松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

佐賀県佐賀市伊勢町 伊勢神社


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伊勢神社

日本で唯一、伊勢神宮より破格の恩恵をうけ、分霊(ぶんれい)を勧請(かんじょう)することのできたお社(やしろ)です。
九州のお伊勢参りに是非お越しくださいませ。

伊勢神社 - さがの歴史・文化お宝帳

慶長8年(1603)鍋島町蛎久にあった伊勢大神宮の分霊を勧請してこの地に創建された。
藩祖鍋島直茂夫妻がこの社に参詣して長子勝茂(幼名伊勢松)の誕生をみたからと伝えられている。伊勢町の名はこの神社からとられたもので、ここの門前には江戸時代多くの旅篭屋があり、いまでもその面影を町並に残している。
伊勢大神宮の御分霊を勧請することは許されないことであるが、杉野隼人という人が戦国時代に、53回もお伊勢参りを繰り返したことから、大神宮の祠宮を感激させて佐賀だけが破格の恩典に恵まれたという。
毎年2月11日午前零時から玉替えの行事があり、商売繁昌や家内安全を祈願する参拝客で、いつもはひっそりとした静かな街道筋も、この日だけは祭の人出でごったがえす。祭の費用は佐賀市在住の大神1名、小神10名が支出する仕組みになっている。
この神社の入口にある肥前鳥居は、室町時代の末期ごろ肥前に発生した独特の石造文化財の一つで、江戸時代前期に最盛期を迎え、肥前の武将たちが好んだといわれ、慶長12年(1607)の造立銘があり、石造文化財としての価値が高い。
この神社の境内には寛文7年銘のある石彫の狛犬が二体点在している。きわめてユーモアに富み民芸的な格調を温存している。

蛎久の伊勢大神宮とは、いまの佐賀市鍋島町の蛎久天満宮境内にある大神宮のことで、鍋島直茂公が勝茂公の誕生を感謝して立派に作り直したのが、この伊勢神社であるということができます。戦国時代に50回以上伊勢参りをして分霊を許されたという話は、蛎久の伊勢大神宮についてのものと言え、分霊の分霊(つまり孫)というより、実質は城下に新築して移転にちかい扱いをうけたことがわかります。

最初よくわからず参道の一部かとおもっていたのですが、これ、旧長崎街道だそうです。左折する突き当りに肥前鳥居があり、ここからが神社の社地とのこと。

鳥居の扁額は「太神宮」です。大神宮とせず太神宮としたものをときおりみかけるので不思議でしたが、よくよくかんがえてみると(伊勢の)内宮は「皇太神宮」とも表記されるわけで、よりふるい時代につくられた扁額だと言えそうです。

参拝者駐車場前に長崎街道の案内板がありました。

拝殿前に、初詣用の仮設スロープが設けられていました。本殿は、いわゆる神明社でよくみるつくりになっています。

寛文7年(1667年)生まれの肥前狛犬さんは、境内のすみに鎮座していました。

境内には、えびす様と彦山権現が祀られています。案内板を読むかぎり、最初からここにあったわけではなさそうです。

伊勢恵比須神社御由緒

伊勢恵比須神社は、往路長崎街道の要路にあたり門前町として商売殷賑を極めた伊勢屋町の氏子一同がこれを御神徳と仰ぎ、寛保三年(1743年)に石造恵比須様を御神体として奉斎崇敬したもので、旧佐賀市にある恵比須様のなかでは最も古い恵比須様です。祭礼は、毎年二月十一日午前八時より伊勢神社大祭と同日執行されます。

英彦山大権現社御由緒

古来より神の山として信仰がある霊山英彦山に御鎮座の人々の病苦を救い、農業や牛馬・家内安全の神として古くから崇められし、英彦山神宮抵社高住神社(豊前坊)の御分霊を慶長年間、鍋島藩剣道師範蒲原右膳の屋敷裏鬼門に請せりと昭和三十年福岡在住の鐘ヶ江良照師方に英彦山大権現様出現されその旨を告げられました。以後その家(伊勢町二の二四)に住まいし大島浩嗣氏によりお守りされておりましたが、昭和五十七年大島氏の夢枕に英彦山大権現様現れ、伊勢神社境内に遷座せよとのお告げあり、大島氏は御神体とお社を奉納され、それ以降毎年正五九月年三回の祭典奉仕を、代々滞ることなく続けておられます。

えびす様は、このお宮がある伊勢町(伊勢屋町)で奉斎されていたものが伊勢神社内に移転してきたもので、もう片方の彦山権現は、屋敷の裏鬼門の守りとして勧請されたものが、土地の持ち主が変わっても代々祀られつづけ、最終的に伊勢神社内に移転してきたものだとわかります。

おどろくのは、彦山権現というからには現在の英彦山神宮、つまり彦山権現霊仙寺を勧請したのかとおもいきや、豊前坊(現在の高住神社)であるという点です。天之忍穂耳ではなく、豊玉彦(豊前坊天狗)なのです。

蒲原姓は佐賀市内に多い姓ですが、福岡県八女市蒲原が発祥という説もあり、そこがどう英彦山とむすびつくのかは、よくわかりません。

ここも以前訪問した鳩森稲荷神社同様、おそらくは地区内で祀られていたであろうえびすさまや金神さまが多数集められていました。

(2022.12.08訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

2022年12月8日の日録 - 美風庵だより