朝起きてブログやニュースをチェックしていると、どうやら元旦の朝は冷えるようです。いくら元旦といえどもあまり寒い日に動きたくはないので、1日早いですが、高良山に登っておくことにしました。
西鉄久留米駅に着いて、まず昼食をいただきます。
よほどのことがなければそばを食う習慣がないので、今回もお昼は肉うどんとかしわのおにぎりをいただきました。世のなかほかにもうどん屋はあるのですが、やはりここは食いつけた味で、安心感があります。
今回は、往復で6kmほど、お参りをして戻るだけのコースです。
日ごろ使わない「神籠石」コースを往復しました。
「紫山住宅前」バス停で路線バスを下車し、学生のころは週に何度もとおっていた道を歩きます。現在はコインランドリーですが、以前はセブンイレブンでした。
突き当りは「高良下宮社」です。山上の高良大社(玉垂宮)の遥拝所であり、かつ府中(現久留米市御井町)の鎮守でもありました。
大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと) - 『日本書紀』
ここは幸神として、孝元天皇を祀っています。
大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと) - 『日本書紀』
稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと) - 『日本書紀』
以前から書いているとおり「稚」には「おくて、晩生、晩稲」の意味があります。要は、最後・ラストというわけです。
前後3代続けて「ヤマトの中核・中心に居た男」という名前が続きます。
神日本磐余彦天皇(かむやまといわれびこのすめらみこと) - 『日本書紀』
この「ヤマト」は、おそらく神武天皇が名乗った「ヤマト」でしょう。
この案内板は2代目で、むかしは手書きでした。あの当時、案内板を眺めながら感じた違和感が、だんだん記紀神話への疑いとなり、九州王朝説を支持するようになります。
御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと) - 『日本書紀』
また『日本書紀』における神武天皇の称号『始馭天下之天皇』と崇神天皇の称号である『御肇國天皇』はどちらも「はつくにしらすすめらみこと」と読める。「初めて国を治めた天皇」と解釈するならば、初めて国を治めた天皇が二人存在することになる。これについては、神武の称号にみえる「天下」という抽象的な語は崇神の称号の「国」という具体的な語より形而上的な概念であるため、本来は崇神が初代天皇であったが後代になって神武とそれに続く八代の系譜が付け加えられたと考える説がある(『常陸風土記』にも「初國所知美麻貴天皇」とある)。
なぜか、初代王が二人居るのです。不思議ですね。ここから、九州王朝最後の天皇が高良玉垂命(開化天皇)であり、崇神以降の現王朝は別系統だと考えるようになりました。
築造時期や規模から、宝賀寿男や地元研究者などにより、この古墳を邪馬台国の卑弥呼の墓ではないかとする意見がある。
(略)
形状不明のG1号墓主体からは3世紀の畿内では出土していない刀子、鉄鏃、剣、刀身などの鉄製武器だけでなく、鎌、錐、手斧鍬などの鉄製農具も出土している。
祇園山古墳には写真を撮影しているかたがおられましたので、手短に立ち去りました。
祇園山古墳は卑弥呼の墓どころではないかもしれないのですが、記紀に歯向かわないように解釈するなら、このあたりが限界でしょう。
石室はむきだしで、3割ほど高速道路工事で削られ、保存状態はけっしてよくありません。現王朝に忖度する側からみれば、存在してほしくない遺跡なのがよくわかります。
愛宕神社を過ぎて大学稲荷神社近くまで来ると「即心の墓」があります。
中央の立派な墓が、即心和尚のもののようです。手をあわせます。
大学稲荷神社をお参りして、ふたたび坂道をのぼると、巨石が並んでいるのがわかります。
この巨石が神籠石(こうごいし)です。
即心の墓を過ぎて、「神籠石」コースにここから合流します。
