松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2024年3月9日の日録。

高良山に登る。

今日も高良山に登ります。

今回は、南の「妙見宮」から北の「妙見神社」に向けて歩きます。

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2024年2月11日の日録。 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

2月11日に落橋していて渡れなかった「座主墓」と、車道沿いで場所は知っていても寄り付けなかった「高良山地蔵」「礫山古墳」も、訪問してみることにしました。

下谷バス停で下車し北に向かい、まずは妙見宮(赤星神社)にお参りします。福岡県神社誌では「赤星神社」ですが、現地の鳥居と拝殿の扁額は「妙見宮」です。

高良内コースで高良大社を目指します。

下向坂(旧参道)にたどり着きました。

高良大社と境内社を順にお参りします。このあと、今回は八方除けのお守りを3つ、授与所でいただきました。

久留米つつじの原木は、天保7年(1836年)の絵図にすでに描かれており、200年以上この地にあることになります。

今回も、高良山茶屋で肉うどんとお稲荷さんをいただきます。このお店は「自家製ところてん」が有名なのはたしかですが、気温ひとケタのクソ寒いなか、私以外のお客さんが「黒蜜をかけたところてん」を注文しているのには驚きました。観光ガイドの読みすぎというか、寒くないの?

参道を下ると、高良山本坊跡の山門が見えてきます。

仏教施設ですが、久留米城を明け渡した有馬藩の殿様が住居として使用することになったので破壊をまぬがれ、のちに宮司邸として使われたとのこと。現在は山門がのこるのみとなっています。

建物は破壊され空き地がひろがっています。屋敷の井戸や池があったであろう跡もありました。

謎はこの石を削ってつくられた穴です。防空壕だと思うのですが……。

山門をふたたびくぐって、座主墓に向かいます。

案内板にしたがい、座主墓を目指します。

高良山に仏教をもたらした隆慶上人を祖とする座主の家系は、48代つづき室町時代で途絶えました。江戸時代は東叡山、つまり寛永寺から任命された者が座主として赴任してくるようになります。

この荒れ放題のお墓が、じつは隆慶上人の血縁者のお墓だったりします。

江戸時代に赴任してきた座主の墓や供養塔(次の者が任命されれば都に戻るため墓ではない)です。さきほどの墓より一段高いところにつくられています。

さらに一段高いところに「開祖隆慶国師霊塔」があります。高良山の歴史について書かれた一般向けのテキストでは「隆慶上人」とあるため寛永寺支配の時代は天台の寺だったはずで(天台宗でも国師ってつかうんだ)と少し考えてしまいます。

さきに掲載したとおり、神籠石コースと合流する歩道は落橋して使えません。しかたがないので、路側帯の白線すらろくにない車道を、車に申し訳ないと思いつつ、歩くことにします。

途中から、神籠石コースに合流します。路側帯のない車道で、足腰を鍛えるために走る競輪選手や参拝客の乗用車をやり過ごしながら歩くのとは、安心感がまるで違います。

今日も大学稲荷神社にお参りします。

今日はここから「礫山古墳」と「高良山地蔵」に向かうことにしました。

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12月31日の日録(高良山登山編) - 松村かえるの「かえるのねどこ」

じつは2021年12月31日に、他のかたの登山記録を読んで南谷水門を探したことがあります。そのとき、むかしは道だったと思われる場所をふらふらと歩き、場所がわからなくなって、なんとか車道に出て助かったことがあります。

こんどは、あのとき迷った道をたどりつつ、そのエリアにあるはずの「礫山古墳」と「高良山地蔵」をさがせばよいわけです。

道なのか踏み跡なのかも判別つかない場所を歩いていくと、「礫山古墳」の屋根が見えてきました。

礫山(つぶてやま)というのは、この古墳が在る山の名前です。

昭和八年十一月、三井郡御井町の企画で、自動車道路を建設中、愛宕神社東北約五十メートルの所、礫山と称する所で、偶然古墳が発見された。地下およそ六十センチメ−トルの石蓋を取り除くと、地磐は古生層滑石片岩からなる岩磐が出てき、その中にみごとにくり抜かれた舟型の石棺が発見された。内部には朱粉が多量に塗られていた。掘り進むうちに、次々と石棺が発見され、中には盗掘された形跡がみられ、半壊していて惜しまれたが、保存状態はほぼ良好であった。石棺は全部で四つ発見されたが、四つ目の石棺の蓋を取り去ると、朱粉で塗られた棺の中に、指で軽く押しただけでもつぶれる位風化した骨片が発見された。当時の九州医学専門学校(現久留米大医学部)教授八重津輝勝氏の鑑定によれば、十歳以下の女の子の骨であると判明した。他の棺内の人骨は、すでに風化してしまっていたようである。

