松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

愛知県犬山市宮山 大縣神社(前編)


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尾張二宮とされている神社です。はじめて訪問しました。
たいへん境内がひろく、画像は麓にある神社の入口で、本宮山という標高293mの山に奥宮があります。

大県神社 大縣神社

社伝によれば、当初本宮山(一名真霊山)の頂に鎮座。
垂仁天皇27年8月、山頂に荒魂を鎮め置き、麓に新宮を造営して、和魂を遷座されたという。
祭神は大縣大神。で、大縣大神とはという疑問。
寛文元年(1661)の棟札には、国狭槌尊となっているらしい。
一説には、大縣主の祖神である天津彦根命とも。
また、少彦名命とする説もある。
各地の一宮は大己貴命を祀ることが多く、二宮に少彦名命が祀られる例が多いため。
播磨二宮である荒田神社も少彦名命を祀り、大荒田ゆかりの当社も、尾張二宮だからという考え。

以前、「玄松子の記憶」でこの神社についての記述を読んでからずっと気になっていました。とはいえ、山頂の奥宮まで徒歩45分とあるため、数時間かけられるときをねらって、訪問しました。

地理院地図をもとに、おもな境内の配置と歩いた経路を示します。

境内入口に立派な案内板がありました。さすがにOCRで文字化は無理なので、公式ホームページから、神社の由緒を引用したいとおもいます。

大縣神社について

尾張開拓の祖神大縣大神を祀る当社は、古来より朝廷を始め衆庶の崇敬篤く、尾張の二宮様として親しまれ、事業繁栄・開運厄除の守護神として仰がれております。
当神社の御鎮座は古く、社伝によれば御祭神 大縣大神は、始め濃尾平野を見下ろす本宮山の頂に鎮座されておりましたが、垂仁天皇27年8月(紀元前3年)に現在の地に新宮を営み御遷座されたと伝えられております。延喜式神名帳には名神大社として登載され、大正7年11月28日に國幣中社に列せられました。

今回はたどり着くまで時間がかかりそうな、奥宮側から訪問することにしました。

本宮社参道入口の鳥居です。ここからは車両通行止です。名鉄小牧線の楽田駅からすでにここまで2km、麓の神社からすでに0.4km、本宮山まで1.4kmとあります。

それにしても、朝日がまぶしく感じられます。この日、訪問した時間がわるかったのか、このあともずっと画像撮影で逆光に悩まされることになります。

道が2つに分かれており、左に行くと本宮山、右に行くと姫乃宮奥宮です。

右にすすみ、かなりの坂を登ります。

姫乃宮奥宮です。撮影した画像のどれも手前の木で隠れていますが、祠のうえに岩があります。おそらくこれを御神体としているのでしょう。まさかきれいに撮れている画像がひとつもないとはおもいもしませんでした。

「また来い」という合図でしょうか(笑)

奥宮のある場所からまだ道が伸びています。道なりに歩いていくと、相澤山の山頂にでました。

雑木でおおわれ、けっして眺望はよくありません。

ここで「スーパー地形」を起動し、現在位置を確認します。地理院地図には歩いてきた道は記載がありません。

尾張富士・尾張本宮山・尾張白山の登山ルート | YAMAP / ヤマップ

こうなると頼れるのは「ヤマップ」のみで、どうやら分岐があってそれを探し当てれば、本宮山に向かうことができるようです。

相澤山頂から少し下りたところに、登ってくるときは気づきませんでしたが、右折する道があります。ただ、下り坂なのが気がかりで、まさか神社の反対側に出たりしないよな?と不安になりながら下っていきます。

下っていくと、なにか倒壊した建物があります。googleマップには「羽浦龍神・八大龍王」とありますが、これでしょうか。

羽釜が転がっており、割れた一升瓶や陶磁器が散乱しています。

奉天行者という石碑もあり、そもそもこの洞穴じたいが、どうみても自然のものではありません。江戸時代の採鉱現場跡や戦中の防空壕でみかける、地盤のかたそうなところを人間がくりぬいたやつです。

真っ暗ななか、龍神さまがひかえておられました。お榊の色つや、塩の溶け具合、やはりどなたか祭祀は行われているようです。どうみても神社の直営?という雰囲気はありません。

本宮山伝説

相澤山の岩窟は、戦後中国より引き上げてこられた行者が不動尊を奉ったもので八大龍王ではありません。また岩窟についても開削されたものです

インターネットの情報では、どうもこれ戦後に行者が開削した洞穴で、お不動さんを祀っているとのこと。それにしては龍神様っぽいのですが……。

ヤマップとスーパー地形のGPS情報をたよりに歩くと、本宮山への登山路に合流します。

けっこう歩いたつもりでしたが、まだ本宮山まで0.5kmもあります。しかもほんの数十m歩くと、標識のない分岐です。スーパー地形で確認すると左が山頂に向かう道のようです。

鳥居のさきに石段がみえ、さすがに登山のかっこうもせずこれ以上登るのはつらいので、ここで断念しました。いずれまた再挑戦ということで……。

この文章は、以下に続きます。 

愛知県犬山市宮山 大縣神社(後編) - 松村かえるの「かえるのねどこ」

 

(2022.12.11訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

2022年12月11日の日録 - 美風庵だより