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名鉄小牧線楽田駅から大縣神社に向かう途中でみつけた神社です。
大縣神社の帰りに訪問しました。
まったく予備知識も手元資料もありませんので、この神社について触れた他のホームページをまるっと引用します。
式内社調査報告では「諸钁神社」と表記する。
楽田(がくでん)駅北東に鎮座する。
創祀年月を仁寿元年(851)としているが不詳。
恒武天皇の御代、尾張、伊勢の土族退治に官兵を派遣された。
土族は狂暴で征伐できず征夷大将軍坂上田村麿を遣わした。
田村麿は日頃崇拝していた建御名方神(諏訪大明神)をこの地に分霊を祀り、無事征伐したという。
神階は正四位下、従位上、従一位と鎌倉から室町時代にかけて昇叙したようである。
中世は諏訪神社と称された。
社号標は補強がなされています。
狛犬を竹で装飾するのも、北部九州ではまずお目にかかれません。
参道から社殿を直視できないようにする「蕃塀」をみると、今日は尾張名古屋に来ているのだなぁ、という気分になります。
境内には「諏訪大明神御廣」という石碑と、おそらくは旧社殿の瓦が祀られています。「御廣」では意味が分からないので、おそらく「御広前(御神前)」の最後の字が埋もれているのでしょう。
梶紋にはみえず、どこか葵紋のようです。
拝殿の御神紋は、梶紋にみえます。微妙な違いにはなにか理由があるのでしょうか?
境内の広さや蕃塀の位置をかんがえると、やけに社殿が小さいとおもってよくよく眺めれば、もとは縦長の拝殿がべつにあったようです。再建時に、ふた回りほど小さく建て直したとおもわれます。
境内社は1か所にまとめられていました。
画像左から神明社・稲荷社・(不詳)・琴平社・厳島社・須賀社・(不詳)でした。
【境内社】神明社・稲荷社・池鯉鮒社・嚴島社・琴平社・御鍬社・須賀社
先達の調査結果によれば、よくわからない2社は、池鯉鮒社・御鍬社であったようです。
(2022.12.11訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。