林道から奥宮に向かったときに歩いた階段がありました。

奥宮が見えてきました。

手前の鳥居にかかった扁額は「奥宮」ですが、拝殿?に近い鳥居の扁額は「高良廟」です。ここは明治の神仏分離まで、玉垂命の墓所とされていました。

12月2日は、青矢印のほうから高良大社に向かいましたが、今回は黄色の矢印から車道に出ることにしました。

高良山茶屋 望郷亭 - 御井/うどん | 食べログ

車道で高良大社まで戻ったのには、理由があります。

前回と同じトラバース路をとおると、高良大社の境内にかならず出ます。まさか横切ってお参りもせずそのまま帰るわけにもいきません。車道だと境内をとおらず、直接、高良山茶屋まで出られます。

いつものように、今回もうどんとお稲荷さんをいただきました。

建物の前でバイクツーリングのみなさんが休憩していたので、今回、建物の画像はありません。

さて、ここで、雨が降ってきました。周囲を見渡すと、おなじように軽登山の格好をしているひとは、だいたい傘をさすか、腰に折り畳み傘をぶら下げています。背負ったカバンのなかに折り畳み傘はいれていますが、出来れば使いたくない……。

そして、今回も放生池で鯉に麩をお供えしようと考えているのですが、前回と同じ道では、さすがに日記のネタにもなりません。

というわけで、苦手なのですがほんらいの参道を歩いて下ることにしました。

この参道、石がでかく歩幅がとりづらいので、ずっと敬遠してきました。とはいえ、前回と違う経路じゃないとネタになりません。しぶしぶとおります。

途中の鏡山神社にて、これ以上雨がひどくならないよう、帰りつくまで傘なしで帰れるようお願いをします。このお願いが効いたのか、雨はひどくならず、甘木に帰りつくまで傘は不要でした。

古くから伝わる井戸の案内板に、この地に「磐井」の地名があることが記されています。九州王朝論者であれば、いま九州自動車道が走っている辺りに「磐井」があり、筑紫君磐井とは高良山を現王朝側から呼称したものだとすぐ気づくのですが、通説では八女ということになっています。

参道途中に「伊勢天照御祖神社」があります。元は麓にあったのが、江戸時代の大火が原因となり、最終的に現在の場所に移転してきました。筑後でいちばん古い内宮を勧請した神社とされています。

高良大社の参道で雪や雨で濡れたらすぐ滑るいちばんの難所、馬蹄石付近にやってきました。これ、元はここにあった磐座ではないかとされ、玉垂宮神秘書では、これを神籠石と呼称します。

隅にある「馬蹄石」の案内板にも、この辺りの経緯が簡単にまとめられています。

少し参道を下ったところから撮影してみると、巨大な磐座に小さい石を継ぎ足して、参道に仕上げていることがわかります。

じつはこの参道が歩きにくいのは、この馬蹄石付近だけでなく、全体的にでかい石を小さい石で埋めて参道っぽくしているこのつくりにあります。

二の鳥居まで歩きつきました。ここから、高樹神社に裏道からお参りすることができます。

久留米市御井町 高樹神社 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

ここは、玉垂命と彦山勢力でこの地を争奪した痕跡ともいえる神社です。ここでも、猫をみかけます。

高樹神社から、放生池を見下ろします。

今回も、西鉄久留米駅1階のにしてつストアで買った麩を、池の鯉にお供えします。

さすがに気温が1ケタということもあってか、信じられないくらい食いつきがよくありません。前回は、互いにぶつかって奪い合う威勢の良さがあってみていて楽しかったのですか(闘鶏ならぬ闘鯉状態)、今回はぜんぜんだめです。気温の高めな日に、出直すほかなさそうです……。

高良大社の一の鳥居までおりてきました。

路線バスが来るまで時間が20分ほどあったので、高良下宮社にもお参りします。

ここのポイントは、中央の下宮(高良山の遥拝所)ではなく、その正面向かって右脇にあります。幸神社が祀るのは、孝元天皇(大日本根子彦国牽天皇=やまとの中心にあって国をひっぱっていった王)。そして、かえるまたには「三階松」。

これが玉垂命が日本書紀で言う開化天皇(稚日本根子彦=最後(稚)のやまとの中心にあった王)ではないか、という説の根拠のひとつであり、宮地嶽に共通する三階松の紋章が、孝霊=孝元=開化、3人の「根子彦」を示しているのではないか?という説の根拠でもあります。つまり、神仏分離で徹底的に「神社」化されたいまの高良大社の姿より、その周辺部のほうが、古い痕跡をとどめているというのが、我々の理解です。

都会より田舎のほうに、むかしの習俗が残っているのに、似ています。

御井町バス停から、路線バスで西鉄久留米駅まで戻って、今回の登山は終わりです。

GPSログでおよそ8km、約4時間の運動でした。

後述するクリスマスオードブルの受け取りから戻ってきて、高良山登山に着ていった服や靴、リュックをすべて洗いました。とくに靴は、ゴムが傷むため底の泥を落とし、内側によくファブリーズをしてから、乾燥機にかけました。


クリスマスです。

クリスマスオードブルのお知らせ。 - 2023年11月13日の日録 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

いつも仕事をさせていただいているお店が、今年からクリスマスオードブルをはじめました。高良山から戻り、お店のある飯塚市まで車で行って、受け取ってきました。

とうぜん一度に一人で食える量ではないので、まず、昼弁当のおかずに出来そうなものをとりわけ、タッパーウェアにご飯の上から詰めておきます。冷凍しにくいフライドポテトや、ローストビーフは、ウィスキーの水割りでいただきました。

自分で褒めるのもなんですが、美味いです。昼の日替わり弁当が毎日完売するはずですわ、これ。