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御歳神と玉姫命
御歳神(ミトシノカミ)は素戔嗚尊(スサノオノミコオ)の孫で、大歳神(オオトシノカミ)の子。農業をつかさどる神様で五穀豊穣の守護神です。
玉姫命(タマヒメノミコト)は尾張地方開拓の祖神である大荒田命(オオアラタノミコト)の王女。尾張氏の健稲種命(タケイナダネノミコト)の妃。二男四女の子宝に恵まれたが、夫亡き後は故郷荒田の里(現鎮座地)に帰り、父を助け開拓に励み、子女教育に勉められ、その功績を称え、後に合祀しました。
神社の公式ホームページでは御歳神と玉姫命についてこのような説明があります。
この記述だけを事前情報として現地に向かうと、拝殿の扁額はなかなか立派な物部由来のものですし、なんせ御神紋は五七桐紋です。なかなかのごちゃ混ぜぶりに驚きます。
現地の案内板を眺めつつ、あらためてイチから考えてみることにしました。
まず、御歳神とは誰でしょうか。大年神は天之忍穂耳の別名であり、天之忍穂耳と天細女(あめのうずめ)の子が 御年神です。古事記は大年神をスサノオの子としており、公式ホームページの由緒もそこから来ているわけですが、天之忍穂耳は熊襲の出で阿蘇神社に祀られた健磐龍命の兄ですから、子となり得るわけがありません。
すると、この御歳神とは(a)天之忍穂耳本人(b)天之忍穂耳の子 御年神のいずれかだということになります。
では、この桐紋はどこから出てきたのでしょうか。案内板を読むと、どうやら豊臣氏との関係がありそうなのです。さすれば、まず桐紋の出どころは解決します。


案内板の示すまま、奥宮に向かうと、男性器そのものがいっぱい奉納されていました。
嘉麻市泉河内 天満宮 と 嘉穂郡桂川町内山田 天神社 - 美風庵だより
九州・福岡でこういう信仰に出くわすと、まず幸神さまを思い浮かべます。大己貴(大国主)か、猿田彦(山幸彦、饒速日命:にぎはやひ)というところです。
現在までの神社めぐりで、この地を最初に治めた神は大己貴・饒速日命・そして大己貴の義父で饒速日命の父 大幡主ではないかとにらんでいます。
するとどうしても、御祭神をあとから御歳神(天之忍穂耳、もしくはその子)で上書きしたのではないか?という疑問を抱かざるを得ないのです。
片方の玉姫命とは誰でしょうか?じつは訪問当初、天之忍穂耳の妃だった天細女(あめのうずめ)ではないかと考えていました(すでに発表した日記でもそう解釈しています)。基本的には夫婦神で間違いないとは考えているのですが、公式ホームページの記載だと、必ずしも地元ではそう考えてはいなかったということになります。この点が謎です。いずれ再訪し、もっと考えてみなければなりません。