松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

2023年2月23日の日録

久しぶりのおでかけ。

当初、九州新幹線の新鳥栖駅から広島駅までの新幹線を予約していました。

この話を近所の方にすると「先日、JR鳥栖駅から鳥栖市役所の前を抜けて県道に入るまで20分かかった(注:この区間はバス停5つ)」と、信じられない話をされます(ジモティしかわからんな……)。私が甘木に越してきたころは、ここから40分見込めばOKだったのですが、昨年、たしかにカーナビがあてになりませんでした。

なんせ今年の鳥栖市長選で「現職は市内の交通渋滞を放置している!」と、あまりおめにかからないワンポイントイシューで、新人が当選するくらいだから、ジモティはうんざりしてるでしょうね……。

というわけで、昨夜20時過ぎ、知人事務所まで行ってJR小倉駅から新幹線に乗るよう、予定を変更しました。

今日も小倉駅前の松屋で朝7時半からカレーをいただきます。ここ最近、カレーばっかりです(笑)

8時15分発の東京行きに乗るため改札を入場すると、待合室が閉鎖されており、改札フロアのあちこちに待合室にあったベンチが並べられています。せまっちいったらありゃしません。仕方がないので、ホームで待ちます。

いきなり知人からLINEで画像が送られてきました。

「小倉駅のホームで自販機の前にいましたね!」とコメント付き。小倉で停車中に、自販機のまえでうろうろしている姿を発見されたようです。悪いことはできません。

「戻ったらお土産あるんで連絡します」との由。どこの?とLINEで質問しようかともおもったのですが、行き先を詮索するようにおもわれてもなぁ、とおもいなおし、質問はやめました。

朝、8時台の新幹線ですから、関西か北陸あたりかな?

ホームに進入してくるときはお客さんギッチギチの車両があって、すこしうんざりしていたのですが、4号車はスカスカでした(振り返ってもお客さん5~6人ほど)。のぞみ号の号数が3ケタなので、これ、団体客向けの臨時列車かもしれません。ちなみに帰りの号数は2ケタで、定期列車のスジです。同じ4号車の同じ座席を予約しましたが、すし詰めかもしれません(>_<)

JR広島駅に到着しました。駅ビル工事の真っ最中で、どこをどう歩いたらどこにたどり着くのかわかりません。いままで、路面電車の乗り場に行くか、JR可部線に乗り換えてJR横川駅にとりあえず移動するかのどちらかでしたから、お上りさんオーラ満載で案内板を見逃さないように歩きます。

1社目「松原稲荷大明神」です。隣に松原千本桜という記念碑があるのですが、どう見ても桜の木がない……。

河童が住んでいるらしい猿猴川(えんこうがわ)の対岸に、2社目「秀玉稲荷神社」があります。

とにかく鳩だらけです。歩道上で餌をついばんでいたはずが、神社に近づくと街路樹の枝に集合されました。見知らぬ人がみるとオカルトぶりに気色悪かったでしょうが、鳩さんに黙礼します。

3社目は妖怪退治のかたを祀る「稲生神社(いなりじんじゃ)」です。1階は駐車場、2階がたぶん社務所兼住居で、本殿は3階です。奉納提灯に荒俣宏さん、水木しげるさん、京極夏彦さんの名前があります。その道で有名どころのようで、長い階段を登って参拝者が絶えず、ここはあまり写真がありません。

4社目「橋本町厳島神社」が見えてきました。どうやらこちらは背中側のようなので、正面にまわりこみます。

貧窮者なので、どこに行ってもお賽銭は10円玉か5円玉です。ところが、さきほどの稲生神社で、小銭入れに残っているのが1円玉3枚と100円玉が数枚なのに気づきます。1円玉だけ放り込んで逃げるか、100円奮発するか、迷っているうちに掃除をされている神職の方と目が合い(笑)100円玉と1円玉3枚を賽銭箱に放り込みました。

