松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

佐賀県佐賀市呉服元町 愛宕神社


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愛宕神社 - さがの歴史・文化お宝帳

関ケ原合戦のとき、鍋島勢は西軍に加担したことで、徳川から疑惑の眼で見られ、鍋島家の浮沈にも及ぼうとしたおり、井伊兵部少輔・本多佐渡守、円光寺住職元佶らの斡旋で、かつ、直茂の忠心に対し許され、筑後柳川の城主立花左近将監宗茂征討の命を受けた。慶長5年(1600)10月14日鍋島直茂・勝茂父子は、3万余騎を率いて佐賀を出発した。
この折り、各地方は罹災多く特に災火の禍いを憂慮された勝茂は、鍋島生三を名代として、京都愛宕山に祈願をしたところ、無事災害もなく御利運があったので御信仰を深められ、新堀端(佐賀市呉服町)に京都愛宕山より勧請された。
東京愛宕神社の祭神は、火の神(火産霊命{ほむのびのみこと})・水の神(罔象女命{みずはめのみこと})・山の神(大山祇命{おおやまつみのみこと})などで、伏せの神として広く信仰されてきた。
(略)
平成28年(2016)4月の熊本地震の際に鳥居は倒壊しましたが、立派に再建され現在に至っています。

愛宕神社の正面向かって右手には旭森稲荷神社があります。お稲荷さんの横の祠をみると、ヘビさんが祀られていましたのでこちらにも手をあわせます。

さいしょ社殿だとおもった建物を拝謁させていただくと、おみくじの自販機と扁額があります。見上げると社殿はべつにありますが、構造上、裏手にまわりこまないと撮影できそうにないので、ここで諦めました。

鍋島藩造営のお宮らしく、鍋島杏葉紋が至るところにみられます。

拝殿内に銀杏の落ち葉がだいぶたまっていますが、お榊の具合をみるとけっして祭祀が絶えているというわけではないようです。

境内には地蔵堂もありました。近づいてみると、どうやらこの中央のお地蔵さんがほんらいの祭祀で、ほかの仏像は処分に困ってここに持ち込まれたもののようです。

「勝手に置くな」の貼り紙はけっこうみかけますが、お寺さんとかで魂抜きとかしてもらえないんでしょうかね……。

途中から継ぎ足した跡があり不思議だったのですが、佐賀市運営のホームページに平成28年の熊本地震で倒壊したとあり、我が家も揺れましたがこの地域もけっこうな被害があったのかとおどろきました。

(2022.12.08訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

2022年12月8日の日録 - 美風庵だより