「生酛(きもと)」
日本酒造りの根幹をなす酒母(しゅぼ)づくりの記録映画です。1979年と、2016年の様子、両方見比べると、なにが合理化され、なにがそのままか、興味深いものがあります。
ポスター掲示場の割り当てとか。お礼とか。
昨年の市長選挙のポスター掲示場リストを入手し、初日の動員体制を検討中です。
とうぜん、本人と会計責任者が朝届け出て、くじ引き、7つ道具受領。これをA班とすると、出陣式準備がB班。ポスター貼り部隊がC班ってなことになります。会計責任者からC班に掲示場の貼る位置(数字)を伝達して、出陣式なんてはっきりいってあんなものロスタイムですから、来賓あいさつも極限まで絞ってよいのです。ただ、立候補予定者がメンツを重視したがるので、私が言っても聞かないからもっと年配に「君らの経験談をしっかり話すように」とお願い中。
それから、公職選挙法178条によって「選挙後の挨拶行為」が制限されていることもご理解いただきたいと思います。
当選した人も落選した人も、選挙に関する挨拶を目的とした「お礼状の発送」「戸別訪問」「当選祝賀会等の開催」は禁止されており、違反者には30万円以下の罰金との罰則規定もあります。
この法律に違反して当選礼状を出す陣営もありますが、多くの候補者は一定の期間をおいてから近況報告の手紙を出したり、年末年始の挨拶を名目とした訪問などで感謝の気持ちを伝えることしか出来ないのです。国会議員が悩む選挙のお礼 | 大和の国から 平成15年11月~平成17年8月 | コラム | 高市早苗(たかいちさなえ) (sanae.gr.jp)
選挙後とは、投票日当日の投票所が閉ざされた時刻以降のすべてをいいます。
○選挙人に対して、戸別訪問をすること。
○文書図画を頒布したり、掲示すること。
(※一部インターネットにおいて制限が解禁されています。)
○新聞紙、雑誌を利用(広告)すること。
○放送設備を利用して放送すること。
○当選祝賀会その他の集会を開催すること。
印刷会社からどういう了見か「当選御礼どうしますか」と言ってきたので「やりません」と本人差し置いて返事。立候補予定者本人には「当選御礼は合法の範囲、インターネットのホームページとFacebookとメール、あとは直接会った範囲で実施」「委員会所属が決まって初の一般質問が終わって「活動報告第一号」を後援会のみなさんに発送」と言い含め中。
しかし、祝勝会はダメ、はがきでお礼はダメ、でも、ホームページやメールはOKって、マニュアルにいろいろ理由が書いてありますが、どういう線引きなんでしょうか?ホームページやメールサーバの維持費(ドメイン使用料やレンタルサーバ料)はそれなりにかかってるし、事後買収のおそれはインターネットだろうと普通の郵便だろうとたいして変わらない(もし違いを見出すなら、インターネットプロバイダから令状でやりとりが全部抜けるあたりか?郵便よりも証拠が押さえやすいのは間違いない)はずなんですよね。(゜-゜)まかふしぎ。
それにしても、どうも不安がいっぱい。これまで地盤血縁に根ざした選挙というか、地域代表(一族代表)を送り出す選挙しか眺めてこなかったんで、こういう浮ついた世界はどうも苦手。歩留まりや票読みの加減もわからん……。ただ、選挙は最後の追い込みで化けるので、もちいと本人に真剣味が出てくれば、ずいぶんと道はひらけるかもしれない。
なんかねぇ……(゜゜)
国会議員挑戦し落選2回して素寒貧になり、借金むりやりはがされて自己破産、生活保護もらいながら片隅で細々生きてる奴だって居るのに。どうも危機感が足らないのよ……。性格だと諦めるしかないのかな……。
重罪人は自分を「先生」と呼ばせ、しっかり生き残る。
先日からときどき朝立ちしていると、それを目撃して、数年ぶり、十数年ぶりに連絡をくれるひとがいます。ここ最近急に酒の話を書きだしたのも、ひさしぶりに連絡をくれたかたの影響だったりするのです。
そのひさしぶりに連絡をくれたかたが、むかし、ある純米酒運動家のところに連れて行ってくれたことがありました。
あまり書くといろいろバレるので控えめに書きますが、いまにしてかんがえれば「純米酒ブーム」をあおった人たちは、控えめに言っても重罪だといえるでしょう。
いまも活動されているそのかたのブログやホームページをひさしぶりに拝見すると、毎日、どういう料理で晩酌したかが載っています。刺身にしても煮物にしても魚の照り焼きにしても、美味そうです。燗酒に合うのがすぐ想像でき、よだれがでそうです。
この運動家は「国税庁は純米酒以外はリキュール類に種別変更せよ!清酒を名乗らせるな!」と主張されているわりに、オフ会で堂々と「ビールと発泡酒の違いなんかわかるか!」とズッコケ発言されていました。クセがつよいので疎遠になり、ブログやホームページも読まなくなり、十年以上経っていました。
ひさしぶりに拝見すると、自ら「先生」と名乗り、ファンクラブが出来ています。入会金の入金確認で会員登録完了とのこと。
内容は、あいかわらず純米をメインでつくる蔵の礼賛です(たまに特別本醸造酒がでてきます)。当時と同じなら宣伝込みのタダ酒を疑います。
昨日も書いたとおり「燗酒&しょうゆ文化の衰退と、日本酒の衰退がセット」で「どうあがこうと時流には逆らえなかったのではないか」というのが、私の主張です。
