美風庵だより

風にちる 花のゆくえは 知らねども

9月9日の日録



久しぶりにまともな装備して神社めぐり。

9日は、休みでした。なお、土日は働きます(予定)。

休みなのだから朝からずっと寝ようかともおもったのですが、朝晩が25度を切り、日中も30度を超えないとあっては、出かけるほかありません。

久しぶりに、充電式の懐中電灯(モバイルバッテリー兼用)の調子を確認し、応急セットや合羽を準備します。ほぼハイキングや軽登山の装備です。

ここ最近、仕事行のカバン下げて歩いてましたからね……。やっと真面目に歩けます。

甘木を6時前に出て、小倉の知人事務所の駐車場に車を停め、小倉駅バスセンターまで歩きました。

ここから、城山霊園という場所に向かい、そこから新門司港側にむけて、猿喰(さるはみ)地区を歩きます。高低差100mを下るだけの簡単なコースです。

しかし、今日の目的地とその周辺は、シカを食うとか、サルを食うとか、すごい地名だらけです。以前どこかで読んだのは、猿喰地区はむかし大きなサルが大量に出没して稲穂を食い荒らすので村人が殺したところ、祟りに遭い、祠を建てて慰霊をしたことに由来するというものでした(じゃあ鹿喰はシカの食害だらけ?わかりません)。

城山霊園前」バス停に到着です。市立墓地だからバスなんてほとんどないんだろうと思いがちですが、日中もっとも多い時間帯は1時間当たり10本走ります。門司と新門司(裏門司)をつなぐ峠のてっぺんに、墓地があります。

市立霊園一覧 - 北九州市 (kitakyushu.lg.jp)

すごい数のお墓が、この大久保池を取り囲むようにして建っています(敢えて撮影しません)。

ここ、いまはどうか知りませんが、私が学生のころ、心霊スポットとしてとても有名なところでした。昼間から幽霊が車の後部座席に乗ってきたとか、原付で走ってたら幽霊に抱きつかれたとか、散歩途中のかたが大久保池に引き寄せられて飛び込んだとか、バス停のあるカーブで意識が飛んで対向車に突っ込んだとか、もうどこまで本当かわからない噂が飛び交っていました。

同人誌のネタに、知人といちど訪問しましたね……。

その後、その彼は就職した会社が倒産して、いつのまにか音信不通です。

霊園内にある、白玉稲荷・白鷹大善神と三宝荒神を訪問します。

今日は急いでるからさっさと次に行かなきゃ。

そうおもって歩いていると、なにやらやたら低い穴に出くわします。地理院地図をみると、いちおう歩道のようで記載があります。

真っ暗でなかなか怖いトンネルでしたが、穴を抜けたら次の「七ツ石」に向かうショートカットでした。

お化けランドどころか、ここ、とっても親切じゃないですか。学生時代、ふざけたことを霊園のほうに向かってかるく手をあわせ、謝罪しました。

豊前 猿喰城-城郭放浪記 (pei.jp)

次の「七ツ石」に向かう途中、猿喰城跡への登山道と入口案内板がありました。南北朝時代、ここは同族同士(門司氏)が、それぞれ南朝方と北朝方にわかれて敵味方戦った歴史がある場所です。

門司区大里柳・伊川・猿喰・平山周辺地区の史跡等

「七ツ石」は、南朝方として戦い猿喰城で討ち死にしたお侍さんを弔うため建てられた墓で、地蔵堂やお稲荷さんの痕跡があり、むかしは盛大にお祀りされていたことがうかがえます。残念ながらほぼ廃墟?といった感じです。

次は、猿喰地区の本村にある木舟社(木舟神社)を訪問しました。

じつにひろい境内です。むかしはほかにもいろいろと建物があったのでしょうか。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室) (ktgis.net)

大正時代の地図では、ここが「猿喰」となっています。戦後の地図に切り替えると同じ場所に「本村」とあります。現在、海沿いが発展しているため気づきにくいのですが、どうやらこの山奥が、本拠というか、発祥のようなのです。

のどかな田園風景のなか、九州自動車道のでかい橋脚を見上げ、先の「柳田弥九郎墓」まで急ぎます。

九州電力門司変電所の入り口がみえてきました。ちょうど道路の除草作業中でした。パッカー車に刈った草を積み込む作業を横目に、九州自動車道の下をくぐって、変電所に向かいます。

門司変電所玄関の右側の舗装路をまっすぐ進み、左折して突きあたりで今度は右折します。

門司区大里柳・伊川・猿喰・平山周辺地区の史跡等

あとはまっすぐすすめば「柳田弥九郎墓」にたどり着きます。

しかし、こんな史跡マニア以外だれも寄り付かないような場所でも、落書きあるんですね……。悪ガキのたまり場になってるんでしょうか?

