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北九州市門司区大里戸ノ上1丁目 御所神社・熊鷹稲荷神社 - 美風庵だより
戸上神社からの帰り道、バス停2つほど歩いて御所神社を再訪しました。
8月11日にいちど訪問しており、今回が2回目です。
嘉麻市大隈町 北斗宮 - 美風庵だより
戸上神社を訪問し妙見信仰の痕跡を発見することができました。妙見信仰をさいしょに奉斎したのは熊襲である話は、以前、嘉麻市大隈 北斗宮を訪問したおりに、書いたとおりです。
前回、8月に訪問したときは、熊鷹稲荷神社の存在だけをみて不思議がっていたのですが、徒歩圏内に妙見信仰の神社があるとわかれば、ここも神功皇后・筑紫君・阿蘇津彦合同軍から滅ぼされた羽白熊鷹の遺構とみるよりほかはありません。
8月12日から17日にかけて、妙見信仰のひろがりを確認するため「大祖神社」と名の付く神社をピックアップして、田川・京築方面の神社めぐりを実施しました。同じ妙見宮でも御祭神がことなる点に疑問を抱いたのですが、おそらく妙見信仰が本州方面に伝わっていく経路が違うのでしょう。(1)(八代~大隈~)田川~小倉・足立山~門司~下関・本州と(2)(八代~大隈~)田川~行橋~本州となっていったのではないでしょうか。
羽白熊鷹(日本書紀では「羽白熊鷲」)の伝承と、門司や下関の熊鷹稲荷の存在は(1)の経路に属するものです。
もともと日本は熊襲の治める地であったのが、熊襲以外の部族が進出してきて、結果として高木大神の系譜をひく崇神王朝により統一されていきます。
熊襲は真っ先に排除すべき旧支配階層として、高木大神と手をむすんだ健磐龍(阿蘇神社)といった例外をのぞいて、「朝敵」とされていくのです。
なぜお稲荷さんなのか。そこはもっと考えていく必要があるのですが、少なくとも、羽白熊鷹は採鉱の技術をもっていた集団ではあったようです。朱色はなんといっても硫化水銀の色であり、金銀の精製は水銀がなければ出来ません。
赤と金色のどぎつい配色は、ただの信仰というだけでなく、部族の財力と技術力の誇示だったわけです。硫化水銀や金箔を使わなくても、赤と金色のペンキで塗りたくればすむ時代になっても、このスタイルが継承されているのは、興味深いことです。----------------------------------------
[福岡県神社誌(抄)] 記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
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(2019.09.17訪問)