美風庵だより

幻の花 散りぬ一輪 冬日の中

久留米市御井町 高樹神社


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高良大社に向かう途中にある、赤い屋根の神社です。ここが高木大神(高皇産霊神)を祀る高樹神社であることは以前から知っていたのですが、足が向かず、なかに入ったことはありませんでした。
久留米に在住していた時代ふくめて、今回が初訪問です。

福岡県神社誌では明治6年(1873年)に郷社に比定されたとあります。それほど由緒正しいお宮なら、もっと大きな立派な社殿でもよいのでは……。

そう思いつつ案内板をのぞき込みます。

玉垂命が入る前、高木大神(高皇産霊神)をこの地では高牟礼権現と呼び、地主神としてお祀りしていたとあります。学生のころ、たしかにこの話は聞いたことがありました。玉垂命が山上に結界を張り、戻れなくなったという話を、何の気なしに聞き流し(読み流し)、深く考えずにいたのです。
神社めぐりをするようになり、玉垂宮神秘書を入手していろいろと読むようになってみると、この高樹神社の重要性がわかってきます。

赤貧は古田史学の会などの古代史関連の研究会とはまったく無縁です。ホームページで公開されている情報をもとに彼らの動向を参考とするくらいなのですが、どうも玉垂命を筑後の三瀦あたりを拠点とした一族で、高木大神(高皇産霊神)との勢力争いの境目が筑後平野と考える向きが多いように思えます。南から北へ勢力を拡大したと考えるもので、赤貧もむかしはそれを当然のごとく受け入れていました。

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しかし、私たちは玉垂宮神秘書で、藤大臣 阿部相凾(あべのしょうかん)は四王寺山で初代住吉大明神 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)から神器を譲られ、玉垂命(筑紫君:開化天皇)に即位したことを知っていますから、むしろ北から南へ勢力を拡大し、拠点として筑後の支配を固めたのだとわかります。

そして、同じく神秘書には、彦山権現は「敵」だとも書かれています。現皇室(崇神王朝)の祖である高木大神(高皇産霊神)+天之忍穂耳(英彦山)が敵だというのだから、穏やかな話ではありません。

決して伝承にあるような「宿として借りた」なんてものではなかったはずです。筑後平野を一望できる高良山を、九州王朝(ヤマト系=神武天皇・玉垂命直系)と現皇室の一派(イリビコ系・ワケ系)勢力が奪い合ったガチンコの抗争としか思えません。
この高樹神社は、郷社と呼ぶにはあまりにも貧相で、無格社でももっと立派なものがいくらでもあるほどですが、まさに歴史の証人として、高良大社の表参道の前に、鎮座しているのです。
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福岡県神社誌:中巻159頁
[社名(御祭神)]高樹神社(高皇産霊神
[社格]郷社
[住所]三井郡御井町字神籠石
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2020.05.06訪問)