松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

嘉麻市貞月 天満宮


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ちょうど丁字路のところにあり、前の仕事場に勤務しているころから、前を通ることが多かった神社です。ただ、境内に入るのは、今回が初めてでした。

現地を訪問するまで、最初から天満宮だったのか、天神社から天満宮に変化したものなのかわからなかったのですが、おそらく最初から天満宮だったのではないかと思えます。福岡県神社誌にほとんど記載がなく、由緒についてはあれこれ想像するよりほかはありません。


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ひとつ参考となりそうなのが、大悲庵という寺跡の存在です。江戸時代の文献には現在の福岡市中央区今泉にある長円寺の末寺とあります。その長円寺は、現在の筑前町弥永にあった清月寺を慶長14年(1609年)に黒田藩が移転したものです(注:秋月藩の分立は1623年です)。

秋月藩領も驚くほど安楽寺(現在の太宰府天満宮)からの勧請が多かったところですから、もしかするとここも安楽寺からの勧請で創建されたのかもしれません。

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社殿よりも気になったのは、神武天皇遥拝所の存在です。

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後世に、元々建てられた方角を無視して移築されたものではないと仮定すれば、田川の地を向いて拝むことになります。

【崇神天皇の生誕地はどこか[1]】田川市位登 位登八幡神社 - 美風庵だより

【崇神天皇の生誕地はどこか[2]】田川郡川崎町池尻 大石神社 - 美風庵だより

【崇神天皇の生誕地はどこか[3]】田川郡川崎町田原 正八幡神社 - 美風庵だより

【崇神天皇の生誕地はどこか[4・終]】田川郡川崎町川崎 天降神社 - 美風庵だより

日本書記が分かりにくいのは、意図的に九州王朝の天皇である神武天皇と、背乗り簒奪王朝である現皇室の祖 崇神天皇(中筒男尊)を意図的にごちゃ混ぜにしている点にあります。

崇神天皇 - Wikipedia

日本書紀』における神武天皇の称号『始馭天下之天皇』と崇神天皇の称号である『御肇國天皇』はどちらも「はつくにしらすすめらみこと」と読める。「初めて国を治めた天皇」と解釈するならば、初めて国を治めた天皇が二人存在することになる。これについては、神武の称号にみえる「天下」という抽象的な語は崇神の称号の「国」という具体的な語より形而上的な概念であるため、本来は崇神が初代天皇であったが後代になって神武とそれに続く八代の系譜が付け加えられたと考える説がある[8](『常陸風土記』にも「初國所知美麻貴天皇」とある)。

田川の地を遥拝するということは、神武天皇を遥拝しているのではなく、崇神天皇を遥拝しているのでしょうか? 

福岡県神社誌:上巻358頁
[社名(御祭神)]天満宮菅原大神、中将、吉祥女)
[社格]村社
[住所]嘉穂郡大隈町大字貞月字長成
[境内社(御祭神)]高木神社(記載なし。)
(2021.01.23訪問)

 

7月11日の日録(籾岳登山編)

7月3日の日録(国道500号付替道路開通編) - 美風庵だより

先週、国道500号の付替道路をはじめて通ってみました。

その折、次に来るときは、あらたに付け替えられた十石林道から籾岳や十石山に登ってみようと考えたわけですが、11日、籾岳だけ登ることが出来ました。

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地形を感じる地図アプリ - スーパー地形

現在、主にiPhoneのGPSアプリとして「スーパー地形」を使用しています。ただこれは登山専用アプリではないため、事前に「ヤマップ」などのホームページから、目的地のGPSデータをダウンロードしておき、準備しておく必要があります。

籾岳と十石山の経路を前日夜にダウンロードして、準備しておきました。

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今回は、往復で13kmほど歩きました。

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朝8時に小石原川ダム事務所の駐車場に到着しました。まだ職員さんや公用車以外の車はありません。また一段と水が減ったようです。現在はまだダム躯体の試験稼働中とのこと。

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隣に東屋や芝生スペースを眺めつつ、おそらく新しい林道になるであろう道を登ります。なお、現在は作業用車以外は通行止めです。

