松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

福岡市早良区次郎丸5丁目 埴安神社


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鉄筋コンクリート造の立派な社殿です。

埴安神社縁起

埴安神社は次郎丸の氏神様である。
この地は南に背振山、東に油山、西に飯盛山を望み、室見川に接し、早良平野のほぼ中央に位置している。
埴安神社がいつごろから祀られ、今日に至ったかについて、埴安神社明細書には「埴安神はかく鎮座、年代は不明なれども最初次郎丸字庄ノ町参百九拾番地の一に鎮座したることは棟札により明らか。」とある。この地は今も「古宮跡」といって石碑が残っている。(社より北西に約三百米)
現在のような神社になったのは、今から三百三十五年前、江戸時代寛文年間に宝殿一宇を建立したことにはじまる。
又、天明年間には「拾陸天神社」として祀られたことは定か。この古額は今も神殿に祀られている。神紋が「梅鉢」であり「牛の石像」があることからも、うかがい知ることができる。
以下由緒について「棟札の写し」より抜粋しここに記す。


一、御祭神 埴安大神 埴安大神は天照大神のご兄弟で土神様である。
一、事績
・寛文九年(一六六九)四月二十五日 古宮宝殿一宇
・元禄二年(一六八九)四月二十八日 宝殿一宇建立
・元禄十二年(一六九九) 宝殿一宇建立
・正徳四年(一七一四)三月二十六日 拝殿建立一宇
・天明四年(一七八四)九月二十五日 本殿修復渡殿建立 十六天神宝殿一宇
・寛政七年(一七九五)四月二十三日 拝殿一宇
・文政七年(一八二四)五月 鳥居寄進 当村氏子中
・天保五年(一八三四) 十六天神宝殿改造
・元治二年(一八六五) 拝殿一宇葺替
・明治十四年(一八八一)四月十九日 神殿屋根替
・大正十年(一九二一)四月 神殿屋根替
・昭和三年(一九二八)十一月十四日 通夜殿新築
・昭和五十四年(一九七九)七月 神殿拝殿鉄筋新築
・平成八年(一九九六)十月十七日 手水舎寄進 氏子中

一、祭典日
・一月一日 元旦祭
・四月二十五日 祈願祭(春祭)
・七月二十五日 虫駆祭(夏祭)
・九月二十九日 注連卸祭
・十月十七日 御供日(秋祭)
・十一月二十五日 新嘗祭

平成十六年十一月吉日
埴安神社 氏子中 

これまで各地を訪問してきた感じからすると、天照大神の兄弟神という説明には驚くほかありません。埴安命とは博多のお櫛田さんであり、神皇産霊神であり、国常立命であり、さらには熊野速玉男であるからです。

「拾陸天神」とは「じゅうろくてんじん」、十六天神を指します。

福岡県神社誌を、社号に「十六」を含むもので検索すると、県内に4社あります。

3145 村社 十六神社  筑紫郡岩戸村大字片縄字内田【御祭神:埴安命】
3412 村社 十六神社  鞍手郡西川村大字八尋字小広木【御祭神:16柱】
3570 村社 十六天神社 糸島郡一貴山村大字武字南武【御祭神:埴安命】
3656 村社 十六天神社 糸島郡雷山村大字山北字ハビロ【御祭神:埴安命】

鞍手郡鞍手町にある十六神社以外は、すべて埴安命を祀るとしています。

 

御神紋が梅鉢紋で、撫で牛像があるということは、「天神」つながりで菅公とみなされていた時期があるということでもあります。

社務所から幣殿(渡り)に直接入れるようになっており、なかなか動線をかんがえたつくりになっています。 

福岡県神社誌:中巻138頁
[社名(御祭神)]埴安神社(埴安神)
[社格]村社
[住所]早良郡田隈村大字次郎丸字本村
[由緒]不詳、明治五年十一月三日村社に被定。
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.11.17訪問)
 
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。

2022年11月17日の日録 - 美風庵だより