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寛文5年(1665年)に山家宝満宮を勧請して建立されたと、現地案内板にあります。
すでにみたとおり、現在の山家宝満宮は、八幡大神(応神天皇)、玉依姫、神功皇后を祀っていることになっています。玉依姫のみの御祭祀は、宝満宮の原型をとどめているということです。
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タマとは霊(神霊、霊魂)のことで、ヨリとは憑りつくことを指す。すなわち、タマヨリビメとは「神霊の依り代となるヒメ(巫女)」を意味する。この名を持つ神は複数存在する。
・タマヨリビメ (日向神話) - 海童の娘。彦波瀲武草葺不合尊の妻で、神武天皇の母。
・玉櫛媛 - 玉依日売、活玉依媛とも。事代主神(大物主大神)の妻で、鴨王(三輪氏の祖)・媛蹈鞴五十鈴媛命(神武天皇の皇后)・五十鈴依媛命(綏靖天皇の皇后)の母。また、火雷神の妻で、賀茂別雷命の母。
・玉依姫命 - 『日本書紀』第9段の第7の一書にのみ登場。高皇産霊尊の娘万幡姫の娘。天忍骨命の妃で、天之杵火々置瀬尊の母。
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赤貧は宝満宮の玉依姫は、中筒男命=崇神天皇の母のことだと考えています。のちに、崇神天皇の息子(応仁天皇=八幡大神)と、神功皇后(応神天皇の生母)が併せ祀られるようになり、宝満宮と八幡宮の御祭神が一見おなじになっていくのです。
山家の地で、崇神天皇の武運を祈った玉依姫の母は、奇稲田姫です。
地元に宝満宮の「母宮」という言い伝えがある宝満宮が朝倉市堤にあります。また、その近くに乙姫として奇稲田姫を祀る神社があります。
朝倉市上浦 高天神社(鷂天神社:はいたかてんじんじゃ) - 美風庵だより
赤貧は、某研究者のいう「甘木朝倉に邪馬台国があった!」という話にはもともと懐疑的です。卑弥呼=天照大神のダンナは高木大神(高皇産霊神)であり、その前夫は大幡主ですから、この地にいわれはないと考えています。もし主張するなら高木大神の本拠 英彦山か、大幡主の本拠 博多でしょう。
ただ、現皇室(崇神王朝)の起源は、この甘木朝倉一帯に濃厚に存在するのです。
なぜこうも判りにくいのでしょうか。
本家嫡流ではなく分家傍流が結果として日本を支配する勢力となり、分家傍流が自らを本家嫡流ととらえなおし、当時外交のあった他国の文献をにらみながら創作してでっちあげた結果が、「古事記」「日本書紀」だからです。
そこに、神社めぐりをしながら真実をさぐる楽しみがあるのですが、なかなか骨が折れます。
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[福岡県神社誌(抄)] 中巻19頁
[社名(御祭神)]寳満宮(玉依姫)
[社格]村社
[住所]朝倉郡夜須村大字二字堤ノ上
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.10.19訪問)