「純米酒に取り組めば復活でける!」とあおり、その気になった経営者が飛びつき、設備投資分の回収が出来ず銀行から終了を突き付けられて、廃業。借金ぜんぶ棒引きになるわけじゃありませんから、悲惨なことになったところが、知るかぎりでも数軒あります。なかには海外資本の買収を受け入れるかどうかでもめ、ぐだぐだやってたら銀行が介入して強制終了なんてところも……。
逆に「時流には逆らうな」とさっさと製造から撤退し、酒卸・酒販・不動産賃貸業に転業した法人のほうが、借り入れの傷があさく、けっこう細々ながら生き延びています。
これ、先細りの業界で馬鹿なコンサルにおどらされた会社の末路とそっくりです。そしてそのコンサルはあらたな獲物を求めていまもしっかり活動中……というところも、そっくり。
日本酒離れとは和食離れ(しょうゆ離れ)であり、明治以降「洋食」が浸透するなかで、まずビールに負け、チューハイに負け、焼酎にすら負け……てきたわけです。
また明治政府は、欧化政策の一環として国民に西洋の酒類をより多く消費させようとして、当初ビールやワインに対しては、日本酒に対するような重い課税を行なわなかったため、日本に急速にビールが浸透した。
なんのことはない食生活の「脱亜入欧」を実現したのが日本酒離れの原因だし、国策です。この流れに逆らえるわけがありません。
「大勢は動かしがたいと諦めよ。これからも市場は細りつづけるだろうが、細る市場のなかでとにかく生き残りたければ、高く売れる高付加価値な酒をつくれ。よそを抜ける自信がないなら、さっさと廃業せよ」と彼らが当時吠えたなら、たしかに先見の明だと振り返り最敬礼するでしょう。敬意の証拠として私の土下座姿をここで掲載してもよいほどです。
じっさい「磨き2割3分」なんて想像もしなかった化け物で一気にブランドイメージを確立し、大手の一角に食い込んでいまも大躍進中のメーカーがあることをかんがえれば(10年後は最大手になってる可能性あり)、まったく未来がない業界というわけでもないのですから。
でも、当時は、そうではなかったのです。バラ色の夢を吹き歩いて死屍累々。たまたま経営者と杜氏に才能と技術があって生き残ったところの手柄を横取りし(彼らの努力なのに)実績扱いにしてさらに売り込み。それが現実でした。
日本にビール産業が発祥したころ、日本酒業界には『酒造伝書茶仕立覚』なる伝書が……。これは、いわゆる酒直し(当時の酒は劣化が早く、薬草などを調合することで酒を直すことも多かった)のマニュアルなのだが、興味深いのは、調合によってブランド酒へと“直す”、言い方を変えれば“ニセモノ”の造り方まで記載されているという点。そのなかに剣菱もあり、「極上剣菱飛天製造」なる項目によれば、酒に牡蠣殻灰、マグネシウム、漢方薬、コショウなどの薬味を混ぜ、さらにのこぎりの木屑などで木の香りを加えると剣菱になる、とのこと。当然、ホンモノの剣菱とはなんの関係もない非公認のものであるが、需要がなければ“もどき”が造られるはずもなく、
庶民の憧れから生まれた「ニセモノ」のお酒
「泰平の世」となった江戸時代。各地でさまざまな商品が創り出されます。やがて、販売競争の中で、商品銘が産み出され、宣伝によって社会に浸透していきました。こうした「ブランド化」の一方で、商標登録や保護の法制度が設けられることはありませんでした。このため、有名な商品銘の類似銘が氾濫し、トラブルが発生したのです。このコーナーでは、酒を事例に、商品銘のコピーの問題(似印酒)、味の偽造(偽酒)の秘伝書を紹介します。
むかしはいまのような冷蔵技術も瓶詰めにする技術もありませんでしたから、酒造はやりたい放題のウラ面がありました。鼠渡り(ねずみわたり:腐る一歩手前)を仕立て直す技術のひとつがいわゆる「柱焼酎」で、現在の醸造アルコール添加の原型とされます。
もし若いころ、しっかり歴史を勉強していれば、化かすのが仕事のコンサルもどき(もしくは運動家?)の「伝統にかえれ!」なんて素直に信じていなかったでしょう。
いまとなってはこんなのに踊らされたのが恥ずかしいかぎりです。
はっきり言えるのは、冷蔵と瓶詰め(パック詰め)技術が確立し、高精白かつ高度な精米ができる(まるく削るのではなく扁平に削ることができる)精米機が登場し、清酒酵母の開発に遺伝子工学が取り入れられ(間違っても自然採取の「HANA酵母」なんてもんじゃありません)、過去のどの時代にもない超高純度の日本酒がおカネを出せば手にはいる、新時代のさなかに居るということです。
これ、伝統に即しているようにみえて、じつは革新の真っただなかということでもあります。とはいえ、これがゲームチェンジャーになるかというと、不安なのも事実。
ビールよりもワインよりも洋食のお供に皆が競って呑むような「SAKE」ってあり得るのかどうか、ここがわかりません。むろん日夜努力はされているでしょうが、そこまでくると別物になっちゃって「酒」とは呼べないかも……。どうなることやら……。
華道展
立候補予定者の後援会名簿をせっせと入力してくれているかたの発表会があり、飯塚で華道展をながめました。
どこをどう鑑賞するのかなにがどうなのか、まったくわかりません。とりあえず、日々お世話になっているかたがたの作品を2点。