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神社に向かう石段の両脇にもずらりと神仏が祀られています。
石段正面向かって左の観音さまは、優しい雰囲気があります。
左側にはお地蔵さんやえびす様の石碑があります。
御神紋は流れ三つ巴紋か、水巴紋かといった感じです。この御神紋だけをかんがえれば、崇神天皇(中筒男尊、都怒我阿羅斯等:つぬがあらしと)関係のお宮 宇佐神宮や下関の住吉神社と関係があるようにみえます。
社殿をみても、とくべつ崇神天皇(中筒男尊、都怒我阿羅斯等:つぬがあらしと)を想起させるものは見あたりません。
照天神社由来記
鎮座地 福岡市南区野多目四丁目一九番一一号
御祭神 伊邪那岐大神・伊邪那美大神由緒 日本最初の夫婦の神様で、伊邪那岐大神は、我が国の山川草木万物を生まれた神、伊邪那美大神は天照皇大神、月読命、須佐男命を生まれた、神代七代の神として広く知られています。(古事記)
御創建 明らかではありませんが、現在野多目小学校の近くに古屋敷と言う地名があり、ここに小祠を建ててお祀りしていたと古老は伝えています。
正保元年、後光明天皇の時代(今より遡ること三四六年前)現在の小高い森へ移し、当時聖天宮と称えていたと筑前国続風土記に記されています。照天神社とは、その後の社名です。
伊邪那岐大神は、筑紫の国の橘の小戸の阿波岐原で禊祓いをされたと言う故事に因んで、祓いの神様として崇敬されています。御神徳 縁結びの神、夫婦和合の神として尊崇され、奉賛として馬の絵馬、二又大根等を奉納する習俗が伝えられています。
※野多目大池と照天神社が、福岡市「アメニティ」(大切な歴史と自然、森と水)に認定されました。旧社格 村社
年中祭事
一、歳旦祭 一月一日
二、春季大祭 四月十五日
三、秋季大祭 十月十七日
四、末社天神祭 九月十五日
五、焼納祭 十二月三十一日平成四年四月吉日 照天神社
どうやら案内板によれば、ここは「聖天宮」だったようです。
歓喜天(かんぎてん、梵:Nandike?vara、ナンディケーシュヴァラ、歓喜自在天とも)は、仏教の守護神である天部の一つ。ヒンドゥー教のガネーシャに相当する尊格で、ガネーシャと同様に象の頭を持つ。
(略)
聖天(しょうでん / しょうてん)等とも称される。
(略)
「聖天」の「聖」の字は、歓喜天の本身(大日如来もしくは観自在菩薩)を表すという。
つまり、ここはもともと歓喜天を祀るお寺だった可能性があります。歓喜天は大日如来と同一視され、大日如来は天照大神の生まれ変わりとされましたから、のちに「聖天」を「照天」とあてても、おかしくはありません。
ならばこのお宮の祭神は、天照大神でしょうか?
違うのです。イザナギさんとイザナミさんということになっています。どうやらどこかで、祭祀が上書きされているようなのです。
境内社は1つのお宮にまとめられており、画像右手から現人神社、中央が地禄天神社、左が十日恵比須神社となっています。
福岡県神社誌では現人神社の御祭神を住吉大神としていますが、すでに田川でみたとおり、住吉三神のなかでも、中筒男尊である崇神天皇の可能性が高いわけです。
すると、この照天神社の御神紋が流れ三つ巴紋なのも、理解できます。
どうも、長い歴史の間に、いろいろなものがごっちゃになっている感じをうけます。
福岡県神社誌:上巻86頁
[社名(御祭神)]照天神社(伊邪那岐命、伊邪那美命)
[社格]村社
[住所]福岡市大字野多目字ヒカシ
[由緒]不詳、明治五年十一月三日村社に定めらる。
[境内社(御祭神)]地禄天神社(埴安神)、現人神社(住吉神)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.08.29訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。