松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2022年11月17日の日録

裏でなにを言われるかはわからないもの、と書こうとして。

職員室の会話の録音、学習端末から生徒に漏れる…ショックで1人登校できず(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

校長によると、10月末の放課後、複数の生徒が教室に忘れた端末を教諭が職員室の机で一晩保管した。うち1台の録音機能が夕方以降、何らかの事情で4時間にわたって作動。教諭同士が話した複数の生徒の生活指導の情報や、生徒に対する教諭の個人的な感情などを含む会話が録音された。
翌日、この端末を返却された生徒が、会話に10人程度の生徒の名前が出ていることに気づき、複数の生徒に録音データを送信。受け取った1人の生徒がショックを受け、11月上旬から登校できなくなった。会話が録音されていた教諭1人も出勤できなくなったという。

私も以前の職場で、どこまで本気なのか嫌味なのか冗談なのかわかりませんが「事業者からおカネをもらっている」だの「事業者から女と遊ぶためのカネを出してもらっている(もっと直接的な表現をすると「○○から下の世話してもらっている」)」だの、くちのわるい連中から言われ放題でした。いちいち気にしていても話にならないので下衆にはとりあわないことにしていましたが、まぁ、ひどいものです。

人間なんて裏でなんでも言われて当たり前なのに、生徒が打たれ弱いのはまだわかるが、先生が打たれ弱くちゃなぁ……、と書こうとして、そういう一般的なものではないのかもしれない、と気づきました。

あくまでも推測ですが、女子生徒の尻だったり、おっ○いの大きさだったり、バレたら学校に来れなくなるような会話しちゃったんでしょうね。

 

今日の運動経路

始発に乗り福岡に出て、朝活することにしました。

福重二丁目」バス停に到着しました。画像奥にみえるガソリンスタンドに向かって歩きます。

ガソリンスタンドの横を歩いたさきに、若八幡宮があります。

やはりここは福岡市内、甘木の田舎とちがって、洗車機が24時間営業です。うちの近所は朝8時から夜20時までのところばかりなので、こういうところに都会を感じます。

若八幡宮の境内には阿弥陀如来のお堂があります。この阿弥陀堂は江戸時代の文献に記載があるそうで、もとは神仏習合だった名残といえます。

県道から室見川沿いの道のほうに出て、南下します。道に路側帯がないので恐る恐る歩いていると、河川敷の歩道?を自転車や歩行者が歩いているのがみえます。これはもしかして、歩車分離の道なのでしょうか?

しばらく歩くと、歩いている方向に向かって右手に立派な歩道があるのに気づきました。そちらに移って南にむかって歩くと、ひこばえが手のように伸びた桜の木をみつけました。こんなに根元から手を広げたように分岐するものなのですね……。

背後に、次の目的地、橋本八幡宮の森がみえます。

ショッピングモール(木の葉モール)や地下鉄駅の裏手とはおもえない、森がひろがります。

正面からなかにはいると、立派な手水場(この規模なら禊場?)があります。

参道脇に手水舎がありそちらで手を洗うわけですが、手水場があるだけで、えらい立派な神社に来た気分になります。

境内の規模や雰囲気のわりに、社殿はちいさめです(後述するとおり、理由があります)。

槙の木に、楠の枝がささって癒合しています。この木には「きずな」という名前があるそうです。

一体のものとして認知されているため、しめ縄もまとめて1本です。

橋本八幡宮となる前から、この地には八幡宮が祀られていました。

黒田藩3代藩主光之公がこの地で生まれ育った縁があり、のちに藩主となったさい、その八幡宮を西新(いまの西新パレスの辺り)の地に遷座します。これが現在の県社紅葉八幡宮のはじまりで、八幡宮があったこの地は、紅葉八幡宮の遥拝所となります。

その後、あらためて八幡宮を地元が祀りなおしたのが、この橋本八幡宮です。

境内にあるお稲荷さんの下には、光之公の胎盤が埋められているそうで「踏まないように」と案内板にあります。

移転先の紅葉八幡宮は先日訪問させていただきましたが、もしかするとこちらのほうが神社らしいかもしれません。向こうのほうが建物は立派ですが、境内の雰囲気はこちらが上に感じます。

朝から立派なお宮さんにお参りすることができて心は満腹ですが、これで帰っては交通費のもとがとれません。

予定どおり、あと2社、訪問します。

ショッピングモールの横に都市高速道路の橋げたがあり、ショッピングモールとの連絡橋のさきに、福岡市営地下鉄橋本駅があります。

ここから次の次郎丸駅まで、ひと駅、地下鉄で移動します。

次郎丸駅に到着しました。地下鉄駅まで家族を送迎する車が、ひっきりなしにとおります。こんな時間に撮影とは、世間のじゃまもいいところです。すみません。

式部神社です。福岡県神社誌に掲載がないため由緒は不明ですが、宝満宮竈門神社に式部稲荷社があり、おそらく同系列の神社とおもわれます。

本日最後の目的地である埴安神社に向かう途中、毘沙門天のお堂がありました。

どうやら火事で焼失したのを再建したらしく、ロウソクを立てるな(点けるな)線香をあげるなとなかなかの注意書きがあります。たしかに火の不始末で建て直すったって、安いカネじゃありませんからね……。

最後、次郎丸の埴安神社を訪問して、本日の「神社めぐり」は終了です。

これまで各地を訪問した私の理解では、埴安神は博多のお櫛田さん(大幡主)であり、甘木や九州南部でいうタノカンサー(田の神)であり、神皇産霊尊、国立常命、そして熊野の速玉男である理解ですが、この埴安神社では「天照大神のご兄弟」という位置づけです(後日「神社めぐり」で、現地案内板の文字起こし分を掲載します)。

市営地下鉄次郎丸駅まで戻り、8時半ごろに西鉄薬院駅まで帰り着きました。
約3.5km、80分ほどの朝活でした。

ねむい……(´Д⊂ヽ

眠すぎて、9時半から会った相手さんの話を半分以上聞いていなかったのは、ないしょということで。