先日、天神社と天満宮の混同について書いたばかりですが、おそらくわかりやすい実例ではないかと思い、嘉麻市泉河内の天満宮と嘉穂郡桂川町内山田の天神社を訪ねてみました。
住所だけ見てもピンと来ませんが、両社は、川をはさんで対岸同士に位置しています。川が集落の境界であり、現在は市町村界となっています。


泉河内側の神社の鳥居は「天満宮」で、境内には猿田彦の石碑があります。


赤瓦葺きの社殿は比較的きれいにしています。地元のかたの奉仕があるようです。
手をあわせながら神殿の扉をあけさせていただきました。地元のかたがお供えした果物があり、その先に、木像、陶製の御神像、太宰府天満宮のお札があります。
脇に刀を差した男性の木像と、見ようによっては子どもを抱いた女性か、大国主(大黒さま)と事代主(エビスさま)が一体になっているように見える陶器の像が、御祭神でしょう。太宰府天満宮の御神札は、あきらかにさいきん置かれたものです。御神像の材質が同じであれば夫婦神だとみるところですが、おそらく陶製の像がさきにあって、あとから木像は設置されたものと思います。天満宮としての体裁をととのえるまえから、ほかの祭神を祀る神社であったと考えたほうがよさそうです。何故、天満宮に衣替えしたのかは、謎ですが……。


川の対岸にある桂川町内山田の「天神社」です。こちらは旧村社として福岡県神社誌にも記載があることもあって、神社好きのブログで時折取り上げられています。
福岡県神社誌には御祭神が少彦名命とあり、事代主(エビスさま)の幼名です。天神社で梅鉢紋が使われていますが、御祭神は菅公ではありません。ネットの情報では、地元の教育委員会が発行した資料に、御祭神が事代主、大国主、菅公と記載されているとのことで、それがほんとうならほんとうで、さきほどの天満宮同様「祭神の上書き」が気になります。


各所にかかっている注連縄が県南でよく見かけるてるてる坊主付きのものです。


境内に切妻屋根の神社があり、なかをみると木製のち*こが複数本お供えされていました。
社名がないか、なかをのぞき込むと、木札に「幸神社」とあります。大善寺玉垂宮でも幸神社をみかけました。精力絶倫祈願というなかなかありえない願意の祈願があるという案内板に笑っていましたが、なんと、ここにもありました。
幸神は、一説には大国主のこととされています。奥さんも子どももたくさん居た大国主にあやかった子宝祈願・繁栄祈願ということになるのでしょうか。
つまりここも、菅公を祀る天神社という体裁をとりつつ、本殿では事代主(えびすさま)を祀り、摂社には大国主(大黒さま)を祀っているとみてよいでしょう。
なぜ、御祭神の上書きが起こったのか。もっといろいろ調べてみなければいけません。
(2019.06.03訪問)