ちょうど自販機をみつけたので、ここで手ごろなコーヒーを1本買って、小銭をつくります。

神社の石灯篭、真んなかの柱がありません。倒れたか……もしかすると原爆で吹っ飛んだか……。

じつは福岡を出るとき、ATMで現金をおろして、nimoca(交通系ICカード)にチャージしてくるのを忘れていました。札入れのなかみは13,000円(小銭入れは別。貧窮ですね……)。今日は祝日だし、他行でおろせば手数料とられるしなぁ……とおもっていたら、なんと目の前に自分が口座をもっている地銀の支店が登場です。3万円おろします。ツイてますね……(このあとJR広島駅に引き返したさい、ICカードに1万円チャージしました)。

5社目「幟町金刀比羅神社」です。毛利輝元公が広島城築城したさい、本拠であった安芸高田から連れてきたこんぴらさんで、元は村上水軍が信奉していたものを、毛利家でも城下で祀るようになったものとのこと。

6社目「胡子神社(えびすじんじゃ)」です。

胡子神社 | 胡子神社は、広島市中心部のえびす通りに位置し、商売の神様である恵比寿様を祀られている神社です。えびす講と皆様に親しまれている胡子大祭は、今年で418年大祭を迎えます。 (ebisujinja.jp)

まったく予備知識なく行ってびっくり。建物の中に組み込まれています。通りすがりのかたが手をあわせに立ち寄るため、なかなかiPhoneを構えるのもこっぱずかしい位置にあります。

胡子神社を出てすぐ、なにやら気配を感じます。マネキンが棄てられているのかとおもったら、燃えるごみの袋を寄せ集めてそのなかに寝ているホームレスさんでした。いままで段ボールハウスとか、ブルーシートの館とか、古着の城とかは見たことがありましたが、中身の入ったごみ袋積み上げて防寒しているホームレスさんは、初めてでした。

とうぜん画像は出しませんが、まるでお頭つきのエビフライです(衣は真っ黒ですが)。頭と靴以外、ごみ袋でおおわれています。これが飯塚や小倉なら、パチンコ屋で大勝したのを目撃され悪い奴からカツアゲされて棄てられたかわいそうなひとかも?とおもいますが、なんかね……。

ほんとうはもう少し足を伸ばそうかという気もしていたのですが、ここ最近、パック酒を消費しすぎて横隔膜と肝臓のあたりが痛く、身体がだるいのでここで断念しました。

広島駅にもどり、ネカフェで忘れぬうちに神社の感想をまとめ、1時間ほど横になりました。

 