列石の横を歩いていくと、県道と合流します。
登り側はカーブで車体がみえないため、車のエンジン音がしないのをたしかめてから、足早に県道を渡ります。
ここからまた列石の横を歩き、石が途切れたところで案内板に従い、坂を登ります。
高良大社の旧参道に合流しました。
境内からは、久留米や小郡、佐賀方面が一望できます。
境内の桜は新しい葉が芽吹いていました。花だけが残って、なかなか面白い姿です。
今年も、回廊の手前に特設の賽銭箱があります。どうやら広前には参拝者を入れないようです。
(けちくさいなぁ……。近くで拝ませてくれりゃいいのに)
そう思いつつ中をのぞくと、なんと椅子が天日干しされています。
拝殿のなかに入りきれない祈願者を、まさかとは思いますが青空天井で御祈祷させるつもりでしょうか……。
いつもならこの坂をまっすぐ大学稲荷のほうに下り、県道を歩いて下山するのですが、今日は、神籠石コースで二の鳥居まで下りてみようと考えました。右折します。
今日も山中で野良猫さんをよく見かけます。そのなかで一匹、遠巻きに尾行してきて、やたらと鳴く猫がいました。ふと、鯉の餌にしようと買っておいた「たまごボーロ」をひとにぎり与えます。
食わずに鳴き続けるため、不思議に感じましたが、気にせずこれまで歩いたことがない方向に行ってみることにしました。
途中までははっきりと踏み跡があったのですが、いつのまにか踏み跡が消えています。
地理院地図にGPSの経路を落としたものでは青色で表示したのが、どこを歩いているのかわからなくなった経路です。まだ14時台なのに急に薄暗くなり、どこも道のようで道ではありません。下の県道から車の音がするので山中なのはわかりますが、どうも方向感がつかめなくなります。
久留米のホテル ビジネスイン・シーガル | Business inn SEAGULL
抜け出せたきっかけは、でかい石があると思って近づいた墓地の残骸でした。散乱した墓石をたどっていくと、道らしき坂にたどり着き、青柳荘(という昔からある料理店)の前に出ました。
そんなに長い時間ではなかったはずですし、こんな低山で迷う要素はどこにもないのですが、なぜか方向がわからなくなりました。
やっとこ、ほんとうはさくっと下ってこれたはずの二の鳥居まで下りてきました。
あとでインターネット検索したところ、緑線が経路だったそうです。こんど確かめないといけません。
御神池(手洗池)に到着し、鯉に「たまごボーロ」を投げてしばらく過ごします。
麩が欲しかったのですが、うっかりスーパーで買っておくのを忘れ、コンビニに「たまごボーロ」しかなかったので、こちらにしました。麩とちがいすぐ沈むため、鯉の目にとまる時間がすくなく、なかなか食いついてくれません。
途中、二人のかた(ピンクコートの女性、白髪の男性)が、麩やパンを与えておられました。けっこう、給餌に来るかたは居るようです。白髪の男性は、食パンの耳を自分でかじりつつ、なかの白いところをちぎって、池に放り込んでいました。
「御井町」バス停まで歩き着いて、約3時間の旅も終了です。
モスバーガー西鉄久留米駅前店 | 店舗案内 | モスバーガー公式サイト
西鉄久留米駅まで戻り、今年の食い納めにモスバーガーをいただきました。
マックやロッテリアには行きませんが、なぜかむかしからモスバーガーだけは行きます。株主優待券めあてに株まで買う始末です。いま住んでいるマンションから徒歩数分のところにモスバーガーがあったのですが、駐車場がせまいため移転してしまいました。数年後、モスがあったところの横の田んぼが埋め立てられ、なにができるのかとおもったら、マクドナルドだったのには驚きましたが。
高良大社で授与していただいた一刀彫を、12年前のものと新旧ならべて撮影してみました。同じ寅でも、だいぶデザインが変わりました。おとなしそうな感じです。12年でずいぶんと黒く日焼けした寅さんは、こんどは仕事場に持って行って机に飾ろうと思います。
これまで牛さんが居た場所に、寅を置きました。
赤酒でつけたお屠蘇と市販の鏡餅、数の子とお菓子で、神棚の正月飾りとしました。