門司の名所・旧跡案内@塚墓 (mojiku.net)

ガントウ塚
小高い山の山頂に玉石が露出した2つの塚(墓)がある。誰の墓かはわからない。「ガンドウ」の由来は、この近くまで海岸が 迫っていたとされ、海岸線にある小山を表す岸頭であると言われている。 

どうも目の前にあるこの山がガントウ墓(ガントウ塚)なのだろうと推測するのですが、確信がもてません。

ほかは立入禁止の看板があったり、柵があったりして、たぶん登り口はこれしかないとおもうのですが、みただけで足場が悪そうです。今回は断念することにしました。

縁があれば、この日記を読んだかたから、正しい登山口と正確な場所を教えてくれるでしょう。

門司区大里柳・伊川・猿喰・平山周辺地区の史跡等

猿喰公民館横の地蔵堂に来ました。ここには「宝篋印塔」があるとのこと。

お地蔵さんのよこに、祀られていました。おもったより、小さいですね。

門司学園入口交差点までやってきました。

トラックが1台、セルモーターがいかれてエンジンがかからなくなり、大型トラックの運転士さんが一緒に押して路肩に退避させている真っ最中でした。こんな交通量そこそこある道でエンコとか、こわいです。

雲がすこし厚くなり、パラリ、パラリと雨が落ちてきました。

さいしょはどこかの木からセミのションベンが飛んできたのだとおもっていましたが、頭上に木があろうとなかろうとときおり落ちてくるため、そこで雨だと気づきました。

丘越しにフェリーの煙突がみえます。煙突の模様からして、まちがいなく阪九フェリーですね。

フェリーの煙突の写真なんぞ望遠で撮影して喜んでいたら、うっかり厳島神社を通り過ぎてしまいました。戻ります。鳥居が奥にあるため、気づきませんでした。

門司区大里柳・伊川・猿喰・平山周辺地区の史跡等

猿喰新田を開発した石原宗祐(いしはらそうゆう)の顕彰碑があります。

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 この一帯は、享保の大飢饉(1731~1732年)で大量の餓死者が出たことに心をいためた庄屋 石原宗祐が私財を投じ、庄屋職をゆずって専念し、猿喰湾を干拓した場所です。ぜんぶで33ヘクタールあるとのこと。

小笠原藩に手腕をかわれ、のちに彼は曽根新田85ヘクタールの開発にもかかわります。

しかし、江戸時代の庄屋って土木工事の知識がないといけなかったんですね……。

いまのお百姓さんで、自分で水利工事や土木工事を設計施工監理しようとおもうひと、居るでしょうか……。

これから「5」の「汐抜き穴」に向かうことにします。

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現地に到着しました。

ひとりの元庄屋が湾に自費で拓いた新田 その① 福岡県北九州市門司区猿喰 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ (ku-hibino.com)

ひとりの元庄屋が湾に自費で拓いた新田 その② 福岡県北九州市門司区猿喰 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ (ku-hibino.com)

ひとりの元庄屋が湾に自費で拓いた新田 その③ 福岡県北九州市門司区猿喰 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ (ku-hibino.com)

ひとりの元庄屋が湾に自費で拓いた新田 その④(最終回) 福岡県北九州市門司区猿喰 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ (ku-hibino.com)

この汐抜き穴と猿喰新田については、すでに詳述されたブログがありますので、そちらをご確認いただきたいとおもいます。

どうしてもポンプで水を抜くことしかいまの私たちには思い浮かびませんが、先人って発想がすごいですね……。

水田がひろがる干拓地のなかを、歩きます。

コンバインで稲刈りをしている光景がみえます。

かたや、籾摺り(もみすり:籾の外皮と玄米を機械でわける作業)の光景もみえます。

コンバイン、コンバイン、とふつう呼びますが、正確にはコンバイン・ハーベスタです。刈り取りを行うのがバインダー、脱穀するのがハーベスタ。両方やるからコンバイン(combine:結合)です。

まだコンバインが普及するまえの回転胴脱穀機時代から、稲刈り専用コンバインが脱穀するしくみはかわっていません。「こぎ胴」というV字の刃がついたものをエンジンの動力で回転させ、茎から籾をこそぎ落します。このときに茎を叩くためホコリが舞い上がり、さらに唐箕がわりの揺動板が振動して籾を選別します。振動でかなり大きいゴミも空中に舞います。稲刈り現場に、特有の油っぽいにおいとホコリやクズが舞い上がるのは、そのためです。

この日も、特有のにおいがします。

さらに籾摺りまでやってますから、なおさらです。

厳島神社がある裸島(はだかじま)がみえてきました。

国宝・世界遺産 嚴島神社 【公式サイト】 (itsukushimajinja.jp)

厳島神社の石祠をながめていて気づいたのですが、本家の厳島神社は「三ツ盛亀甲に花菱紋」です。どうみても木瓜紋か織田木瓜にみえるし、うえに宝珠もあります。

干拓を指揮した石原家の家紋を、受け継いでいるのでしょうか……。

最初、「新地」バス停からJR門司駅に戻る予定だったのですが、3分違いでバスを逃してしまい、「」バス停まで歩いて、今日の散歩は終了です。

西小倉駅前まで戻る途中、西鉄バス戸畑営業所の6007(日産ディーゼル製2009年導入)とすれ違いました。この阪九フェリーのラッピングバス、何回かみかけましたけど、いつみても可愛いですよね(^▽^)

今日はGPSログで8.5km、2時間半かかりました。

もうだいぶん涼しくなってきたので、次回(ただし軽登山の服装時)は、高低差100mある「豊前坊」を目指そうとおもいます。ぜんぶ石段ってのが、また……。

今度こそ心臓発作かなにかおこして、たおれて山中で死んでるかもしれません。