この文章は、以下の続編です。
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最後まで登るのを断念し、後日、登山のかっこうでの再訪を期して(荷物が増えるなぁ……)、麓へと下りていきます。
比較的傾斜がないところでiPhoneを地べたにおいて計測してもそれなりの坂であることがわかります。


さらに下山していくと、姫乃宮奥宮の鳥居がみえました。その下には、宮池というため池があります。周囲には桜の木が植えられていました。
本宮社遥拝所まで戻ってきました。ここが境内の境目とされているようです。画像左手は梅園として整備されています。


このむすひ池は、願い事を良き縁に導くようにご祈念いただく清らかな池です。
「むすひ」とは、人と人とを結ぶ意味だけではなく、天地・万物を生み出す霊的な意味があります。
神話の時代より私たち日本人は、自然を始め全てのものに神の存在をみいだす価値観があり、目に見えないものにも心配りをし、自然の驚異にも畏敬の念を懐き常に自然を崇め共存してまいりました。日本最古の書物「古事記」の冒頭は、「天地の初発の時、高天原に生りませる神の名は、天之御中主、次に高御産巣日神、次に神産巣日神。此の三柱の神は、並独神成り坐して、身を隠したまひき」と云う文章から始まっております。この天地開闢の最初に成った三柱の神は、造化三神と称えられ、世界(宇宙)の全ての源である むすひ(むすび)の神様です。
池の真ん中にある祠は、水神様の祠かとおもいましたが、案内板どおりなら造化三神を祀るのでしょうか?


姫乃宮です。
摂社 姫之宮は、御祭神の神裔 玉比売命(たまひめのみこと)を祀り、古来より女性の守護神として称えられ、安産・子授け・婦人病 特に縁結びの神様として篤い信仰があります。
本殿裏手には、良縁成就のむすひ池があります。
以前、田縣神社を訪問したさいにも玉比売(玉姫)が登場しました。
田縣神社では夫 御歳神とともに祀られていましたが、ここでは単独です。
以前書いた記事では、御歳神は天之忍穂耳(大歳神)の別名で、この玉姫はその妃である天細女(あめのうずめ)の可能性があるとしました。少なくとも、御歳神は天之忍穂耳の一族で、玉姫はその妃であるという解釈でよいでしょう。
(田縣神社と同じように考えてよいのかも……)
そうおもいつつ境内を見渡すと、参道のさきにあるのは、この姫乃宮だということに気づきます。たしかに参道から一直線の位置に本社がない神社はいくらでもありますが、真正面を受けるのが一段高いところにある摂社というのは、少々奇異です。


出雲の大国主神・事代主神を祀る。世に大国様・恵比須様として親しまれ、古くから福の神・縁結の神・農耕の神・医薬の神などの祖神として、又恵比須様は商売繁昌・学問の守護神として尊崇されています。正月3日の初ゑびす祭は、県下三大ゑびすの一つに数えられております。
同じく境内の大国恵比須神社に近づいてみて、驚きました。
九枚笹紋です。


あわてて姫乃宮に引き返すと、拝殿の幕に、九枚笹紋がもちいられています。見落とすところでした……。
笹紋や竹紋で大己貴(大国主)や大幡主を祀る一族は、たしかに存在します。
尾張一宮である真清田神社がそうですし、朝倉にある美奈宜神社もそうです(この日記を検索するだけでも、ほかの事例はいろいろあります)。
この神社、配置図をみればわかるとおり、なぜか参道を正面でうける高い位置に、姫乃宮があり、その脇に大国恵比須神社や楽田神社があります。


本社の社殿は、姫乃宮に直進する参道の脇、一段低いところに社務所と並んで建っています(そしてここにも九枚笹紋があります)。
神社の公式ホームページのこの画像をみて、参道の突き当りが摂社 姫乃宮で、途中の建物が本社社殿だと気づくひとはジモティ以外はいないでしょう。
なぜ、ここまで隠さないといけないのか?
どうやら答えは、この神宮遥拝所にありそうです。
「正面鳥居」とは、石段のさきにある鳥居のことでしょう。
なんと、本社社殿にケツを向けて、熱田と神宮を遥拝しろと書いてあるわけです。
もっといえば、社殿は熱田と神宮、つまり現王朝にずっと平伏することを強いられています。
高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴命に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。(『日本書紀』)
要は、高木大神が大国主をぶっ殺して、立派なお宮を建てて祀り上げたのとおなじことで、尾張の地を開拓した祖神は、現王朝側の人物ではありません。いちおう大縣大神と祀り上げられてはいますが、つねに平伏させられる立場なのです。
現在、真清田神社の祭神は上記の通り天火明命とされるが、かつては国常立尊祭神説や大己貴命祭神説など複数説が存在した。これらのうち国常立尊祭神説は、『真清田神社縁起(古縁起)』(室町時代末期頃成立)に記される説で、最も古い時代に遡る。
御神紋に同じ九枚笹紋をもちいる尾張一宮 真清田神社は、南北を神明社にはさまれ、祭神に近づけないよう緩衝地帯まで設けられた、ほぼ軟禁にちかいお宮でした。
ここは表向きは大縣大神として「開拓の祖神」を祀るとしながら、じっさいには遥拝所をつうじて熱田と神宮から封じ込まれる位置にあります。さらに一段高い、ほんらい社殿を建てて領地を見下ろす場所には、現王朝に縁のある姫乃宮が建っています。
なんと残酷な……。
お宮を建てて祀り上げてやっているだけ、温情を感謝しないといけないのでしょうか……。


楽田神社は地元楽田出身の御英霊をおまつりしている神社です。御英霊とは、日本の国を護るために勇敢に戦われ散華された方々の御霊(みたま)のことです。
この神社の創始は、昭和19年5月20日国の為に尊い命を捧げられた方々の御霊を慰めその崇高なる精神を永久に顕彰するために楽田城址城山に創建されました。しかし戦後の時代の変遷により昭和25年3月21日に大縣神社境内に遷座されております。現在、日露戦争で活躍された八代六郎海軍大将、またその兄松山義根(地元初の国会議員)をはじめ歴代村長等の自治功労者の御霊20柱、楽田出身の190柱の御英霊に併せ尾張出生の御英霊をお祀りしております。
境内にはほかにもいわゆる招魂社である楽田神社があります。
参道脇の社務所の並びには解除社というお宮もありました。祓戸の大神を祀るのでしょうか?


仕掛けに気づくと、なかなか重苦しい気分になってしまいました。
帰りみち、御神池の鯉をながめつつ、いずれ再訪していろいろ整理しないといけないと感じました。
(2022.12.11訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。