大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
この地はむかし猿喰湾という海でした。江戸時代に干拓が行われ「猿喰新田」ができるまえは、裸島という島だったそうです。
集落側から田畑に抜ける道の途中に、鳥居があります。
厳島神社(裸島)
厳島神社は安永2年(1773年)に、猿喰新田を守る神社として建てられました。この場所は新田が出来るまでは、猿喰湾に浮かぶ小さな島で、羽高島・波多加島(裸島)と呼ばれていました。
本殿の石の祠(ほこら)の横にある延命地蔵菩薩は、安永年間に建てられたと言われています。
猿喰新田の堤防の北と南に、水神様として厳島神社が祀られています。
猿喰新田の開作に当たって、石原宗祐は実弟の柳井賢達の協力を得て行ったため、両家の所有を区切るため中央の灌漑溝を境として門司側、大里側と呼びそれぞれ厳島神社を創建しています
今昔マップでふるい地図を確認すると、多少ズレていますが、だいたい道のあたりで北が弟の所有、南が兄の所有となっていたようです。
今回訪問するのは、画像下側です(上側の厳島神社は前回紹介しました)。
踏み跡のはっきりした道を歩きます。
途中、島の真んなかあたりに池があります。手水としてつかうため川の水をひいたもののようですが、ほとりにちいさな祠が設けられているところをみると、これじたいを水神の池とみなしていたようにもおもえます。
正面向かって左側がお地蔵さんの祠で、右側が厳島神社の石祠です。
厳島神社の石祠をみていて不思議なのは、上に宝珠があり、下の御神紋が木瓜紋か、(祇園様でみるような)織田木瓜のような姿をしていることです。これは、この地を干拓した石原家の家紋かなにかでしょうか?
厳島神社は、三つ盛亀甲に花菱紋ですので、少々ちがうような……。
福岡県神社誌:記載なし(発見できず?)
[社名(御祭神)]?
[社格]?
[住所]?
[境内社(御祭神)]記載なし。
(2022.09.09訪問)
訪問当日の様子はこちらに掲載しています。