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川崎町誌下巻669頁以降に、正八幡神社について記載があります。
それを読むと、この一帯は神功皇后の三韓征伐に付き従った田原麿(たはらまろ)の領地であり、
その子孫である田麿が貞観18年(876年)、御神託によりこの地に宇佐神宮を勧請したことがわかります。御神託の内容は、次のようなものだったようです。
「田川郡位登郷の樟の森は、我が母香椎明神(神功皇后)が三韓出兵のときに従った田原麿が住んでいるところである。我はこれにちなんで、穂波の本宮(=飯塚市大分八幡宮)に行き通うたびに休息しまた宿るところであった。なんじ田麿、我のために宮を造ってまつれば、我はそこに鎮まり領民の安寧を願うものである」
川崎町誌は現代文に書き下した記述が多く、読みやすく助かります。
この文章から、位登八幡神社(元は豊日別社)が元宮であることがわかります。そして、この神社を建てた時点の田原氏(田氏?)の本拠地につくられた分社が、この正八幡宮と言えそうです。位登八幡神社と違い、豊日別命が御祭神に配されていないことから、こちらは純粋に八幡宮として創建されたとみることができます。
拝殿正面に彫られた御神紋は、橘紋にも竜胆紋にも見えます。仮に竜胆紋であれば、この地も位登八幡神社同様、神功皇后の聖跡地としての記憶を残したまま、この地に分社してきたのでしょう。
社殿正面向かって左手に、須佐社と天満宮があります。右手には、明治以降に整理された地区内の石祠が大量に置かれていました。福岡県神社誌には大正2年(1913年)に、須佐社に合祀して整理したと記載があり、これがその痕跡なのでしょう。
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福岡県神社誌:下巻193頁
[社名(御祭神)]正八幡神社(応神天皇、仲哀天皇、神功皇后)
[社格]村社
[住所]田川郡川崎町大字田原字宮山
[境内社(御祭神)]須佐社(素佐男尊、罔象女神、高淤加美神、闇淤加美神、大地主事、事代主神、大山祗神、土祖神、倉稲魂命、稚産霊神、菅原道真、源英明、在原朝臣)、菅原社(菅原神)
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(2020.07.02訪問)