松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

朝倉郡筑前町新町 西宮神社


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終業後、近場で調査を漏らしていた旧三輪町役場すぐの西宮神社を訪問しました。

朝倉市甘木恵比須町 西宮神社 - 美風庵だより

えびす様こと事代主は、むかし甘木に住んでいたとの伝承があります。これについては、以前この日記でも書いたとおりです。

この「新町」という地名は、なにに対しての新町かというと、甘木の町に対しての新町です。秋月藩を立藩するさい、黒田家は甘木の中心部だけは飛び地で残しました。秋月藩がこれに対して商業地を整備したのが、新町のもともとの由来です。

そう考えると、ここにも事代主の足跡があってもおかしくはありません。

ただ、事代主はどこに行っても祀られている有名人なので、甘木の伝承とは関係なく存在している可能性もあるのですが……。
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[福岡県神社誌(抄)] 下巻412頁

[社名(御祭神)]西宮神社事代主命

[社格]無格社

[住所]朝倉郡三輪村大字野町字新町

[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.09.18訪問)

北九州市門司区大里戸ノ上1丁目 御所神社・熊鷹稲荷神社(再訪)


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北九州市門司区大里戸ノ上1丁目 御所神社・熊鷹稲荷神社 - 美風庵だより

戸上神社からの帰り道、バス停2つほど歩いて御所神社を再訪しました。
8月11日にいちど訪問しており、今回が2回目です。

嘉麻市大隈町 北斗宮 - 美風庵だより

戸上神社を訪問し妙見信仰の痕跡を発見することができました。妙見信仰をさいしょに奉斎したのは熊襲である話は、以前、嘉麻市大隈 北斗宮を訪問したおりに、書いたとおりです。

前回、8月に訪問したときは、熊鷹稲荷神社の存在だけをみて不思議がっていたのですが、徒歩圏内に妙見信仰の神社があるとわかれば、ここも神功皇后・筑紫君・阿蘇津彦合同軍から滅ぼされた羽白熊鷹の遺構とみるよりほかはありません。

8月12日から17日にかけて、妙見信仰のひろがりを確認するため「大祖神社」と名の付く神社をピックアップして、田川・京築方面の神社めぐりを実施しました。同じ妙見宮でも御祭神がことなる点に疑問を抱いたのですが、おそらく妙見信仰が本州方面に伝わっていく経路が違うのでしょう。(1)(八代~大隈~)田川~小倉・足立山~門司~下関・本州と(2)(八代~大隈~)田川~行橋~本州となっていったのではないでしょうか。

羽白熊鷹(日本書紀では「羽白熊鷲」)の伝承と、門司や下関の熊鷹稲荷の存在は(1)の経路に属するものです。

もともと日本は熊襲の治める地であったのが、熊襲以外の部族が進出してきて、結果として高木大神の系譜をひく崇神王朝により統一されていきます。

熊襲は真っ先に排除すべき旧支配階層として、高木大神と手をむすんだ健磐龍(阿蘇神社)といった例外をのぞいて、「朝敵」とされていくのです。

なぜお稲荷さんなのか。そこはもっと考えていく必要があるのですが、少なくとも、羽白熊鷹は採鉱の技術をもっていた集団ではあったようです。朱色はなんといっても硫化水銀の色であり、金銀の精製は水銀がなければ出来ません。

赤と金色のどぎつい配色は、ただの信仰というだけでなく、部族の財力と技術力の誇示だったわけです。硫化水銀や金箔を使わなくても、赤と金色のペンキで塗りたくればすむ時代になっても、このスタイルが継承されているのは、興味深いことです。----------------------------------------
[福岡県神社誌(抄)] 記載なし(発見できず?)

[社名(御祭神)]?

[社格]?

[住所]?

[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.09.17訪問)

北九州市門司区寺内3丁目 地神社


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戸上神社を訪問しようとしていたところ、ゼンリンに記載があり、立ち寄りました。

福岡県神社誌では発見できませんでしたので、どのような祭祀なのかはまったくわかりません。ただ、社名から推測すると、天神社・田神社・地禄神社などと同類なのかな?と漠然と考えるばかりです。
福岡県神社誌には、「地神社」が6社掲載されています。

895 無格社 地神社 鞍手郡吉川村大字三ヶ畑字南(保食神)

948 無格社 地神社 鞍手郡吉川村大字脇田字井原(埴安命)

1923 無格社 地神社 三潴郡大溝村大字横溝字五反田北(埴安命)

2590 無格社 地神社 三池郡開村大字北新開字君次郎(埴安命)

2593 無格社 地神社 三池郡開村大字北新開字汐井川(埴安命)

2819 無格社 地神社 田川郡赤池町大字上野字原田(埴安命、埴安姫)

1社のみ保食神とありますが、残りは埴安命=大幡主です。

嘉麻市椎木 天神社 - 美風庵だより

神社誌に記載されている地神社の配置は、バラバラです。もともとはもっと各地にまんべんなく存在していたものが、なんらかの影響で衣替え・上書きされたと考えるのが自然だと思います。

まさか鞍手、田川、みやま市・大木町、そしてこの北九州市門司区で同時発生したとでも言うのでしょうか?

[福岡県神社誌(抄)] 記載なし(発見できず?)

[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2019.09.17訪問)

12月2日の日録

赤貧です。11月30日と12月1日はそれぞれ半日出勤だったので、12月2日にお休みをいただきました。

朝、8時半に家をでて、労金飯塚支店に行きました。労金の通帳は13年前から持っていたのですが、当時、キャッシュカードをつくる申し込みをしていませんでした。仕事場に営業さんが来たときに、預けて記帳してもらえばよいと考えていたからです。
ところが、仕事場を追い出され、同業他社に転職したはいいものの、そこに出入りしている営業さんとはまったく面識がありません。毎年年度末に、自動車共済の掛金が引き落とされるのですが、その前に残高が足りているかどうか、ほかの支店にいちいち通帳を持ち込まないと確認ができない状態になりました。キャッシュカード契約をしていないと、ATMで記帳できないのです(この取り扱いは他の金融機関でも同じです)。

さすがに不便になり、ネットバンキングの契約をしようと調べてみると、まず、キャッシュカードの契約をしないとネットバンキングの契約もできないことに気づきました。仕方がないので、労金飯塚支店に行きます。

八丁トンネルの効果は絶大で、朝9時台に40~50分ほどで飯塚市西町にたどり着きました。

労金飯塚支店に前回行ったのはいつだったか、思い出せません。場所を覚えている以上は行ったことがあるはずなのですが。

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無事、改印届、住所変更届、キャッシュカードの申し込みを終えて、つづいて飯塚市鹿毛馬(旧頴田町)の厳島神社を訪問しました。
紅葉と銀杏が美しく、境内の隅々まで手入れされた素晴らしい神社です。
一般的には安芸の宮島にある厳島神社のほうが元宮だと解されています。
しかし、市杵嶋姫は宗像出身、田心姫は旧北野町出身、湍津姫は宇佐出身と、全員、北部九州を支配した各一族の姫君たちであることを考えれば、元宮は九州に在る厳島神社であるともいえるわけです。後世、より立派な本家が出来、立場が逆転したのです。
よほど衰亡した一族でもないかぎり、後世になるほど、箱は立派になります。京都御所と東京の皇居をくらべれば、ご理解いただけるでしょう。要は、それと同じことが起きた痕跡のひとつなのです。

tabelog.com鹿毛馬の厳島神社をでて、嘉麻市中益の「かほラーメン」でBセットをいただきます。50円値上げして1,040円になっていました。あいかわらず美味いお店です。