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道路側から見て、二つの社殿が並んで建っています。画像向かって左が庄前神社で、右が印鑰神社です。印鑰神社に隠れて、祇園宮のお宮があります、これがおそらく福岡県神社誌でいう素戔嗚神社なのでしょう。
印鑰神社については、これまで何度も取り上げてきました。これまでの考えをまとめると、
・印鑰を倉の鍵としたのは後世の発想で、ほんらいは天岩戸の鍵を指す。つまり、貴人に会わせることが出来るひと、広い意味での「門守」を指す。
・大善寺玉垂宮の門守社は坂本社と呼ばれており、玉垂命の子 坂本命が門守役を務めている。同様の痕跡が、高良大社と久留米市山川町の王子宮にも残っている。
・道首名の塚(墓)がある夜明神社は、大善寺玉垂宮から徒歩圏内にある。
・以上から、印鑰神社に祀られる道首名・宇多能大禰奈は、玉垂命の一族のなかでも、坂本命を祖先とする一族であろうと見当がつく。
ということになります。
おそらくは、玉垂命の一族がこの地を統治していた名残が、この神社なのでしょう。
それよりも謎が多いのは、庄前神社のほうです。福岡県神社誌では、どう見ても平家ゆかりの神社なのですが、現地案内板は、草野永平を庄の前大明神として祀るとし、存在を隠しています。
ここにどのような理由があるのか……。どうも調べてみると、現在の久留米市田主丸町は、平家の荘園があったところのようです。その地に、平家の落人、とくに平清盛の息子 平知盛が落ち延びていることを知った源氏方は、草野永平に討伐を命じます。草野永平は攻めるに忍びなく、遠巻きにして見逃し、この庄の前から二位の尼ほかを船に乗せ逃がしたとのこと。見逃したお礼が、奉納されている鏡だというのです。
となると、この庄前神社は、現在の久留米水天宮の原型のひとつといえそうです。
それにしても、平家を祀る神社の御神紋が、源氏の代表紋とされる笹竜胆紋とは……。隠し通すための偽装とはいえ、敵方の紋章をもちいるとは、どれほど生きにくい時代を強いられて来たのか、感じ入ってしまいました。
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[福岡県神社誌(抄)]中巻188頁
[社名(御祭神)]印鑰神社(宇多能大禰奈神、菅原神)
[社格]村社
[住所]三井郡大橋村大字常持字内畑
[境内社(御祭神)]庄前神社(罔象女神、安徳天皇、平清盛、二位禅尼)、素戔嗚神社(素戔嗚命)、秋葉神社(軻遇突智命)
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(2020.04.04訪問)