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都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと、生没年不詳)は、『日本書紀』に伝わる古代朝鮮の人物。
都怒我阿羅斯等は、通説では古代朝鮮の人物とされています。これまで各所を訪問してきた感触から言えば、それはあり得ません。
香春神社でも触れたとおり、日本で活躍した神々は、周辺地域の開拓(征圧)にも積極的でした。スサノオは新羅のソシモリに逃れ、五十猛命(山幸彦・猿田彦)の手引きで日本に舞い戻ります。神功皇后の三韓征伐も然り。べつに彼らだけではなく、ほかの神々も海を行き来していました。
では都怒我阿羅斯等が誰のことか。崇神天皇のことなのです。
この田川の地が崇神天皇に縁が深い土地であることを考えれば、べつに不思議な存在ではないのですが、なぜ、都怒我阿羅斯等という別名で祀られる必要があったのか。この点は考えないといけません。
しかし、日本では高霊神といえば高木大神・高皇産霊神のことであり、古代、任那日本府があったところに大韓民国慶尚北道「高霊」郡があることを考えれば、我々が想像するよりもはるかに密着した関係があったことは瞭然です。
「白村江の戦い」で日本が朝鮮利権を失ってしまった経緯を、簡単に歴史の時間で習ったことでしょう。
問題は、日本書紀が崇神天皇の別名 都怒我阿羅斯等を朝鮮の人物としたことです。
恐らく、事績として残す必要があるものの、崇神天皇と都怒我阿羅斯等を別人格として切り離さないとまずい何かがあったに違いありません。
神功皇后が大陸遠征されたとき、この三神が荒れ狂う海原で苦難する皇軍の船の舳先に姿を現し、禊の神として皇后の身を護り玄界の逆巻く波風を鎮め、船の水先案内をも務めたと伝えられています。このことが、当宮が国家守護の神・天地共に鎮めの祖神として信仰されるに至った由縁です。大陸遠征から無事帰還した神功皇后は神恩に感謝し、神さまが現世に姿を現したことから「現人神」と称し、その鎮座の地に竹内宿禰を遣わし、神田に水を引き五穀豊穣を祈請して、現人大明神の尊号を授けられました(現人神社名称の起源)
高良玉垂宮神秘書では、住吉三神とは安曇磯良、崇神天皇、玉垂命(開化天皇・筑紫君・藤大臣)とされており、現人神社とは、中筒男尊こと崇神天皇を中心に住吉三神を祀る神社だと解釈できるわけです。大陸遠征の水先案内人が出来るのは、都怒我阿羅斯等として、すでに渡海経験が豊富だったからにほかなりません。
いくら日本書紀が系譜のズレをごまかすため都怒我阿羅斯等を朝鮮人に仕立てようとしても、世の中のすべての記憶を書き換えることはできませんから、こうやってバレるのです。
もし古本屋でこの素晴らしい本を入手していなかったらと思うと、ぞっとします。
学生のころ、冒頭部分だけを大学図書館でコピーさせてもらい、なんとなく「奇書」「色物」扱いしていた自分を、自己批判し、懺悔するしかありません。
福岡県神社誌:下巻458頁
[社名(御祭神)]現人大神社(都怒我阿羅斯等、原田五郎義種)
[社格]無格社
[住所]田川郡採銅所村大字採銅所字基
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2020.09.12訪問)