名古屋(栄)に着いて、大縣神社に行く。
栄で降りたあと、あまりひさしぶりで地下鉄や地下街でおろおろしていて画像を撮り忘れました。
名鉄小牧線楽田(がくでん)駅から、大縣神社にむかいます。
一宮市真清田 真清田神社 - 美風庵だより (hatenadiary.jp)
稲沢市国府宮 国府宮神社 - 美風庵だより (hatenadiary.jp)
愛知県小牧市田県町 田縣神社 - 美風庵だより (hatenadiary.jp)
豊川市一宮町 砥鹿(とが)神社 - 美風庵だより (hatenadiary.jp)
ほかの尾張と三河の有名どころは何年かかけて回らせてもらいましたが、大縣神社は、今回がはじめてです。
大縣神社境内のあちこちに九枚笹紋があります。
尾張一宮とされる真清田神社も、九枚笹紋です。つまり、尾張の開拓者は笹紋をつかう一族だったことになります。
これが三河の砥鹿神社になると、亀甲紋です。
朝倉市林田 美奈宜神社 - 美風庵だより (hatenadiary.jp)
近所の神社でずばりなものを一例あげますが、大己貴(大国主)や大幡主を笹紋や竹紋で祀る神社があります。つまり、真清田神社や大縣神社の御祭神は、もともとは「国つ神」とか「出雲」とのちに現王朝から格下のレッテルを貼られた面々(につながる一族)だとわかるわけです。
それが三河になると、亀甲紋です。
つまり大己貴でも、時代がちがいます。大国主になってからの亀甲紋です。
おそらく、九州王朝からみた東端が尾張(終わり)だった時代があり、三河以東に進出するまで、しばらく間があったのではないか?というのが、現在の仮説です。
尾張総社とされる国府宮神社と、熱田神宮は、それぞれ桐紋に竹(笹)を組み合わせています。国府宮神社は、桐紋のまわりを竹が囲んでいますし、熱田神宮は、笹の上に桐紋がマウンティングしています。
以前はこの桐紋を九州王朝由来のものとしてかんがえていましたが、どうやら、それは間違っているかもしれません。
玉垂宮神秘書では、桐紋はウガヤフキアエズが使っていた紋章を、神器とともに玉垂命が継受したということになっていますが、一般的は、記紀どおり神武天皇が受け継いだとかんがえるのがふつうです。
日本国首相の記者会見やパスポートの桐紋は、皇統に背乗りした時点でいっしょにのっとったものであり、べつに九州王朝とは関係ないのです。
「神社めぐり」シリーズをはじめて3年以上経っていまごろ言うなと叱られそうですが、国府宮神社と熱田神宮が示すのは、先支配者に対する現王朝のマウンティングであり、尾張の国魂だの大縣大神だの真清田大神だのと存在をずばり書けないのは、それ自体が現王朝への忖度にほかなりません。
3年前、真清田神社を訪問したさい、南北から神明社でサンドイッチにされていることには気づいていましたが、これが何を意味するかまで、かんがえが及びませんでした。
今日「神社めぐり」記事用に、地理院地図を改変して社殿の配置図を作成しているのですが、大縣神社の社殿は、参道を向いていません。
社殿のさきには神宮遥拝所があり、神社が自ら、熱田と神宮をいっしょにお参りできますとアピールしているのです。
なんと残酷なことを。
社殿がこの位置にあるかぎり、現王朝に対して旧支配者は永遠にひざまづけ、と言っているわけです。しかも知らぬ人が有難がって神社の案内どおりここで遥拝すれば、社殿には尻をみせることになります。序列まるだしじゃないですか。
神社本庁教めここまでやるか!あるまじき所業!
以前、田県神社を訪問したさい、真清田神社や国府宮神社との祭神(のバック)のちがいに悩みましたが、大縣神社でまるで姫乃宮が中心であるかのような配置をみたとき、生き残りのために現王朝を受け入れたのだとわかります。これはつらい……。
楽田駅に戻る途中、諸钁(もろくわ)神社の前をとおりかかり、こちらも訪問してみました。
演奏会に行くまでと、バスターミナルに着くまで。
演奏会そのものの感想は、べつに掲載します。
午後から、演奏会会場である小牧市民会館にむかいました。
googleマップが、墓地を突っ切れと指示してきます。いくらなんでもどこの寺の墓地かわからんものを横切れるかよ……とおもっていたら、なんと道がありました。googleマップさん、うたがってすみません。
開場15分前に到着です。
中部フィルハーモニー交響楽団 第84回定期演奏会「秋山のベートーヴェン・ツィクルス6」 - 美風庵だより
演奏会の感想は、べつに記載しました。
演奏会終了後、名鉄小牧線の小牧駅に戻ってきました。
自販機をながめていると、なんと九州では売っていないドクターペッパーがありました。これ、サクランボのにおいがする炭酸飲料で好きなんですが、九州じゃネット通販でしか買えないのです。いやぁ、こんなところで巡り合えるとは……。