一般車両の進入を防ぐため、土嚢で2か所ふさがれていました。

しかし、こんなふさぎ方をしたらあちこちにあるユンボやブルドーザにどうやって軽油を運ぶのだろう?と思いましたが、関係者だけがわかる作業道が別にあるのでしょう。

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前回来たときも、まるで墓石か卒塔婆かなにかのようで不気味だった苗木は、梅?など様々な樹種が準備されているようです。うまく根付いてくれると、景観も変わることでしょう。

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水資源機構により公園?として整備されるのは籾岳橋(だったと思います)の手前までのようで、橋を渡ると十石林道が顔を見せます。

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あちこちが崩れたままとなっています。利用者も少なく、おそらくダム湖側の整備が終わるまで放置しておくつもりなのでしょう。

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休憩所には東屋と展望台がありましたが、展望台の地図(案内板)は錆びくれて読めず、東屋は横で火を使った跡がある始末。階段も、木が腐ってほぼ自然に還っています。

なんとか、江川ダムの一部を拝める程度で、視界も良好ではありません。たぶん、昭和末期か平成初期、出来立てのころはちゃんと機能していたのだと思います。周囲の木々が育ち、すっかり用をなさなくなってしまったのでしょう。

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目的の籾岳が見えてきました。

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事前に、複数のかたのGPSデータをダウンロードして、アプリで確認しながら歩いていました。最も短絡路と思われた経路は、まるで土砂崩れの跡のようです。昨晩確認したとき「谷をよじ登った」という文字が見えたのでまさかと思っていましたが、これを登るのは……。

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あちこち崩落していますし、もしかするとダメなのか?と不安になりつつ、もう一方の取り付きを目指します。

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事前に保存したGPSデータで、もう一方の取り付きとなっていた場所にたどり着きました。

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ピンクのテープが巻かれており、どうやらここで間違いないようです。

さっそく、よじ登ることにしました。

しかし、思った以上に傾斜が急です。両手で樹や枝をつかみながら、身体を引き寄せて歩くような感じとなり、腕が疲れます。

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しまいには、横からみるとこんな感じの傾斜になってしまいました。

これ、ほんとうに登山路だろうか?騙されてないか?

そう疑惑を感じつつも、事前にダウンロードしたGPSのデータと位置は合致するため、間違ってはいないようです。驚きながら、さらによじ登ります。

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地理院地図で、破線は徒歩道とされています。赤い部分は地理院地図にありませんから、尾根を藪漕ぎでもしょうがないと諦めていたのですが、どこまで行ってもあまり状況が変わりません。でもGPSは正確に経路を示しています。

画像ではわかりにくいのですが、うっすらと霧がかかりはじめ、風が強くなってきました。

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数分で平らになった場所にたどり着き、地面を見ると三角点がありました。

なんと、籾岳山頂に到着です。

事前の情報で、視界があるわけでもなく、面白みはないらしいことは知っていましたが、なんともあっけない感じでした。三角点の上に腰かけて、ペットボトルのコーヒーと、カロリーメイトで軽食をとり、休憩します。首に巻いていたタオルを絞ると白濁した汗がしたたり落ち、強い風で少しずつ体の火照りがおさまっていきます。

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山頂から北側の斜面を眺めると、なんとブルドーザでつくった作業道が間近まで来ていました。

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事前に地理院地図やgoogleマップで航空写真をチェックした際、大規模な山崩れの現場なのだろうと考えてそれ以上気にしていなかったのですが、どうやら、作業道経由でこの山頂まで登れるようなのです。知っていれば、尾根を藪漕ぎしなかったのに……。

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ここで時間をとりすぎると十石山到着が遅くなるため、休憩もそこそこに、下山にとりかかります。下山ルートは、最初に目をつけていた経路をとることにして、少しずつ下りていくと、どうも方向が違うようです。このままだと、作業道の脇を歩いて行くことになります。

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あわてて山頂に引き返し、再度周囲を確認します。もうひとつピンクテープの印があり、かなりの急坂です。どうやらこれが、最初に目をつけた経路のようです。とてもこれを下山する気にはなれず、断念し、元の道を引き返します。

