松村かえるの「かえるのねどこ」

旧「美風庵だより」です。

10月21日の日録

意外と将来自分がそうなるかもしれず笑えない。

断続的に2回電話がかかってきて、まだもめている最中なのですが、あらましを書きたいとおもいます。昨日いちど書いて削除した話題の焼き直し版です。

以前から面識のあるかた(Aさんとします)から話があり、19日の夜、Aさんの父親と会う機会がありました。このお父さんと会うのも、十数年ぶりでした。

Aさんのお父さんは他県から出てこられて、当時国鉄の駅やバス路線があった辺りの土地を購入されました。豪儀なことに2区画契約し、さいしょは両方を1つにして家を建てる予定だったそうですが、お父さんの弟さんが隣に家を建て、兄弟並びで住むことになります。

弟さんが亡くなって空き家となり更地にして、お父さん名義の地べたが隣に残ることになりました。

隣の家からお父さんにまず更地を売ってくれという話があったそうです。「息子が戻ってくるかもしれないから売れない」と返事をされ、学校で先輩・後輩だった隣家の主人が、こんどはAさんに直接、親から断られた話をします。

Aさんにしても、その家族にしても、戻る気はさらさらありません。

Aさんの御子息は外国や東北で暮らしており九州に戻る気配はありません。Aさん夫婦も福岡市内のこのへんでは最高の都会暮らしで、路線バスが一日5本のくそ田舎に戻るなんて嫁が大反対です。

こういうブログなんか書いていると、どうやらいろいろ詳しいとおもわれるようで、説得に動員されました。

国土交通省 土地総合情報システム Land General Information System

【みんなの0円物件】無償譲渡物件の不動産マッチング支援サイト-空き家,住宅,土地,店舗

動員されお互いもう誰が誰なのかもおぼえていない状態で会い、国交省が開示している過去の取引価格や、無償譲渡仲介のWEBサイトに掲載されている近所の物件を示すと、「こんなもんあてになるか!」と吠え、このお父さん私に指をつきつけて「きさま!詐欺師か!こがんとをつれてくるな!」と怒鳴ります。

さすがにカチンときました(笑)

「(他県)から出てきて裸一貫で頑張った話はさっきから聞いた。お子さんも孫もよそに住んでて、よそで生活している。ここに戻らないと息子が言ってるのにどうしてこだわるのか」と言い返すと、わめくのでこちらも怒鳴り、収拾がつかなくなります。

沸点がお互い低いね……(笑)

言うことはわからなくもありません。

田舎を出てきて借金返済して「根城」をもち一国一城の主となったのだから、ここが本拠であって子供も定年後は戻ってきてとうぜんだし、そのために売らないと言い張るわけです。

その子供が「田舎にもどらないから渡りに舟だ整理しよう」と言っているのです。

嫁に叱られ、親の説得に援軍をつれてきているのです。あなたの御子息は(笑)

たしかに、お父さんのいうとおり昔は国鉄の駅もあったし路線バスも目の前の道路を走ってました。駅どころか国鉄線そのものが廃止になり、再開発で県道が付け替えられ目の前の道は町道に格落ち、新興住宅地やショッピングモールのあるほうに路線バスも経路が変更となって、いまや1日5本しか来ません(なお、10分ほど歩いて県道にでれば1時間に2本はあります)。

そりゃあAさんの嫁が「あんたの田舎に引っこむなんて嫌!」というのが、とうぜんというもの。

この状況は、取引価格(地価)にも反映します。どうも買った当時の金額、お父さん本人の言い値を信じるなら、国交省のWEBサイトに載っている過去2年間の取引価格の10倍です。しかも買ったのが昭和40年ですから、インフレなどをかんがえれば、たぶん実感としては20分の1くらいに暴落しています。

お父さんの怒りがおさまらないようで、数時間おきにネチネチとiPhoneに2回電話がかかってきました(そもそもなぜ私の電話番号を知っているのかという疑問もあるのですが)。

「子や孫がいつも来てくれる家をのぞんでいたのに、正月以外顔をださない。孫なんて10年はみていない」という愚痴も、10回は聞きました。

最初はあんまり腹がたつので、向こうの家まで押しかけていってクソジジイをしばこうかとおもったのですが、外出のため着替える寸前までいったところでおもいとどまります。警察に逮捕されても、私にとってなんにも得になりません。

