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赤貧の自宅から自転車で簡単に来ることができる、おそらくもっとも近い位置にある古代史理解の鍵となる神社です。
いろいろと書くよりも、地元のかたによる由来書きを読んでいただいたほうが、ことの重大性が理解できると思います。
記紀で最高神とされた天照大神(=卑弥呼=オオヒルメノムチ)と高木大神(高皇産霊神)を夫婦として祀る神社です。
そして社殿の背後には、大神社があります。こちらは、埴安命、つまり大幡主と天照大神を夫婦として祀る神社です。
記紀神話で天照大神が独身神として描かれたのはなぜか。赤貧は数年前にここに来るまで、まったく考えたこともありませんでした。要するに、誰かの妃であると書いた時点で、高天原の物語は現実性を帯びてしまい、ウソがばれて破綻してしまいます。かといって、いずれかの王のみを立てれば、ほかの勢力の子孫が黙っていません。なれば、王の存在を抹消して、孤高の女神として描くしかない。
高木大神が熊襲から入り婿で迎えたのが天之忍穂耳(草部吉見)であり、海幸彦です。
海幸山幸は釣り針をなくした話どころではなく、利権闘争そのものでした。
大幡主が消された理由もまた、ここにあります。赤貧ですらわかる話ですから、きっと国の中枢にいる為政者・学者・役人はわかっているに違いありません。
博多櫛田宮が県社で据え置かれたのも、このあたりが背景にあります。
無視はできないが、積極的に祀り上げたくない存在だったのです。
(2019.09.01訪問)