松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2023年7月7日の日録

じょうずになにかを回避している記事。

少年の祖母「破壊行為をやめて」17歳射殺で暴動フランス全土へ…拡大背景に“SNS”(2023年7月3日) - YouTube

朝のニュースチェックついでにこの動画をながめていておもったのですが、このとらえかただと、より過激な行動をSNSでさらしたがる愉快犯が大量に沸いているということになります。

むかし留学経験のあるかたに言わせれば「移民への見下し感を感じることはつねにあった」「かたまって移民が暮らしていた印象」「移民は自分たちを馬鹿にしているフランス人が嫌い」という話でした。ひごろの鬱憤が爆発したとみるべきです。

移民政策を推進している日本で、問題の根底には触れたくないんでしょうね。

あくまでも、SNSで破壊自慢の愉快犯のみなさん、と印象づけたいんでしょう。

あと、このyoutubeのコメントで「日本文化に馴染み、日本文化を受け入れ、日本人の指導に従う者以外は来るな」というのをけっこうみかけます。同化同調できないやつに用はない、というわけです。お前(もしくは、あんたの家族・子供)が、衰退日本で食い詰めて海外で働かなきゃいけなくなったとき、現地で信仰もなにも否定され徹底同化を求められたらどうするんだ?とおもいますが、そういう発想には至らないようです。落ちぶれて海外出稼ぎなんて夢のまた夢の、現状がたいへん充実している勝ち組層のかたなのでしょう。

新装版 サンダカン八番娼館 (文春文庫) 

からゆきさんとして海外に渡航した日本人女性の多くは、農村、漁村などの貧しい家庭の娘たちだった。彼女たちを海外の娼館へと橋渡ししたのは嬪夫(びんぷ)などと呼ばれた斡旋業者、女衒たちである。女衒の記録として長崎出身の村岡伊平治による『自伝』がある。女衒たちは貧しい農村などをまわって年頃の娘を探し、海外で奉公させるなどといって、その親に現金を渡した。女衒たちは彼女たちを売春業者に渡すことで手間賃を得た。そうした手間賃を集めたり、投資を受けたりすることによって、みずから海外で娼館の経営に乗り出す者もいた。

こうした日本人女性の海外渡航は、当初世論においても「娘子軍」として喧伝され、明治末期にその最盛期をむかえたが、国際的に人身売買に対する批判が高まり、日本国内でも彼女らの存在は「国家の恥」として非難されるようになった。1910年代および1920年代の間(明治43年~昭和4年)、海外の日本当局者は日本人売春宿を廃止し、日本の名声を保とうと熱心に取り組んだが必ずしも成功しなかった。

からゆきさん - Wikipedia

こういう時代があったことを多少でも知っていれば、根深さも想像つきそうなものですが。

 

数十年かしたら、日本でもこんな暴動おきるかもしれません。

怪我してももらい損なので、そんな場には居合わせたくないですが(笑)