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古事記と日本書紀を赤貧は信用しません。参考とはしますが、これを完璧な正解とはみなしません。うのみにすると、大やけどします。
日本書紀以後の歴史について書かれた書物に「続日本紀」があります。
http://www.j-texts.com/jodai/shoku4.html
この書の第4巻、元明天皇について書かれた部分、西暦でいえば708年のところに「亡命山沢。挟蔵禁書。百日不首。復罪如初」とあります。
意訳すると、「禁書をもって山に逃げ込んでいる連中は、100日以内に自首しないと恩赦を与えない」と元明天皇が即位にあたりお触れをだしたのです。
いまふうに言いなおせば、日本政府が公式の歴史書を策定するから、それと帳尻が合わない内容の本を持っている奴は焚書にするから差し出せ、逃げたらとっ捕まえて殺すぞ、と言っているわけです。
そんな経緯で作られた公式見解を、信用しますか?
記紀は、参考にはしても「つねに正解」としては扱ってはならない資料だと、わかります。もしこれが真実だけを書いたものなら、こんなお触れが必要なはずがないからです。
大本営発表だけを基礎資料として第二次大戦の戦果を集計するのと同じことです。
そこに、神社めぐりの楽しみがあります。
私たちが何者であったかを探る楽しみがあるのです。
いまの皇統(崇神王朝)による支配が完成する以前から、日本、倭国、やまと、どのような呼び方であったとしても、この国は存在していました。
ということは、かりに皇統が交替しても続く可能性は高いということです。
その王朝が、国民から支持されるかどうかは別ですが……。
室町幕府・織田・豊臣・江戸幕府・明治政府・自民党ときて、次の実権勢力はどうなるか、あと40年は生きているでしょうから、もしかするとなにか体験できるかもしれません。
久留米市北野町金島の坂本神社を出て、北宮司集落の宮地嶽神社を訪問しようとカーナビとにらめっこしていたら、ふと鳥居が見えます。近くの空き地に駐車して近づいてみると、天満宮とあります。
摂社末社のたぐいはみかけません。隣は、「鏡区公民館」です。
現地で福岡県神社誌をひらいてみると、確証はもてませんがおそらく旧村社のようです。氏子区域が鏡区となっているので、間違いないと思うのですが、玉垂御子神社がありません……。
(2019.07.27訪問)