いまにして思えば。みんな騙されていたのかもしれない。
私が20代のころ「純米酒ブーム」なるものがありました。
米と米麹で作ったもろみに清酒と同濃度に水で希釈した醸造アルコールを入れ、これに糖類(ぶどう糖・水あめ)、酸味料(乳酸・こはく酸など)、グルタミン酸ソーダなどを添加して味を調える。こうしてできた増醸酒は約3倍に増量されているため、三倍増醸酒・三倍増醸清酒などと呼ばれる。
「戦中戦後の悪しき慣例な三増酒をやめて純米酒に立ちかえれば日本酒の需要は上向く」と、やたら学者?評論家?が喧伝しまくっていた時代です。
当時、私もあまり深くかんがえず「むかしは純米だったのだから、純米がよいはずだ。きっと復活していくに違いない」と信仰にちかいすりこみをうけ、疑うこともありませんでした。
しかし、現実はどうだったでしょうか。
まず、酒全体の課税移出数量(その事業所から酒税を納めて1年間に出荷された量)のピークは1999年であり、以降20年以上にわたり、アルコール離れがすすんでいきます。
そしてそのなかでも、日本酒は悲惨で、いまや30年前の3分の1ありません。
純米酒で復活するんじゃなかったの?あれ?どうして?
農林水産省は、今後、酒造好適米(純米酒、吟醸酒や大吟醸酒をつくるのにつかう目的で栽培されている品種)の供給過多がさらにすすむことを公表しています。純米酒含め、ここ数年なんとか踏みとどまっていた特定名称酒(本醸造・純米酒・吟醸・大吟醸)すら、2018年にまた減少に転じています。
wikipediaに2016年の売上高と最新の売上高の比較がのっていますが、見ればわかるとおり、どこも右肩下がりです。
私が20代のころすっかり信じ切っていた「純米酒こそ日本酒復権の第一歩」なんて、完ぺきに嘘でした。だました人々はすでに鬼籍にはいられたかたも多数います。あの世で、私よりさきに召されたひとたちから、ボッコボコに吊るされているかもしれません。
日本酒の需要が減り、製品が売れなくなれば生産設備に余力ができ、大手メーカーは自社生産で供給をまかなえるようになります。足らないぶんを補うため「桶買い」していた地方のメーカーをどんどん切っていきます。一部は営業力で盛り返し「地酒蔵」として生き延びたものの、営業力がないところは、どんな名門でも廃業に追い込まれていきました。
「桶買い」を切られ切羽詰まった地方メーカーは、2000年ごろ純米酒に手を出せば儲かるという風潮もあり、どこも契約農家に山田錦などを作付けしてもらい、純米酒をつくるようになります。
ではこれが旨いかというと、ほとんどがダメ。
お米の周辺部にはタンパク質などが多いため、徹底的に削って中心部のでんぷん質だけを残すことが求められます。まじめにやるともったいないので基準クリアした時点で精白をやめるため、水のような味わいになりません。米のえぐみや雑味がでます。そして、酵母が死ぬときにでる苦味・しょっぱい味も多い。
とくにひどかったのは(従兄がここの同窓会の理事をしていたので文句は言いたくないのですが)某大学の醸造学科出身者がバンバン飛びついていた「HANA酵母」で、「酒として(味が)旨くなければダメ。苦い。目新しいだけじゃ会社つぶすぞ」とおもわず言ってしまったことがあります。その酒蔵は資金繰りに失敗しのちに潰れました。
たしかに江戸時代に現代のような精米機なんてありません。協会酵母のような国が選抜した酵母菌なんてものもありません。「むかしがいいんでしょ?ほんらい酒の味はこういうものですが、なにか?」と言われれば、間違ってはいません。ところが、アルコール添加は適度に純米酒を薄めて飲みやすくするものでもあったので、濃すぎる酒が舌にあわず、くどい・まずいと敬遠するむきも多くみられました。
このあたり、日ごろ「角」や「ダルマ」、「響」を飲みなれたかたに、シングルモルトやシングルカスクのウィスキーを薦めるようなものだとおもえばいいでしょう。
では、日本酒が選ばれなくなった原因はなんでしょうか。
ひとことでいえば、食生活の変化だとおもいます。もっと言えば、和食の根幹にあるしょうゆ文化の衰退です。
ひとつ付け加えると、1994年に家庭における「しょうゆ」と「つゆ・たれ」の支出金額が逆転しています。めんつゆにも焼き肉のたれにもしょうゆはつかわれていますから、かたちを変えただけだろう?と思われるかもしれませんが……。
きほん、生産量ベースだと長期低落傾向なのはかわりません。しょうゆより、つゆやたれのほうが、使用原材料が多く単価が高く、購入金額だけでは姿がみるには不十分なのです。
いまのところは、日本酒需要の衰退は、酒質が原因でもなく、販売方法に問題があったわけでもなく、燗酒&しょうゆ文化の衰退とセットなのではないか?とかんがえています。この仮説がほんとうにいろいろな事象をうまく説明できるかどうかは、まだまだかんがえてみる必要があるのですが。
とうとう道具に頼る。そしてお榊の入れ替え。
意地でもこれだけには頼らないとおもっていた「使い捨てカイロ」登場です。
昨日、2か月半ぶりにお榊を入れ替えました。まだまだいけるかもとはおもったのですが、駅前のスーパーに新品が入荷しており、おもわず買った次第。