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この宝満神社は、大野城市中1丁目にある御陵宝満神社が勧請元です。
御陵宝満神社 古墳めぐりウォーキング(※文章作成後、リンク切れとなっています。修正が間に合っていません)
西暦七一年~一三〇年 景行天皇在位期間
天皇自ら筑紫に下らせ給い、熊襲を征服し給う。この時、御稜の宮に、ご祈願ありて賊を平らげ給う六七〇年十月二十二日
天智天皇は十年・奉幣使を下され寶満宮と勅号を参らせる一五九二年~一六八一年
御稜寶満宮は、中・乙金・山田・筒井・井相田村の勧請を受け、それぞれに分社される
御陵宝満神社は今後訪問する予定です。
由緒不詳の神社がおおいなか、この筒井宝満神社は、創建からの歴史を確実に追うことができます。
明るい雰囲気のある社殿・境内です。


本殿と拝殿を渡りでつなぎ、拝殿の周囲には壁がない、旧筑紫郡部や朝倉市郡でよくみかける様式です。境内はよく清掃され、地域の愛情を感じることができます。
iPhoneで境内をまわり撮影している途中も、歩いているかたが鳥居前で立ち止まり黙礼されていました。昨今は手入れもろくに出来ていないお宮が多いなか、すごいことだと感じます。
拝殿には「宝満宮」の扁額があります。
御神木でしょうか。根上がりの部分が補強されています。虫食いの被害でしょうか。
筒井宝満神社縁起
祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
縁起 玉依姫は延宝三年一月中区御陵の宝満神社から勧請した。
神格
玉依姫は海神豊玉彦の娘である。日本神話では兄海幸彦から借りた釣針をなくした弟の山幸彦はこれを探して海神の宮に行き、姉の豊玉姫と結婚して鵜草葺不合尊を生まれるが、妹玉依姫は姉に代わってその御子を養育し、後に后となって御子神日本磐余彦(神武天皇)を生まれたとあるため、育児と子供の成長祈願の神とされ、また海神の娘である玉依姫には水を支配する能力があると考えられ、宝満山の頂に座して水分の神となって農耕豊作祈願の神として崇められた。平成十五年六月吉日
1675年(延宝3年)に勧請され、以降ずっとこの地にあるお宮さんです。
本殿は平成5年(1993年)、拝殿は昭和62年(1987年)改築とのこと。それにしては綺麗なもので、おそらく数年おきに補修が加えられているのでしょう。
福岡県神社誌:上巻72頁
[社名(御祭神)]宝満神社(玉依姫命)
[社格]村社
[住所]筑紫郡大野村大字筒井字古賀
[由緒]延宝三年卯一月御陵宮より勧請明治五年十一月三日村社に定めらる。
[境内社(御祭神)]記載なし。
[摂社(御祭神)]記載なし。
[末社(御祭神)]記載なし。
(2022.10.02訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。