松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市西区橋本2丁目 八幡宮(橋本八幡宮)


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ショッピングモール(木の葉モール)や市営地下鉄橋本駅の裏側、再開発にあわせてつくられた4車線の県道沿いに、立派な森があります。ここが、橋本八幡宮です。

福岡市早良区高取1丁目 紅葉八幡宮 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

ここは、現在の福岡市西区高取1丁目にある紅葉八幡宮があった場所です。

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(略)

平安時代後期(年月日不祥)陸奥国柴田郡より筑前国に来たる柴田氏は産土神である八幡宮の御分霊を勧請したと伝えられる。柴田氏の子孫である柴田蔵人佐繁信親子は橋本村に来住し文明十四年(室町時代一四八二)八幡像を奉斎し本神社を創建した。
寛文六年(江戸時代一六六六)福岡藩三代藩主黒田光之候により百道松原に遷され広大な境内と荘厳な社殿が寄進された。
以来当神社は福岡藩藩主黒田家の守護神として歴代藩主より篤く信仰された。

(略)

紅葉八幡宮の現地案内板にも、しっかりと記載があります。

では現在のこの橋本八幡宮は、いわゆる「元宮」にあたるのでしょうか?

どうもそうとも言い切れないようなのです。

橋本八幡宮

所在地 福岡市西区橋本二丁目二十九番
祭神
 応神天皇 神功皇后 玉依姫命
 阿弥陀如来 観世音菩薩 勢至菩薩
祭日
 正月
 春季大祭(三月二十八日)
 さなぼり(六月中下旬)
 夏季大祭(七月二十八日)
 秋季大祭(十月十一日)

橋本八幡宮の由来

この八幡宮は今から五百年前文明十四年(一四八二)に、柴田蔵人佐繁信父子によって初めて建立されたもので、当時の社殿の棟札の写しが柴田家に所蔵されております。
蔵人佐の先祖は陸奥国(今の宮城県)柴田郡の豪族で一説には越後国(今の新潟県)柴田の人ともいい、故あって一族郎党を引き連れて、橋本にやってきました。その時、郷里の八幡宮の分霊をこの地に迎え社殿を建てたと伝えられております。
境内の北側あたりに、黒田藩主の別荘茶屋がありました。三百五十年前の頃のことで、三代光之公は橋本の人を母として生まれ、この地で幼時を過ごしました。今もこのあたりを「お茶屋の内」といいます。
また、殿様の御成り所(休憩所)ができ、それから年貢(税)の取り立ての代官所と蔵ができ、そこを蔵本屋敷といっていました。
光之公は産土神として八幡宮を崇敬し、寛文六年(一六六八)西新町紅葉松原に立派な社殿を建てて遷宮しました。
橋本の人はここから遥拝しておりましたが、たっての希望で後に社殿を再建し、以来数度の改築が行われ、現在の拝殿は明治二年に、神殿と渡殿は大正七年に改築されたものです。

須賀神社(通称 お祇園さま) 祭日 七月十五日
稲荷神社(稲荷大明神) 祭日 二月初午
戦没者慰霊碑 祭日 九月二十三日

平成六年六月吉日
橋本八幡宮氏子一同 

つまり、黒田藩3代藩主となった光之公が福岡城の西の鎮護として自分の生まれた土地の神社を、現在の福岡市営地下鉄西新駅や西新パレスの辺りに持って行ってしまったので、跡地にあらためて八幡宮を建てたのがこの橋本八幡宮というわけです。

この境内図からも、敷地のひろさがわかります。

現在の神社正面鳥居と、御神橋です。

境内に手水舎も複数整備されているのですが、御神橋の横に立派な手水場があります。この規模だと禊場といったほうがよいかもしれません。

隣がショッピングモールや地下鉄駅と信じられないくらい、手水場の水もきれいです。

社殿そのものはけっして大きくはありませんが、素晴らしい雰囲気です。散歩中のかたや通勤途中のかたが、私が撮影しているあいだにも4~5人、お参りしていかれました(全員、なんやこいつ?という顔でこちらをみておられましたが)。

拝殿内の雰囲気もよく、立派な方位盤が天井に飾られています。

八幡宮本殿の真裏に、阿弥陀如来が祀られています。江戸時代の文献には八幡宮に真言宗の社僧を置いたとあり、このお堂は神仏習合の名残り、神宮寺や本地仏の跡とかんがえられます。

なお、当時の神宮寺(西光寺)も光之公による八幡宮遷座にともない一緒に西新に移転し、廃仏毀釈の嵐で廃寺となります。いちど還俗した住職がふたたび得度して再興をこころみるものの、西新での継続を断念。支援者の土地があった場所に移転したのが真言宗大覚寺派 青樹山 長垂寺で、同じ福岡市西区ながらこの橋本の地とはかけ離れており、事前に資料で読んでいなければ、まったくわかりません。

いずれこの長垂寺も訪問したいとおもいます。

境内案内図にない祠がいくつかあり、現地案内板設置後に、地区内から移設されてきたのかもしれません。

この松川原神社も江戸時代の文献にあり「河東から移転」とあるのですが、室見川をはさんだ反対側にあったものくらいしかわかりません。

戦没者慰霊碑に手をあわせました。

クスノキや槙(イヌマキ?)、シイノキの森のなかで、とくに目立つものがあります。

「きずな」とあり、上を向くと……。

クスノキの枝が槙に刺さって結合しています。

ひとつの御神木として認知されているようで、しめ縄もまとめて張られていました。

この橋本八幡宮の境内社のうち、須賀神社については福岡県神社誌に別項があるためこの日記でも翌日、別に取り上げることにします。

福岡県神社誌:中巻130頁
[社名(御祭神)]八幡宮(八幡大神、気長足姫命、玉依姫命)
[社格]村社
[住所]早良郡壱岐村大字橋本字宮ノ上
[由緒]鎮座文明十四年橋本村松林に建立、明治五年十一月三日村社に定めらる。
[境内社(御祭神)]無格社須賀神社
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.11.17訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

2022年11月17日の日録 - 美風庵だより