美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

朝倉市林田 美奈宜神社


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美奈宜神社は、朝倉市荷原と、朝倉市林田の2か所あります。

朝倉市荷原 美奈宜神社 - 美風庵だより

荷原のほうの美奈宜神社は、これまでにも日記で何度か取り上げました。
今回は、林田の美奈宜神社を訪問しました。引っ越してきてすぐに一度来たきりで、ほとんど記憶がありません。

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083朝倉市林田の美奈宜神社社伝に驚いた!“神功皇后は肥前の高橋津に上陸し武雄(柄崎)温泉で湯浴 | ひぼろぎ逍遥

これが、今も残る高橋駅の高橋であることは疑う余地がありません。
しかも、「武雄市史」「武雄の歴史」などを読むと、明治の頃までは船が有明海の満ち潮に乗って上り、武雄よりも高橋の方が街並みも大きく賑やかであったことが書かれています。
してみると、縁起にある、肥前、高橋の津に凱旋は非常にリアルであり、そこから、また小舟にでも乗り換え、一里ほど離れた武雄温泉辺りに皇后と側近警護部隊が移動したことになりそうです。
凱旋した本隊は高橋あたりでドンチャカ騒ぎをやらかしたであろうことは想像するに難くありません。「肥前国風土記」に、「郡の西に温泉の出づる厳あり。岸峻しくて人跡まれにいたる」とあることから、今も裏山(桜山=蓬莱山)に険しい巌がある武雄温泉のことに違いありません。
ただ、これを遠方より補強する資料が現れた事は面白いと思います。

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境内の案内板にある高橋の津については、先行研究があります。赤貧もじつはこれを読むまで、「帰還する経路が有明海?」と謎でした。現在の地図で過去を理解しようとすることがどれだけ危険か、勉強させていただいたものです。

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楼門をはじめ、建物のいたるところに九枚笹紋が打たれています。

一宮市真清田 真清田神社 - 美風庵だより

ここ林田の美奈宜神社で、のちに出雲に飛ばされた神々は九枚笹紋を使うことがあると理解していなかったら、真清田神社の御祭神が誰か、おそらくは通説にひきずられたまま何も理解せずに立ち去っていたことでしょう。

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本殿裏に、荷原の美奈宜神社同様、筑前国式内社の分祠がずらりと並べられています。

根拠のある推測ではないのですが、荷原の美奈宜神社は攻め込んだほうの戦勝記念地であり、林田の美奈宜神社はやっつけられた側の鎮魂施設ではないか、という気がするのです。現在の皇室につながる権力層にしてみれば、戦勝記念地こそ式内社にふさわしいと考えるはずで、どうもこのあたりの混乱が、同じ名前の神社が二つ併存する根底にある気がするのです。

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[福岡県神社誌(抄)] 中巻3頁

[社名(御祭神)]美奈宜神社(素戔嗚命大己貴命事代主命

[社格]県社

[住所]朝倉郡蜷城村大字林田字大蜷城

[境内社(御祭神)]筑前十九神社、白峰神社(崇徳天皇
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(2019.09.11訪問)