松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市西区金武 五十猛神社(妙見宮)


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参道の石段を登ると、最初の鳥居には「五十猛神社」の扁額があります。

拝殿内にあがらせていただくと、ところ狭しと飾られた絵馬のなかに、社号の扁額があり、そこは「妙見宮」です。

五十猛神社の神事と宮座・宮世話人奉仕の心得

一、神事
(一)一月一日 元旦神事
(二)五月上旬 春祭り(おいたちごもり)
(三)六月中旬 作り上がりごもり
(四)七月上旬 夏祭り(御願立てごもり)
(五)九月中旬 御願成就のお祭り
(六)十月七日 おくんち
(七)十月二十八日 神送りのお祭り
(八)十一月二十九日 神待ちのお祭り

二、社日祭
(一)三月 春社(春の社日祭)
(二)九月 秋社(秋の社日祭)

3.宮座奉仕心得
(一)お祭り時、神殿・拝殿の清掃、花立の水替え、ご神前へのお供えをしてください。ご供物は、お神酒、お穀(八合)、お肴、お野菜(三品)、お塩(八合)
(二)お賽銭を毎月一日、十五日及びお祭りの時に取り出し、宮総代(会計)へ渡してください。
(三)おくんち(十月七日)に奉納する注連縄の材料を宮世話人と協力し、準備してください。
(四)年末(十二月三十日)には、お鏡餅一重、注連縄、門松を準備してください。
(五)十二月三十一日、神殿・拝殿の清掃と花立の水替えをしてください。
(六)元旦には、お神酒、昆布、するめをお供えし、参拝者に出してください。
(七)元旦の午前八時より、新年度の宮座、宮世話人をくじ入れにより選出してください。

4.宮世話人奉仕心得
(一)宮世話人は、宮座と連絡を取り、神事、行事の世話をしてください。
(二)お祭りの期日を決め、飯盛神社宮司、宮総代、宮座、氏子に連絡してください。
(三)お供米及びお神酒代を氏子(不浄のかかる氏子を含む)より徴収し、宮座へ渡してください。
(四)三月(春社)、九月(秋社)の社日祭の世話をしてください。なお、費用については、それぞれ三、〇〇〇円を限度に宮会計より支出します。
(五)神事の時、幟立て及び幟倒しの世話をしてください。
(六)年末には、宮司給を氏子より徴収し、宮総代(会計)へ渡してください。

5.その他
(一)宮総代について
 ①宮総代の任期は、四月一日を開始日として一期三年とします。なお、二期まで再任できます。
 ②宮総代は、四名とし妙見崎、古々森よりそれぞれ一名、西山より二名を選任します。
(二)境内の清掃、神殿・拝殿の清掃などについて
 ①境内の清掃は、氏子を四班に分け、番帳(鍵を含む)を廻し、輪番で行います。なお、清掃の責任者は、各班の宮座とします。
 【一班】西山上組 【二班】西山下組 【三班】妙見崎 【四班】古々森
 ②境内の清掃は、月に一回行います。但し、四月、五月、十月、十一月は、月に二回行います。
 ③清掃当番の宮座は、次回当番の宮座へ番帳(鍵を含む)を廻してください。
 ④神殿・拝殿の清掃、花立の水替えは、清掃当番の宮座、宮世話人が行ってください。
(三)御願成就の行事について
 御願立てのお礼という趣旨に鑑み、御願成就の行事については、くじ入れとします。
(四)おくんち(十月七日)奉納の注連縄ないは、氏子全員で行ってください。
(五)五十猛神社の施錠、鍵の管理について
 全面的に施錠の取替えを行います。鍵は、三本保有し、宮総代(代表)、宮座(番帳取付け)、宮世話人(代表)がそれぞれ保管・管理します。
(六)その他必要な事項は、宮総代、宮座、宮世話人において協議し、氏子に周知してください。

平成二十三年五月 五十猛神社 宮総代 

絵馬の多さもさることながら、拝殿内に祭祀の指図書が掲出されているお宮ははじめてみました。ただ、自分も地元の町内会で管理しているお宮の奉仕がときどきまわってきますが、じっさいに困るのは神饌の配置順とか三宝の向きとか神前幕の結び付け方とか紙垂の切り方・折り方、供物敷きの折り方、玉串奉典の進行時のセリフ、そういうディテールの部分です。ここまで出来ているなら、そういうのはべつに分厚いマニュアルが準備されているのかもしれません。

拝殿内には、過去に五十猛神社が紹介された新聞記事などが、いくつも飾られていました。目をひくのは、神待ちの神事が行われていることです。

高良玉垂宮神秘書(高良記)によれば、玉垂命(とその勢力下)では、神様は出雲には行かないので神無月はありません。同じ県内でも、完全にここは別系統の信仰があると理解してよいでしょう。

出雲大社は御承知のとおり大国主を祀る神社です。

五十猛命とは、ほかの神社を訪問してみた感触からいえば、山幸彦・饒速日(にぎはやひ)・経津主・猿田彦のことで、出雲にはせ参じるというのは、どうも違和感があります。

拝殿内には立派な「由来記」が備え付けられており、拝読させていただきました。

すると、江戸時代以前、ここは妙見大菩薩を祀る妙見宮であったことがわかります。江戸時代になって五十猛命を祀る五十猛神社または妙見宮ということになり、最終的に五十猛神社が公称の社号となるのは、なんと昭和15年の福岡県神社誌編纂にあたってだというのです。

過去の「神社めぐり」から、現時点で推定している系図です。

もしかすると、五十猛命を祀るとしつつ、実態は大国主かも?とかんがえてしまいます。

または、大国主のもとにはせ参じているのではなく、五十猛命は父である大幡主や伯母  天之御中主のもとにはせ参じているのかもしれません。なぜなら、出雲大社の社家の祖とされる天穂日命とは、大幡主にほかなりません。

朝倉市甘水 白木神社(北辰社) - 美風庵だより

朝倉市上秋月 白木神社(白木宮) - 美風庵だより

社殿の装飾をみていてふと気づいたのですが、車でここから1時間以上はなれた朝倉市の秋月周辺に白木神社(北辰社)があります。ここは、天之御中主や大幡主(神皇産霊神、博多のお櫛田さん、国常立命)を中心とした、のちの出雲系の神々につながるファミリーと、ファミリーと友好関係にあった神々を祀っていました。

おそらくこの五十猛神社も、同様の存在だったのではないでしょうか。むしろ、甘水や上秋月の白木神社では廃れた信仰が、現在のしっかり生き残っている貴重な場所ともいえます。

福岡県神社誌:下巻418頁
[社名(御祭神)]五十猛神社(五十猛大神、須佐之男、大神天神)
[社格]無格社
[住所]早良郡金武村大字金武字妙見崎
[由緒]記載なし。
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.10.23訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

10月23日の日録 - 美風庵だより