「酒シリーズ」のまとめ。

2023年2月17日の日録 - 美風庵だより

2023年2月18日の日録 - 美風庵だより

2023年2月19日の日録 - 美風庵だより

「長い。ようわからん」というLINEがきたので、まとめることにします。

  • 神社の御神酒は清酒が一般的だが、もとは白酒・黒酒というのがあった。ざっくり言えば白酒はどぶろくを絞ってこしたもの。黒酒はメイラード反応で着色するため、どぶろくに木灰を入れて、こしたもの。のちに白酒は一般流通するようになり「火入れ」という低温殺菌処理を行うようになる。黒酒は木灰の効果で酒がアルカリ性となるため雑菌が死滅し、殺菌効果があった。腐敗劣化防止のため低温殺菌する酒を「火持(ひもち)」、木灰のアルカリで殺菌する酒を「灰持(あくもち)」と呼ぶ。
  • 火持酒が南都諸白(なんともろはく)をはじめ、いまの日本酒の源流となる。
  • 灰持酒は改良がくわえられ(アル添による濃度の調整)現在は熊本の赤酒鹿児島の地酒など一部に残る。
  • 江戸時代以前の南都諸白は、資料から日本酒度は推定▲50度。要はどぶろくを絞ったものに近い。超甘口で酸味がつよいものだったと推定される。
  • 摂泉の伊丹酒・灘酒は、それに対して「辛口(幕末から明治初期には推定で、日本酒度+10度)」で台頭し、南都諸白を圧して銘醸地となる。「下り酒」のはじまり。
  • とくに灘が一大産地化したポイント。
    ・水車精米の導入により、高精白米を使用できたこと。
    ・劣化対策・品質維持策としての「寒造り」の徹底。
    ・「生もと」仕込み技術の確立。
    ・醸造に好適な水(宮水)があったこと。
    ・火入れ技術の確立。
  • 天領が多い関東において「下り酒」が流行することは、貴重な金銀が上方に流出を意味する。幕府は地元の酒造奨励策をうつ。技術的に歯が立たず。評価がくつがえることはなかった。
  • 冷蔵技術がなかった時代、「下り酒」といえども腐敗劣化は避けられない。「直し」と呼ばれる、混ぜ物をくわえて酸味を中和したり、焼酎を足したり、着香のため木屑を漬けこむことが行われた。
  • 地方の田舎では、どぶろくか、どぶろくを絞ったものが流通していた。地産地消。職人(杜氏)に通ってきてもらい、出来た酒をごく近隣で消費する形態。
  • 寺社は祭祀にあわせて自家醸造(通年醸造)していた。現在も神宮など一部は醸造免許を有する。
  • 1906年以降、銘醸地の醸造場で選抜した清酒酵母が頒布されるようになり、全国でアルコール度数20度近くまで醸造が可能となる(一般の酵母は15度くらいで活動を停止する)。
  • 1905年、防腐剤(サリチル酸)添加が認められる(~1969年)。
  • 1907年に「全国清酒品評会」、1911年に「全国新酒鑑評会」がスタート。成績優秀な醸造場から清酒酵母の選抜や技術・製法の国家権力による吸い上げが行われ、他の醸造場へ展開。全国レベルでの底上げが本格化
  • 生もと造りが困難な暖地対策、技術力に問題がある醸造場でも出来る製法の確立、腐造防止対策として、国立醸造試験所で1909年に山廃もと、翌1910年には速醸もとが考案された。
  • 1930年に縦型精米機が登場し、高精白時代の到来。数年で醸造家に普及。
  • 1936年に「山田錦」が品種登録。
  • 1949年が、明治以降で「甘口」のピーク。平均の日本酒度▲7度(国税庁「全国市販酒類調査の結果について」から)。出せば売れる時代に未熟醪で出荷しているものと推測。
  • 1944年から醸造アルコール添加による増量が認められ、1949年から三倍増醸(糖類・酸味料・化調添加)が認められる。
  • 1952年に配給制度が廃止。これ以降次第に「辛口」志向に戻りはじめる。酸度は年々低下し「淡麗辛口」に向かう。
  • 以上からわかること。
    ・流通上の問題から、むかし混ぜ物なしの酒を飲める層はかぎられていた。
    ・地域ごとの品質のブレも大きかった。
    安定供給(安全醸造)が確立するのは明治以降の科学と技術革新による。
    淡麗辛口は戦後の傾向。酒の味は流行(甘辛、淡麗濃醇)によるブレが大きい。
    ・品質的には、いまが黄金期。
  • 酒質の全体的な向上と、需要の衰退は関係ない。明治以降の欧化政策(脱亜入欧)により、和食離れ・しょうゆ離れ・日本酒離れは同時に進行しており、大勢は動かしがたい。酒類そのものが日常のものから好事家のものになりつつある。
  • 「液化仕込み」は悪か
    ・まず通常製法による酒粕の現状。一部は食用となるも、肥料化・飼料化の残余は産廃。
    ・「液化仕込みの粕は産廃にしかならない」というのは批判者によるマイナスイメージの植え付け。
    ・牛豚の肝臓は人間ほどアルコールに強くないので、飼料原料とするのも限界。
    ・粕が少ないことにはメリットがある。
    ・評論家や他の醸造場から「粕すら出ないケチケチ製法」の批判。
    ・マイナスイメージが大きく、導入した醸造場も導入を隠す傾向。消費者は「自然」「伝統」幻想にカネを払う。
    ・劇的な省力化。
    ・吟醸造り、純米造りへの応用可(ほんらい省力化を目的としたもので、安酒づくりの技術ではない)
  • 課題。
    ・イメージが先行しやすい。影響力のある評論家や文化人、漫画が世論誘導してしまう。
    ・「伝統」「自然」「天然」のイメージで売る傾向。科学的実態とのズレ。
  • 読むべき文献。
    日本釀造協會雜誌
    日本醸造協会誌