本人の言い分もわからなくはありません。よかれとおもってせっせと借金返済して手に入れたのに、誰も要らないと言っているのですから。

しかもいちど言い負けた子息が、2回戦目は外部から援軍まで連れてくる始末。

子息にあたれないので、他人に怒りの矛先が向かうわけです。

こんど電話がかかってきたら

「もとをただせば息子さんの嫁が田舎には戻りたくないって言っているのだし、それにあなたの息子さんが従ってるからこうなったのです。あなた息子の嫁直々に呼びつけて、きさま嫁としてなにをかんがえとるか!おれに従えないなら息子の嫁ではない!出ていけ!と息子の嫁に言えばいい。あなたと嫁を天秤にかけて、嫁の言い分に従っているのは、あなたの息子さんでしょうが」

と、言ってやろうとおもって待ち構えているのですが、今朝から電話がぴたりとかかってきません。怒鳴られてわめかれて精神的に大損もいいところで、仲裁どころかこうなりゃ家族関係を破壊してやる気マンマンなのが、バレたのでしょうか。

「老いては子に従え」と申します。

私は訳あり物件なので従うべき子はいませんが、時代は変わるのですから、自分が老いたとき、あんまり若いものをいじめないほうがよろしいかと。

今日の運動経路

いつもの縮尺だと福岡市内のどのあたりかわかりにくいため、今回は違う縮尺で2つGPSログを用意しました。おおよそ博多駅と福岡空港の中間あたりです。

約3.5km、80分ほど歩きました。

知人事務所のかたに同行して打ち合わせがあり、終わったあとに現地で棄ててもらい、4社、神社めぐりをしました。

東光寺北口」バス停から、歩きます。

1社目は吉備津神社(吉備津宮)です。

福岡藩を治めた黒田家はもともと岡山の出身で、そのころから付き従った家臣の宮崎氏が、自分の領地に故郷から勧請したのがこの吉備津神社とのこと。三備一宮の吉備津神社とある御神酒が奉納されています。吉備津彦神社のほうではありません。五七桐紋なので、吉備津彦も九州王朝(や鵜葺草葺不合命:うがやふきあえず)となんらかの関係があることがわかります。

黒いのはボラでしょうか。

つぎの地禄神社は、川のうえにフタをしてつくられた緑地公園の一角にあります。

もとからここに在ったのか?という気もしますが、背後の木々が立派なので、このお宮がある一角は、もともとからの地面なのかもしれません。

3社目、上牟田の地禄神社です。境内に御神牛像があるのですが、さいしょなにかわからずしゃがんでのぞき込み、鼻のかたちで牛ときづいた次第。今回の訪問にあたり参考にしたWEBサイトに10年前の画像があるのですが、割れっぷりが尋常ではありません。誰かいたずらしたのでしょうね……。

山王公園がみえてきました。このなかに、日吉神社があります。公園がある場所を比恵山(ひえやま)と言っていたそうで、とすれば日吉神社と書いて「ひえじんじゃ」と読むのが正解なのだろうとおもいます。

公園でジョギングをしているかたや、一般のかたが続々と参拝にみえられるので、なかなか写真が撮れません。なかなか繁昌しています。

二の鳥居に「元禄10年」(1697年)とあります。いくらみても石ではなくセメントにみえるので、後世、そのまま再建したものでしょう。もしくはこの鳥居の一部は元禄年間のもので、傷んだ部分をセメントで作り直したか……。

山王公園前」バス停まで歩いて、本日の神社めぐりは終了です。ここから、知人事務所までバスで戻りました。

エアバスってこういうドラマがあったんですね

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エアバスっていまふつうに利用してますけど、国際共同開発ってたしかにたいへんですわね。

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エアバスついでに、日本で最初に導入したTDA(東亜国内航空)について解説した動画も眺めてるんですが、田中勇さんってとんでもない寝業師だとおもってたけど、この騒動のとき70過ぎてるんですよね。すごいというかなんというか。元気というか。