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2019年6月に一度訪問しています。今回は行程の途中にあるため再訪しました。
玉垂社と黒男社、どちらも武内宿禰をまつる : 地図を楽しむ・古代史の謎
前回、さすがに他のかたのブログ画像を貼りつけるのははばかられ遠慮したのですが、今回も発見することができなかったため、掲載します。
今回再訪して、ここは大原八幡宮の末社として「生かされた」のに気づきました。
新支配層が祀る大原八幡宮のほうが格上であることを示すには、旧支配層を祀る神社を末社として生かしておくのが目に見えてわかりやすいと考えたのでしょう。玉垂命は、武内宿禰という「臣下」として、現王朝からここでは取り扱われていたわけです。
境内社
黒男神社
祭神:武内宿禰
大鳥居近くに鎮座。
黒男社の社号を選んだきっかけは、おそらくは宇佐神宮の黒男神社ではないかと考えます。ここでは八幡大神(応神天皇)の随神として扱われており、九州王朝最後の天皇としては見る影もありません。
それでもやはり住民はわかっていたのか「黒男殿(くろおさま)」と呼び捨てにはしていないのです。この点にきづいただけでも、ここに来たかいがありました。
(2021.06.12訪問)