松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

大野城市筒井2丁目 九郎神社(黒男神社)


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この「神社めぐり」シリーズは、福岡県神社誌に記載の社号のあとに、( )つきで現地社号標・扁額を記載するようにしています。福岡県神社誌の現物を手に入れてページを突き合わせるときにやりやすいようにしているわけですが、黒男神社は意外と表記ゆれの多い社号です。九郎天神・九郎大明神・供老大明神・黒男大明神といったぐあいで、ここも神社誌と現地扁額の社号がことなります。

大分県日田市十二町 玉垂神社 再訪 - 美風庵だより

春日市春日2丁目 九郎天神 - 美風庵だより

また、黒男さま(九郎さま・供老さま)を、宇佐神宮(宇佐八幡宮)の黒男神社をはじめ、武内宿禰とかんがえるのが一般的ですが、ここは神功皇后と武内宿禰の2柱を祀ります。

参道入口です。

明治13年 (1880年)にしてはピカピカなので驚きましたが、平成5年(1993年)に復元されたものと柱の裏にあります。

本殿(石祠)に、石の間の渡り、拝殿と、シンプルかつ古風なつくりです。

石祠の御神紋は、どうも三つ柏紋にみえます。武内宿禰と神功皇后で三つ柏はいまのところほかで見た記憶がなく、もしかすると奉納者やもともと祭祀をしていた有力者の家紋かもしれません。

拝殿の上になにやら大事に保管されているものは、なんでしょう?

黒男(九郎)神社の由来

鎮座地 大野村筒井字九郎
祭神 息良帯日賣命、武内宿禰

由緒
欽明天皇の頃、玉手翁が散歩をしていると、西の方から白い雲が現れました。その雲の中には弓矢を手にした、輝くばかりに美しい女神がいらっしゃいました。そして「私は息良帯日賣命です。昔、金銀に満ちた新羅の国をせめようと思ったが、兵が思うように集まりません。そこで、私は女の身で男の身なりをして先頭にたちたたかい、多くの国々を従えました。そして、ここで新羅を伐つことを多くの神々に祈りました。そうすると、兵がたくさん集まり、海を渡って、新羅をせめ落すことができました。のちの世に、このできごとを知る人がいません。私はここにとどまって、末永く国の安全と人々の生活をお守りいたしましょう。鏡を神器としここに神社を建てなさい」というと、雲に乗って立ち去られました。

昭和六十年五月吉日献納 氏子中 

「玉手翁?」と気になり過去に収集した資料をさがします。

【3】八幡古表神社の再興 | 福岡県築上郡 吉富町行政サイト

山国川河口の吹出浜(小犬丸)にある八幡古表神社は、対岸の中津市伊藤田の古要神社とは姉妹社で、ともに宇佐八幡宮の末社です。祭神は息長帯比売命・虚空津姫命。社伝によると、欽明天皇の御代、中津川のほとりに住む玉手翁が、雲上に弓矢を持つ神女を拝し、その神告により息長帯比売が三韓出兵の後、当地守護のため海辺の石上に天降ったという。そこで田川の銅鏡を神体として祠を建て、気長大神宮と称したと伝えています。

遠く大分県中津のちかく、築上郡吉富町の神社にも似たような伝承があります。

この古表神社は宇佐神宮と関連があるところです。もしかするとこの筒井の黒男神社も、ふるくは宇佐神宮と関係があったのかもしれません。すると、ここの石祠の御神鏡も、もともと田川(田川郡香春町に採銅所という地名があり、奈良の大仏や宇佐神宮の神鏡の原料を採掘したとされる場所です)の銅鏡だったのでしょうか?

黒男神社

御祭神
息長帯日売神(神功皇后)と武内宿禰命で応神皇朝の樹立(西暦二百七十年頃)に大いに貢献した人であり、長寿、忠誠、奉仕などの高い御神徳がある。
又、境内には二つの石神様が祭られている、阿波嶋大明神と塞大神である。

阿波嶋大明神
婦人の下の病に霊験あらたかな神であり、子授け、安産祈願の神であり、大野城市内には、阿波嶋さまはこの一基だけである。

塞大神
道祖神、道の神として信仰され、猿田彦大神とも習合して性の神にもなり、男女良縁、妊娠出産、幼児守護、子孫繁栄の神である。 

画像左が「阿波嶋大明神」、右が「塞大神」です。

そしてもうひとつ、ここは「盗人の宮」という伝承もあります。

盗人の宮(ぬすっとのみや)(下筒井)|大野城市

下筒井のお宮は、九郎天神社または黒男神社とも言いますが、別名「盗人の宮」とも呼ばれています。

(略)

森の奥に古い祠があります。それが天神様の祠であることを知った若者は、遠い昔藤原時平らのためにおとしいれられ、無実の罪をきせられて太宰府に流された菅公と、ちょうど今の自分が同じ境遇であることを思えば涙がこみあげ、どうぞ助けてくださいと一生懸命お願いしました。この若者が正直者であったので、天神様も願を聞き入れ、祠のかげにかくまってくださったのでしょうか、役人はすぐ側まで来ましたが、とうとう探し出すことができず、すごすごと奉行所へ帰って行きました。

天神様のおかげで捕らえられずにすんだ若者は、さんざん苦心して本当の盗人を探し出し、奉行所に連れて行って汚名をはらすことができました。

それからこのお宮を「盗人の宮」というようになったということです。

この言い伝えだと、九郎天神は菅公だということになります。どこかで御祭神が入れ替わった時代があるのでしょうか?

福岡県神社誌:下巻414頁
[社名(御祭神)]九郎神社(息長帯日売命、武内宿禰命)
[社格]無格社
[住所]筑紫郡大野村大字筒井字九郎
[由緒]記載なし。
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.10.02訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

10月2日の日録 - 美風庵だより