美風庵だより

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【崇神天皇の生誕地はどこか[4・終]】田川郡川崎町川崎 天降神社


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降神という名前で鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)を祀る神社です。

川崎町誌下巻668頁以降に記載の「由緒」をもとに、社伝のポイントをまとめてみます。

 

彦火火出見尊(山幸彦。猿田彦饒速日(にぎはやひ)といった別名もあります)が、海神 豊玉彦の娘 豊玉姫をつれて(竜宮城から)瑞穂の国へ帰国した。

・貴人の出産は、鵜(う)の鳥の羽で屋根を葺いた小屋で出産する習わしだったが、間に合わず生まれてしまったのが鵜葺草葺不合命である。

鵜葺草葺不合命は成人し玉依姫を妃とし、4人の子を成した。4番目が神武天皇である。

神武天皇は狩りをしながら諸国をめぐり、やがてこの地に住むようになった。神武天皇は獲った獲物を食べて暮らしていた。猪狩りをした場所が、猪鼻・猪膝・猪尻という地名に残っている。

・ある日、馬で猪を追っていたところ、馬が疲れて倒れた。神武天皇は馬を棄てて猪を捕らえたが、棄てた愛馬が気になり探し回ると、谷間に愛馬の死骸があるのを見つけた。ゆえにこの地を馬見山という。

神武天皇はこの地が気に入り、祖父母や兄弟を呼び寄せて住まわせた。

 

131 川崎町の帝階八幡神社とはどこか? “田川郡川崎町の正八幡宮は帝階八幡神社か?”: ひぼろぎ逍遥(跡宮)Sympathy for the Devil

正八幡宮 | 事代主のブログ

本社大石神社末社帝階八幡神社 - 飯山の昼行灯Ⅱ、福永晋三先生の邪馬台(やまと)国=豊国説

この4回シリーズの第1回目で紹介した先行研究のいずれも「これこそが神武天皇の足跡である」という主張です。じつは私もそのつもりで現地を訪問したのですが、現地を眺めているうちに違和感を感じます。

私や先行研究の基礎となっている「高良玉垂宮神秘書」では、初代住吉大明神 鵜葺草葺不合命には五人の子があることになっています。うち男子は安曇磯良、崇神天皇高良玉垂命です。

高良大社が発行した原書では、崇神天皇ではなく神武天皇となっていますが、これをそのまま受け取るひとは見たことがありません。世代が逆転してしまうからです。

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崇神天皇 - Wikipedia

日本書紀』における神武天皇の称号『始馭天下之天皇』と崇神天皇の称号である『御肇國天皇』はどちらも「はつくにしらすすめらみこと」と読める。

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これまでにも何度も主張してきたことですが「はじめて国を治めた王」が何故か日本書紀には二人存在します。これを、崇神天皇を源流とする一族(早い話が現皇室と藤原氏)による神武天皇への背乗りとするのが、私や先行研究の主張です。言い換えれば、王朝簒奪と言ってもよいでしょう。その王朝簒奪を正当化するために、古事記日本書紀記紀)が存在します。

久留米市北野町金島 天満宮 - 美風庵だより

1年ほどまえに書いた文章ですが、これが記紀という公式歴史書の実態です。昨年の記事で引用していたURL「https://www.j-texts.com/」のリンク先が消失しているため、少し長いですが、ほかから敢えて一部を掲載します。

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続日本紀 巻第四

和銅元年正月乙巳(乙未朔十一)、武蔵国秩父郡和銅。詔曰、(略)自和銅元年正月十一日昧爽以前大辟罪已下、罪無軽重、已発覚・未発覚、繋囚・見徒、咸赦除之。其犯八虐、故殺人。謀殺人已殺、賊盗、常赦所不免者、不在赦限。亡命山沢、挟蔵禁書、百日不首。(略)
訳:708(和銅元)年正月十一日(春正月乙巳)、武蔵野国秩父郡から和銅の献上があった。(略)。正月十一日夜明け以前の死罪以下罪の軽重に関わらず、既に発覚した罪も、まだ発覚しない罪も、獄につながれている囚人も全て許す。八虐を犯した者、故意の殺人、殺人を謀議して実行したもの、強盗窃盗と律により平常の赦に許されないとしている罪は除く。山川に逃げ、禁書をしまい隠して百日たっても自首しないものは罰する。
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 自らの権威を正当化するため、系譜の改ざんもあわせて行われました。各地の社寺にのこる社伝と、記紀が合わないことがあるのは、このためです。古社・大社ほど、目を付けられないよう積極的に記紀に沿った由緒を公表し、生き残るため、真実は奥深くにしまいこんできました。

つまり、この社伝に対しては、高良玉垂宮神秘書と同様、背乗りへの忖度を疑う必要があるのです。

 

現地の案内板では、以下の9柱の神様が御祭神とされています。

 第一殿 天降神    鵜葦草葦不合命
 第二殿 彦炎出見尊  天降神の父(天孫瓊瓊杵尊御子)
 第三殿 豊玉媛命   天降神の母
 第四殿 玉依媛命   天降神の妻
 第五殿 彦五瀬命   天降神の第一子
 第六殿 稻飯命    天降神の第二子
 第七殿 三毛入野命  天降神の第三子
 第八殿 磐余彦命   天降神の第四子 神武天皇
 第九殿 海若宮主神  天降神の祖父

少なくとも、この系譜には記紀を踏襲した嘘が2か所認められます。鵜葺草葺不合命の父が彦火火出見尊(山幸彦・猿田彦)である点は正しいのですが、彦火火出見尊(山幸彦・猿田彦)はニニギの子ではありません。また、鵜葺草葺不合命の子は安曇磯良であって、神武天皇崇神天皇ではありません。

この天降神社の正体はなにか。あわせて訪問した位登八幡宮・正八幡宮・大石神社とあわせて考えたとき、あきらかになります。

三養基郡みやき町白壁 千栗八幡宮 - 美風庵だより

神功皇后の聖跡地が近くにあり、半年の滞在記録があるのは、この地が神武天皇の故地だからではなく、彼女と関係があった崇神天皇の故地だったからでしょう。

御祭神をあらためて眺めると、崇神天皇の母 玉依姫の姿をみることができます。玉依姫の父は豊玉彦(豊日別命)であることを考えれば、崇神天皇の実父 大山咋(大物主)を隠し、鵜葺草葺不合命と取り替えて記紀に忖度し、いかにも神武天皇の神話にきこえるよう話をふくらませたのが社伝の実態ではないかと考えてしまうのです。

ここからほど近い池尻の大石神社は、その実態は大山咋(大物主)への祭祀ではないかとしました。父親(大山咋・大物主)と母親(玉依姫)と祖父(豊玉彦・豊日別命)の痕跡が濃厚なこの地こそ、崇神が幼いころを過ごした土地だったのかもしれません。

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福岡県神社誌:下巻192頁
[社名(御祭神)]天降神社(瓊瓊杵尊太玉命、児屋根命、彦火火出見命豊玉姫命玉依姫命彦五瀬命稲飯命三毛入野命、磐余彦命、鵜草葺不合尊)
[社格]村社
[住所]田川郡川崎町大字川崎字古椀
[境内社(御祭神)]若宮社、貴船社、天神社、猿田彦
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(2020.07.04訪問)