福岡県神社誌に「宝満宮由来書によれば、当社山家宝満大明神は勧請由来の義に在らず」と紹介されています。つまり、ここが宝満宮の元宮だと主張しているわけです。
仕事場から戻って二日市に所用があり、遠回りして立ち寄ってみました。
ふつう宝満宮というと竈門神社のほうがはるかに有名です。この山家の宝満宮には、あんな小洒落た社務所はありません。
JR原田線を利用するひとであれば、参道の下を列車が通過するので鳥居をみることができます。赤貧も以前の仕事場に通うとき、たまに鳥居は見かけていましたが、じっさいにお参りしたことはありません。
職場から直行して20分もかからず到着しました。鳥居をくぐってJR原田線にかかる跨線橋を渡ると、さらに石段があります。
社殿は覆屋(鞘殿)がかけられており、県南でよく見るスタイルです。
社殿前の狛犬さんは前足を浮かせています。今、こういうのが作れるよい石工さんがはたして居るでしょうか。芸術性のたかい面白い狛犬です。
拝殿にはたくさんの絵馬がかけられており、社殿の背後には複数の境内社が所狭しと置かれています。
拝殿にかかる扁額をみればわかるとおり、八幡神・タマヨリビメ・神功皇后をお祀りしています。
No.004 3人の豊姫ともう一人の玉依姫 (1) | 宮原誠一の神社見聞牒
タマヨリビメについての細かい考察は、すでに先達が居るのでぜひそれを読んでほしいと思います。というより、じつは現時点で、読んでもよくわかっていません。
赤貧のこれまでの理解は、宝満宮に祀られているタマヨリビメは、神功皇后の姉で応神天皇のおばさん、というものでした。筥崎宮に祀られているタマヨリビメは、そのような由来で説明されています。
かたや、タマヨリビメは神武天皇の母親という話もあって、こちらの文脈で書かれた話では、神武東征の成功を宝満山で祈願したことになっています。
自分たちの存在を少しでも正当化したい、かっこよくみせたいと神社や為政者が粉飾するのは毎度のことで、どっちかがウソなのか、どちらも盛っているのか、話半分だろうな……とは感じていました。
さすがに4人を混同するようにわざと記述しているという主張には面喰いましたが。
ほんとうのところはどうなのでしょうか。あちこち回っているうちに、見えてくるかもしれません。