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拝殿内にあがって本殿のお供え物をながめていると、なんと三備一宮吉備津神社の御神酒がお供えされていました。
なかなかみかけないので驚いてしまいます。
大字東光寺産土神由来記
吉備津宮
祭神 吉備津彦命第十代崇神天皇の時、彦五十狭芹彦命は四道将軍の一人西道将軍となり、弟稚武彦とともに吉備の国に住む豪族温羅の反乱を平定して後、吉備の国造となり、吉備の国に住んだところから吉備津彦命と言ったといいます。
吉備津神社は備前の国に本社があります。九州には筑前東光寺に吉備津宮があるだけです。
福岡県神社誌によりますと、寛文元年(一六六一)黒田三代藩主、光之の家臣、宮内政盛が勧請したとあります。宮内政盛は侍のうち一〇〇石以上の地行取りで、たまたま東光寺を領有し、郷里備前の産土神吉備津神社を勧請したと考えられます。
吉備津彦命と温羅の合戦は、桃太郎の猿蟹合戦物語の原型と伝えられています。
子孫は代々吉備臣を称し、その末裔には、太宰大弐となり怡土城を築き、のち右大臣まで進んだ吉備真備があり、又鎌倉時代の初頭、博多聖福寺を開いた禅僧の榮西があります。
東光寺の地名の由来ははっきりしませんが、吉備津宮の神宮寺であったであろう来光寺からの地名であるかもわかりません。
因に拝殿前上の扁額裏書に、天明丙午(天明六年、一七八六)六月、加藤虞山一純の銘があります。祭り日
元旦祭 一月一日
春祭 四月十五日
夏祭 八月七日
秋祭 十一月一日宮司 佐伯昌彦
筑前の神々 著者 八尋勇
福岡藩の黒田家はもともと岡山の出身で、九州博多に同行した家臣宮崎氏が、故郷の神社を勧請したものとあります。
拝殿には、ところ狭しと絵馬が奉納されています。
拝殿と本殿の裏側に、社務所兼集会所があります。
狛犬さんをみていないとおもって探すと、小屋に隔離されていました。
福岡県神社誌:中巻52頁
[社名(御祭神)]吉備津神社(吉備津彦命)
[社格]村社
[住所]筑紫郡那珂町大字東光寺字内畑
[由緒]不詳、寛文元年旧藩主黒田家の家臣宮内政盛創立、明治五年十一月三日村社に定めらる。
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.10.21訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。