名鉄電車の急行で一宮駅の次の駅は、国府宮です。名鉄には国府宮(こうのみや)とは別に国府(こう)駅もあります。国府宮駅は、尾張国の国府があったところで、国府駅は、三河国の国府があったところです。
国府宮神社はすでに一度訪れており、なんとも言えない既視感に親しみを覚えた場所です。
稲沢市のある辺りに海はありませんが、宮島鳥居が建っています。両部鳥居とも呼ばれる、支柱のある鳥居です。一般的には仏教の影響でつくられたものとされていますが、赤貧があちこち眺めていて感じるのは、もともと地盤の軟弱なところに鳥居を建てるための技術だったのではないかということです。海や、干拓地が発祥で、そこから展開してきた様式に思えます。
御神紋は、五七桐を竹で丸く囲んだもので、真清田神社で見た九枚笹との関連が伺えます。つまり、この神社をほんらい奉斎していた住民には、大己貴を祀っていた一族も混じっているということです。そして桐紋、とくに五七桐は武内宿禰(玉垂命)の御神紋であり、筑紫君の勢力下でもあったことになります。
御神紋と鳥居だけでなにが判ると思われるむきには、この神社の別宮のひとつが、宗形神社であるということが、重要な傍証になるでしょう。
また、もうひとつの別宮である大御霊神社も、大年神を祀るとされています。大年神は、大国主の配下で開拓にたずさわったという話もあれば、海幸彦の子という説もあってしょうじきわからない存在なのですが、少なくとも、親世代はどちらにしても九州発祥です。
広い参道を眺めていると、どこか筥崎宮を思い出します。建物があるからわかるわけで、このまま海に向かって伸びていると言われても、むかしのように田んぼばかりだったら、気づかないでしょう。
果たして、自分たちの先祖がわたってきた海を追慕して建てたのか、さらなる開拓精神で海をみつめていたのかは、知る由もありませんが、陸路より海路をとる民族が、この神社を祀っていたことは、間違いなさそうです。
(2019.06.13訪問)