美風庵だより

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【崇神天皇の生誕地はどこか[1]】田川市位登 位登八幡神社


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今回から4日にわけて、田川市の位登八幡神社、田川郡川崎町の正八幡神社・大石神社・天降神社をとりあげます。この4社は社号も御祭神も違うため一見わかりにくいのですが、密接に崇神天皇の足跡で結びついています。

正八幡宮 | 事代主のブログ

131 川崎町の帝階八幡神社とはどこか? “田川郡川崎町の正八幡宮は帝階八幡神社か?”: ひぼろぎ逍遥(跡宮)Sympathy for the Devil

位登八幡神社・神功皇后は田原麿の城に半年も滞在した : ひもろぎ逍遥

本社大石神社末社帝階八幡神社 - 飯山の昼行灯Ⅱ、福永晋三先生の邪馬台(やまと)国=豊国説

ネットでは、多数のかたが神武天皇の痕跡としてとらえていることがわかります。

ただ、果たしてそうか?という疑問があるのです。

 

以下の福岡県神社誌の抜粋をみても御祭神がわかりにくいかもしれません。足仲彦天皇とは仲哀天皇、誉田天皇とは応神天皇、気長足姫尊とは神功皇后を指します。

豊日別命は、簡単に言えば豊前坊高住神社の御祭神です。この「神社めぐり」シリーズでは、別名の豊玉彦八咫烏(やたがらす)・思兼命(おもいかね)・豊国主のほうがなじみがあるかもしれません。

福岡県神社誌を読むと、ここは当初、豊日別社と呼ばれていたとあります。この地を神功皇后三韓征伐の凱旋で訪れ、半年ほど滞在したとの伝承があるようです。のちにこのことを記念し、神功皇后の聖跡地として、宇佐神宮が勧請され「位登正八幡宮」と改めたとあります。

私の理解でいくと「正八幡宮」「元八幡宮」という神社は、通常の応神天皇を祀る八幡宮とは毛色の異なる存在です。これらは、現王朝により応神天皇八幡大神という図式が強制される前の姿をとどめています。もともと八幡大神とは、大幡主をはじめとした武神に贈られた尊称であり、誰かが独占するものではありませんでした。例えるなら「征夷大将軍」を徳川家が専称しそれ以前の征夷大将軍を抹消する行為を行ったと考えれば、状況は理解しやすいでしょう。「元祖」「本家」をじつは祀っているのですよ、という必死のアピールなのです。

ということは、この神社を理解する際、豊日別命やその実父である大幡主を八幡大神として祀っていた神社が、宇佐神宮で上書きされたということでしょうか。

しかし、それだけで見方は十分なのか?

しばらく思案しているうちに、どうやら「正八幡」には二通りの解釈があり得ることに気づきました。一つは、前述したとおり「元祖」「本家」を地元の意思で協調したい場合です。もう一つは、押し付けた相手が「これが本家だ。お前らのはニセだ」と押し付けてくる場合です。まったく正反対なのですが、そのどちらも「正」と名乗り得ます。

豊日別命こと豊玉彦の娘が玉依姫で、天之忍穂耳の子 大山咋(おおやまくい)との間に、崇神天皇をもうけます。

筑紫野市山家 宝満宮(山家宝満宮) 再訪 - 美風庵だより

過去に、彼女が息子の成功を祈願した山家宝満宮を訪問しました。この玉依姫の実父をもともと祀る神社だったという点が、伏線として非常に重要な意味を持っているのです。

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境内には須佐神社とお稲荷さん、そして本殿背後に大量の石祠が並んでいます。えびす様(事代主)や秋葉社(加具土命=金山彦)の姿はかろうじて判別できましたが、石祠や石碑の多くは、文字が欠けてよく判別できませんでした。同じ地区内から集められたものでしょうか? 

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福岡県神社誌:下巻175頁
[社名(御祭神)]位登八幡神社(豊日別命、足仲彦天皇、誉田天皇、気長足姫尊、筑紫三柱神)
[社格]郷社
[住所]田川郡猪位金村大字位登字宮尾
[境内社(御祭神)]加藤社(清正公)、祇園社(須佐男命)
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(2020.07.02訪問)