goo.gl福岡県神社誌を眺めていると、妙なことに気づきます。
八幡宮を名乗っている神社と、宝満宮を名乗っている神社の御祭神が同じだったりするのです。いちおう八幡宮は応神天皇(ホムタワケ)が主役であり、宝満宮は玉依姫(タマヨリビメ)が主役という違いはあるのですが、どうも生き残り戦略として意識して九州宗廟とされた宇佐神宮に接近していった結果でもある気がします。
現在の宝満宮竈門神社のホームページでは玉依姫以外の記述を見つけることができませんので、戦前に発行された福岡県神社誌の一部を掲載しておきます。
最初、このことにピンときていませんでした。1928年(昭和3年)に奉納された絵馬を眺めていると、女性が2人登場します。宇佐神宮の現在の見解では、比売大神は宗像三女神とされていますから、神功皇后含めれば4人いなければなりません。するとこれは誰だということになります。
福岡県神社誌をひらいてみたら、玉依姫だとある。
玉依姫は、三韓征伐の際、神功皇后(+筑紫君=玉垂命)に干珠・満珠の玉を授けた縁があります。これほどあちこちで濃密に祀られているということは、いかにこの戦いが重要なものであったかを物語っています。


晩御飯をいただきにいくついでに再訪しました。
元町長が鳥居に社号標に狛犬とどんどん寄進するのでやたらと入口だけは立派になっています。
社殿は三つ巴紋ばかりですごい発見があるわけでもないのですが、本殿に覆屋のある鞘殿形式になっているのが目をひきます。


拝殿の龍の彫り物はなかなか豪勢なものです。
末社は弓神社とされています。最初はだれかわからなかったのですが、福岡県神社誌に祭神が月弓命とあり、月読命(ツクヨミ)=大山祇(オオヤマツミ)さんだとわかります。要は、田主丸の三夜さまです。内宮・外宮に月夜見宮・月読宮と別宮まで作ってもらえる(応神天皇より)エライ神様です。
おそらく武神を祀る八幡宮からの連想なのでしょう。ツクヨミは戦の神ですし弓も引いたでしょうが、弓神とは……。
……と、ここまで考えてみると、ここは最初から八幡宮ではなかったのではないか、という気がします。むろん、この地を治めた千手氏の意向もあるでしょうが、まずは大山祇と宝満信仰があり、そこに八幡宮が被さっていったのでしょう。
1928年に奉納された絵馬に、干珠・満珠の玉を授けた玉依姫と神功皇后の三韓征伐の姿が描かれているのは、このお宮の主役はこの2人です(応神天皇はカモフラージュです)、というメッセージなのかもしれません。
(2019.06.24訪問)