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福岡県神社誌では田熊神社となっています。現地、一の鳥居の扁額は「示現神社」とあり、神社として届け出たときは田熊神社としたものの、現地ではそのまま示現神社とされていたようです。
ほかにも同様の事例があるところをみると、たぶん福岡県神社誌は届け出の書類から編集して、現地との目視照合は行っていないのではないか?という印象をうけます。
二の鳥居の扁額は「示現宮」です。
現地に案内板などはありませんが、御祭神をしめした石碑はあります。
社殿背後に、境内社として大きい石祠が4社、小さい石祠が6社あります。
どうもわかりにくいことに、須賀社と彫られているようにみえて、どうみても大黒さまが鎮座しています。
貴船社のまわりには、恵比須さま。
どなたさまでしょうか……。
背後の石祠は、正面向かって左側の3社は、社号等が見当たりません。右側は愛宕社、五穀社、薬師社とあり、かろうじて誰が祀られているかはわかるのですが、この6社ものぞき込むと、陶製の恵比須さま、大黒さまが並んでいます。
福岡県神社誌:上巻166頁
[社名(御祭神)]田熊神社(素盞嗚尊、大己貴命)
[社格]村社
[住所]宗像郡東郷町大字田熊字中尾
[由緒]宗像七十五社の一也往古は出雲の大社と排列の社と云ふ故に十一月二日に神事有りと宗像年中行事記に見えたり。昔は村の良じげと云ふ所に在りしを延宝年中今の社地に遷座す其の跡には四至の大石四箇建てり其間甚広し今は田と成れリ其北に甑島と云ふ字有り御饌を調達せし所と云ふ其地二反歩計りあり、又其近き所に鳥居田あり鳥居を建てし所と云ふじげは示現の訛にて当社を示現大明神と云ひしを明治三年故ありて田熊神社と改称す。昔は大社なれば古文書古器物等数多ありけれ共安永五年に社殿囘禄に及び今は少し残れり。明治五年十一月三日村社に被定。
[境内社(御祭神)] 須賀神社(伊弉諾命、伊弉冊命、素盞嗚命)、貴船神社(保食神)、多賀神社(伊弉諾命、伊弉冊命)
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.12.14訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。