御井町誌 第二章 府中・街道とその周辺 2-4

この八重津輝勝氏はいまの長崎大学医学部(長崎医学専門学校)を卒業後、いまの久留米大学医学部(九州医学専門学校)の解剖学講座初代教授となったかたです。家は代々有馬藩の医師を勤めていたとのこと。

石をくりぬいてつくった石棺を、眺めることができます。

つづいて「高良山地蔵」にやってきました。車道からだと丸見えの位置なのでむかしから知ってはいたものの、まさか路側帯すらない道でカーブの途中に路駐するわけにはいきませんから、そのうち行こうと思ってそのままになっていました。

ここはもともと、高良山の地蔵堂があった場所だとされています。

現在おさめられているお地蔵さんは、その地蔵堂とは関係なく、廃仏毀釈でぶっ壊された山内のお寺や僧坊にあったものを避難させたものとのこと。

いかに明治期の文化破壊活動がひどかったかがわかります。

このお地蔵さんたち似ているような気もするのですが、やはり同じ高良山中ということで、製造元も同じなのでしょうか?

以前道に迷ったときは、思いきって車道を歩いて脱出したのですが、今回はまだ15時前で時間があります。

GPSと地図を確認しながら、むかしの地図に載っている道らしきなにかを歩いていきます。

神籠石の列石らしきものにたどり着き、それに沿って登っていくと、神籠石コースの案内板がある位置に着きました。

南谷水門から、高良大社二の鳥居前に出ました。もう14時半すぎているのに、いまから登ってくるハイキング客や自転車が居るのに驚きます。下山するころには暗くなってたりしないんでしょうかね……。

このままだと北の妙見神社に向かって下山できないため、いったん北谷コースを登り直し、吉見岳展望所に出ます。高良会館(社務所)がよく見えます。

展望所で休憩しました。いつもの明治「ガルボ」のほか、味覚糖さんの「むっちりグミ」をいただきます。

いつもは真っすぐ高良山に向かう道を、今日は左に曲がって王子池や妙見神社のほうへ向かいます。

久留米市山川町 高木社(妙見神社) - 松村かえるの「かえるのねどこ」

ここは江戸時代まで高良山の「妙見堂」でした。廃仏毀釈で高皇産霊神を祀る「高木神社」にいちど衣替えしたものの、現在は妙見菩薩として高皇産霊神を祀る妙見神社、ということになっています。

そこまで頑張って神様にこじつけなくても、妙見菩薩を祀る妙見堂でよさそうな気もするのですが、神道としてはそれではまずいのでしょう。

そのあと王子池の横をぬけて高良御子神社と坂本神社にお参りしました。無事下山できたことに感謝します。

今日は、約7km歩きました。

ためしに明治時代の地図と今回のGPSログを合成してみると、思っていたよりも当時の道と歩いた経路が一致しないことに驚きます。作図の精度の問題なのか、それともほんとうに当時といまでは道が違うのか……謎です。

 

お守りの取り替え。

今日は高良山で、八方除けのお守りを3ついただいてきました。お守りの包み紙は社務所で自作しているのか、個体差があります。

まいにち持ち歩いている穴守稲荷さんの神砂守が汚れて汗臭くなってきたので、取り替えます。

穴守稲荷さんの神砂守の赤は心願成就、黄色は金運の願意があるとのこと。

高良山の八方除けのお守りをひとつ開封し、神砂守の赤のきんちゃく袋を開けて、中に入れてまとめます。

汚れた黄色の神砂守から、金運のお守りにしているメイプルリーフ金貨(1/10オンス)を取り出します。これも汚れを拭いて、黄色の神砂守のきんちゃく袋のなかに詰め直します。

新しい神砂守のひもをきつくしばり直し、口がひらいてお守りや金貨が逃げないようにしたら、完成です。

これで手持ち最後の神砂守なので、このあと穴守稲荷さんに新しい神砂守2種類2つずつ郵送してくれるようお願いのメールをしました。

 

今日はゆず湯ならぬパール柑と夏みかん湯

オレンジ色のほうは、先日、議員宅隣の空き地で収穫した夏みかんの皮です。黄色いのは、パール柑という文旦(ざぼん)の仲間で「今年のは甘い。自信がある」と近所のかたからいただき、中身を食った残りの皮です。

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2024年3月3日の日録。 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

前回は「そうだお風呂に入れよう」と思いたって残した1/2個分の皮しか使っていなかったため、香りがよわくたいしたことなかったのですが、さすが2個分つかうと、ゴージャスなくらい香りがします。

とくにパール柑は、皮から染み出る油から立ち上る香りがたまりません。

どうせ風呂に入れるならかんきつ類の皮をケチっては、いけません。よくわかりました。