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来るときはあれほどわかりにくいと感じていたのが、下山中はすいすい身体が動きます。身体が覚えているといえばそれだけのことなのですが、これほど違うものなのですね……。

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途中、下り坂でつかんだ樹をよく見ると、2本の樹の根っこが融合していました。杉のほうが樹勢がつよいようですが、それでもしぶとく生き残っているのには感心します。

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登りはじめて約1時間半で、元の場所に戻ってきました。

このあと、十石林道を十石山のほうに向かって途中まで歩いたのですが、13時台には自宅に帰りつく必要があるため、引き返すことにしました。

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三奈木地区が一望できる場所にでました。山頂でこのくらい見えると良かったのですけどね……。

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籾岳山頂で見かけた作業道の起点はどこなのか、航空写真を眺めてふと気づき、休憩所の横から伸びている山道を少しだけ登ってみました。道幅的には、おそらくこれが作業道の入り口で間違いないようです。

今度機会があったら、こちらから登ってみても良いかもしれません。

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通行止めの土嚢のところまで戻ってきました。小石原川ダム事務所が見えます。

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朝は自分だけだったのに、さすがに12時過ぎともなると、見学客が複数おられました。しばらくは、物珍しさでにぎわうのではないでしょうか。

 

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帰宅してベランダで鉢植えの様子を確認すると、ナツメの枝や葉が枯れており、新しい枝や葉が出てきていました。7月に新芽が出るとは……。育て間違えたのでしょうか。

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金柑やミカンも青い実がついています。大きくなると良いのですが。

 

久留米市山本町豊田 天満神社(放光寺天満宮)


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車道を整備した際に移転させたのでしょうか。なかなか珍しい配置をしています。

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境内に入ると、社殿の向かって左手に2つお宮があります。眺めただけでは判別できませんでしたが、おそらく片方は、無格社天満神社で、もう片方が、境内社として記載のある八幡宮なのではないでしょうか。

放光寺と祖吟上人

国道210号線、久留米市山本町豊田日野曽根信号より南に1Km、耳納連山の中腹に向かう林道を進むと、放光寺跡地(善導寺より南西約4Km・車で約10分)があります。
この放光寺跡地は、善導寺史上最大の厄難の地と伝えられています。
天正12(1584)年、筑前立花城主・戸次道雪が、善導寺第19世祖吟(そぎん)上人(鎮蓮社大譽祖吟大和尚)をはじめ所化の上座12人、塔頭36人を放光寺に招き入れ殺害するという事件が起こりました。
当時善導寺の大檀那であった草野氏は、もと大分・大友氏に属していましたが、天正十二年、大友宗麟の元を離れて、佐賀の竜造寺氏と提携し、その所属となりました。そのため大友氏配下の戸次道雪は、草野氏を恨み、この殺害となったのです。

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放光寺という地名は、むかし存在した寺の名前が由来です。この放光寺天満宮からさらに山道を登ったところに夫婦池があり、どうやらこの付近に放光寺があったようなのですが、現地を歩いてもよく分かりませんでした。いずれ、再訪して調査したいと思います。 

福岡県神社誌:中巻193頁
[社名(御祭神)]天満神社(菅原神)
[社格]村社
[住所]三井郡山本村大字豊田字前田
[境内社(御祭神)]八幡宮応神天皇
(2021.01.17訪問)

福岡県神社誌:下巻421頁
[社名(御祭神)]天満神社(菅原神)
[社格]無格社
[住所]三井郡山本村大字豊田字前田
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.01.17訪問)

久留米市山川町 天満神社(竹ノ子天満神社)


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車道側からだと、ちょうど社殿の裏手から境内に進入することになります。正面向かって右手に、お地蔵さんと観音様の御堂があり、集落内の信仰対象をすべて同じ場所に集約したことがうかがえます。

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鳥居から神社が直接見渡せないようになっているのも印象的でしたが、道が竹林に伸びており、おそらく、いまの舗装路が整備される前の旧道の一部なのかもしれないと思うと、なかなか趣深いものがありました。

福岡県神社誌:下巻421頁
[社名(御祭神)]天満神社(菅原神)
[社格]無格社
[住所]三井郡山川村大字山川字大裏
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2021.01.17訪問)